六章【魔物】 

1

 アルドレド・イントゥガンルは実戦経験の乏しい兵士だ。訓練や他の兵士との模擬戦においては非常に高い能力を発揮し、女性にして初の将軍補佐官に上り詰めた。それでも実戦経験がほとんどないという致命的な点は埋められない。

 ピースベイクとクリスは十五年前の戦争に若いながらも兵士として参加し、ディムはその後何度か勃発したオスゲルニアやネヴィアゲートとの国境防衛戦に参加している。ライドの過去は聞いたことがないが、戦闘での身のこなしから、何らかの経験は積んでいるはずだ。

 実戦と模擬戦の大きな違いは一つ。相手が本気で自分の命を狙ってくるという点だ。いつもなら寸止めで終わるはずの剣も振るわれるし、いつもなら唾棄される汚い戦い方も、相手は平気で使ってくる。

 相手とて必死なのだ。それを諌めるつもりはない。

 だが彼女のどこかにあった甘さが、メイ・イオダストとの戦闘において彼女を苦しめていた。

 剣を振るい、足を払い、髪を引っ張る。手段を選ばずに容赦なくアルドレドを追い詰めるメイの様子は、まさしく修羅のそれだ。

「貴方ほどの使い手が、何故こんなところにいるのだ!」

「こんなところ? 私の主を愚弄しているのか、クソアマが! 無駄に整ったその顔を、無残に切り刻んで野良犬に食わせてやる!」

 言葉使いさえ、その秀麗な外見とは似つかないほどに汚くなっている。

 恐ろしい。アルドレドは単純にそう感じた。

 このメイという女性がいつからダズファイルの虜なのかは分からないが、彼女はとうに自我など捨てている。

 自らを投げ打ってでも勝利を捧げたいのだ。自らを捨ててでも主に貢献したいのだ。それは忠誠心と呼ぶには、あまりに暗く濁った感情。依存、中毒とすら形容できよう。

 しかしどれほど歪んだ感情であろうと、それは確かに彼女に力を与えていた。

「その程度でダズファイル様の首を狙っていたのか! 他の仲間に助けを請うくらいの時間はやってもいいぞ!」

「……!」

 メイの女らしからぬ斬撃によって、アルドレドの握力は次第に奪われていく。一撃一撃に呪詛でも込められているかのようだ。

 それほどまでに、メイ・イオダストの剣戟には重みがあった。斬り裂くというより、叩き斬るような剣の運びだ。全体重を乗せてアルドレドの頭蓋を割ろうとしている。

 剣の打ち合いでは不利と見て、アルドレドは敵の剣を避けながら反撃の機会を窺うように戦い方をシフトした。このままでは削られる一方だ。

 アルドレドの息は切れ、心臓が肋骨を激しく打ち叩いている。

 彼女自身、明らかにメイと己との間に埋めきれない実力の溝があることは察していた。だからといって仲間に助けを求めるような真似はしない。

「そんなの、私のプライドが許さない」

 メイを一睨みし、右足で相手の向う脛を蹴り飛ばす。クリスには効いていないようだったが、今の相手には想像以上に効いたようだ。予想外の場所から反撃をくらい、ややうろたえながら距離をとろうとするメイ。

 しかしアルドレドはこの好機を逃さない。後退するメイに剣戟を浴びせ、先程までの立場を逆転させた。

 売られた恩はきっちり返す。やられた分は、二倍三倍できっちりやり返す。

 国境防衛軍将軍補佐官、アルドレド・イントゥガンルは自他ともに認める、面倒くさい女だった。

「残光」

 アルドレドはやや距離を取った後、光の如き速さでメイのすぐそばを駆け抜けた。技の名の通り、光が駆け抜けた残像のような一撃だ。

 駆け抜けると同時に剣は横に薙がれる。しかし剣の軌道を看破していたのか、自らの槍でメイはその攻撃を防いでみせる。逆にアルドレドの隙だらけとなった背中を、彼女の黒槍が襲う。

 振り返りつつアルドレドは剣を振るい、槍の軌道をずらす。やがて彼女たちは互いに後方へと跳躍し、呼吸を整えた。

「先程よりもマシな動きだが、それでも私には及ばない」

「そうですか? ではもう少し頑張るとしましょう」

 再び剣と槍が交錯した。槍を振り回して柄の部分で殴打、刃がついていない方の先端での刺突など、リーチが長い分メイがやや優勢か。しかしアルドレドも的確に剣でその全てを防いでみせ、時折メイの褐色の肌には切り傷がつくようになり始める。

 僅かな痛みに、メイの顔は徐々に歪んでいく。攻撃を仕掛け続けてはいるものの、ダメージは蓄積されている。

 ただ、両者ともに攻めあぐねていた。決め手となる決定的ミスがどちらかに出ない限り、この膠着状態は終わらないのだと、二人とも感づいていた。

「貴様との舞踏も、もう飽きた――!」

 剣と槍との攻防の中、流れの変化は唐突なものだった。メイの手で回転する槍の柄に、アルドレドの利き手、剣の持ち手は弾かれる。剣こそ落としてはいないが、コンマ数秒の剣技の停止。

 膠着状態の中、焦るうちに自らの握力の低下を忘れていたのだろうか。ダメージが蓄積されていたのは、彼女もまた同じだったのだ。

 だがメイ・イオダストには、それだけで十分だった。

 それを知ってか知らずか、ニヤリと邪悪に妖艶に笑うと、冷徹な瞳でアルドレドを見た。

「御仕舞だ、ここで朽ち果てろ!」

 回転させていた槍を止め、刃の標準をアルドレドへと合わせるメイ。

 槍を一層強く握りしめた後に、彼女は眼前の敵へ向けて得物を強く突き出した。槍は柔らかい腹の部分へと突き刺さり、金髪の戦乙女の顔は忽ちにして痛みに歪む――はずであった。

「気が合いますね、飽きていたのは私も同感です」

 アルドレドは身をよじって、間一髪のところで槍を回避。それだけでなく、突き出されてくる槍に剣を乗せて、槍の軌道と重なるように剣を薙いだ。

 なんてことはない。原理は前日のディムが放ったあの一撃と同じこと。

 即ち、反射攻撃カウンター。何が起こっているかまだ理解が追い付いていないメイに、アルドレドの刃が迫る。

 しかしまたしても、彼女の剣が褐色の敵対者に届くことはなかった。

 それは防がれたからだ。

 突如として現れた、メイ・イオダストに。

「はッ……!?」

 メイとアルドレドの間に割り込むように、二人目のメイ・イオダストは姿を顕現させて防御していた。横に薙いでくる剣に対し、垂直になるように槍の柄を持っている。

 やがて一人目のメイが距離をとると、同じように二人目も隣へと並び立ち、こちらを見た。

 瓜二つ、それどころか全く同一とすら思える分身だ。ダズファイルは『ブロッケンの魔物』とやらで、自分の部下を成形してこちらへ放ったのだ。

 アルドレドが愕然とし、絶望した。

 動き、戦闘能力、武器すら同一ならば、彼女が二人を相手取って勝てる道理など存在しない。

 だがそれでも。アルドレドは痺れかけた右手で剣を握り直し、構えをとる。目の前に敵がいるのなら、彼女は背を向けるわけにはいかない。ましてやかつての戦争の首謀者、その腹心の部下が相手ならば尚更だ。

 勝てるはずがなくても立ち向かうのだ。愛する祖国のため、エルハイムのため。

「あら、女子会でもしてたの? だったら私も仲間に入れて頂けないかしら」

 しかしアルドレドの決死の覚悟を軽く受け流すような、この緊迫した空気の中に不釣り合いな台詞が聞こえてきた。アルドレドはやれやれとばかりに溜息をつくも、その口角は軽く上がっていた。対して二人のメイは不機嫌そうに目を細め、新たなる刺客に敵意を向ける。

 仄暗い広間の中でも一際異彩を放つ、夜色の長髪。その髪を見せつけるように軽く振り、一瞬でこの場を彼女の支配下に置いた。

 三人の視線を集めて、他ならぬユウ・ヨグレがそこに立っていた。

「ふざけているのか」

「そう怒らないでよ。折角の美人が台無しね」

「褒められたとて何も感じないな。今から地に落とす虫に何を言われようとも」

「あら。言うじゃない」

 ユウは笑う。

 どういう感情で笑っているのか、アルドレドには皆目見当もつかない。

 しかしながらその蠱惑的な笑みに、国境警備軍の将軍補佐官、アルドレド・イントゥガンルは奮い立つ。

「自己紹介を、しましょうか」

 アルドレドの隣に立ち、ユウはメイへ向けて剣を向ける。アルドレドも同じく正面の敵に剣の切先を向けた。

 彼女たちは気付いているのだろうか。その所作は『一対一が二つ』ではなく、『二対二』を意味するという発想に。それは互いに互いを、ようやく味方として認識したという何よりの証拠だった。

「国境警備軍将軍補佐官、アルドレド・イントゥガンル。往きます」

「無所属、ユウ・ヨグレ。――参る」

 面白そうに本物のメイが口角を上げる。

 先程よりも激しさを増して、女の戦いが再び幕を開けた。 

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