5

 何故今まで気が付かなかったのか。怪しく煌めき、幾度も色を変える宝石が壁に埋め込まれている。大きさは彼の顔の大きさほどもあるだろう。

 見たこともないほどに巨大な宝石だ。そして今までに見てきたどんな宝石よりも、美しい。それは血のように赤くなったと思えば、海のように深い青色へと変わる。雷光のような黄色に転じたと思いきや、世界を覆う夕暮れの紫へと移ろう。何度も色を変え、その宝石はギルドルグたちを魅了した。

 位置としては、玉座のほぼ背後。つまりダズファイルの頭に隠れて見えなかったのか。

「あれが……ライオンハート、なのか?」

 だとしたら。ライオンハートは既に、敵の手に落ちていたというのか。預言者が預言した最大の秘宝は、最も奪われてはいけないであろう人間に奪われていたのか。

 本物のライオンハートであれば奪い返さねばならない。取り返さねばならない。

 だが唯一ピースベイク将軍は秘宝に頓着せずに、こちらを無表情で見つめるダズファイルへと問いかける。

「何でこんなところに生きてやがるテメェ。ダズファイル・アーマンハイドはあの戦争の後首を刎ねられたはずだろうが」

 ダズファイルは少し黙り込んだ後、邪悪な笑みとともに口を開いた。

「戦争が終わった後に我は身を隠し、我と体格がよく似た人間を我の顔へと変えた。貴様らの国の使者は見物だったぞ? 我の仕立て上げた偽物が殺されるのを、涙ながらに見ていたんだからなぁ! 顔を丹念に焼いたことを疑問を覚える輩さえいなかった!」

「……贖罪の山羊スケープゴートか。クソ陰湿なオスゲルニアにはお似合いの作戦だ」

 聞いてしまえば簡単な手だが、気が付かれれば再び戦争に突入する危うい手だ。だがそのリスクすら顧みず、この男は生かされていたというのか。

 即ち北の軍事帝国は、あの戦争で鞘を納める気などさらさらないのだ。ダズファイル・アーマンハイドの能力を持ってして、エルハイムへと攻撃を仕掛けるつもりなのだ。国境を越えての攻撃には国境警備軍が邪魔な故に、オスゲルニアはここで警備軍の戦力を削っておけば後々が楽だ。それならば山脈に引き入れておいて、殺してしまえばいい。

 そのための贖罪の山羊か。そのための異常な霧か。

「しかしアンタを殺してしまえば、もうオスゲルニアの好き勝手は出来ない。アンタご自慢の兵隊が実体化する前に、終わらせる!」

 ギルドルグは一歩前に進み出た。剣を鞘から抜きながら、彼はダズファイルへと歩み寄る。

 ダズファイルは怪訝な顔をしながらも、未だ余裕の笑みは浮かべたままだ。

 我慢の限界だった。

 彼は一直線に親の仇の元へと駆けた。周囲の止める声も無視、いやあるいは本当に聞こえなかったのか。剣を構えながら、ダズファイルだけを見て走った。

 剣の間合いに入った瞬間、ギルドルグは一切の迷いなく剣を斜めに振るった。

 動かないダズファイルに確実に仕留めたはずの一撃だ。全体重をこの一撃に乗せた、渾身の一振りだった。

「概ね合っているが、肝心なところが間違っているぞ、アルグファストの息子」

 ギルドルグが目を見開く。

 剣が空を切ったように、何かを切り裂いた感覚は彼の手に伝わらなかった。目の前のダズファイルは確かに切り裂かれているというのに。

 しかし切り裂かれたはずの目の前の敵は、陽炎のようにゆらりと立ち消えた。

 有り得ない。全くもって有り得ないことだ。何が起こったのか理解が出来ないギルドルグは一旦退く。

 そして、気付いた。どうしてその考えまで至らなかったのだ。考えてみれば当たり前に辿り着く発想ではないか。

「実体化できるものは兵士だけではない。我自身ですらも、何人でも作ることは出来るのだ」

 切り裂いたはずの霧の男の、乾いた笑い声が広間に響く。そして姿形が全く同じダズファイルが五人、柱の影から姿を現した。顔に残る傷跡も、灰色の髪も、底知れない闇を抱えたその瞳すらも同一だ。

 全く同じ歩き方をしながら、五人のダズファイルは広間の中央に集った。

 今度はピースベイクが舌打ちしながら飛び出すと、背中の双剣を振りかざす。しかしその特攻は、同じく柱の後ろから姿を現した何かから防がれた。

「……何だお前は」

 二本の剣が、一本の黒い槍によって防がれていた。素材は鉄鉱石か何かだろうか。ピースベイクは鷹のような眼光を、槍の主へと向ける。。

 黒い槍の持ち主、眼鏡をかけた女性がそこにはいた。黒い服装のためか他者を寄せ付けない凄味のようなものがあり、その整った顔も、どこか冷たい印象を受ける。

 謎の女性は突如後ろへと飛びながら腕組みしたかと思うと、腕を開いて黒い針のような何かを何十本もピースベイクに向けて発射した。だが彼は驚きながらも双剣を振り回すことでその奇襲を防いだ。

「ダズファイル様の副官、メイ・イオダスト。貴方たちには、霧の帝国再建の礎になっていただきましょう」

 メイと名乗った女性は宣戦布告する。それと同時に、五人のダズファイルがやはり同時に右手を前へと突き出した。

 どのダズファイルが呟いたかは分からない。しかし確かに、聞こえた。

「起きろ……『ブロッケンの魔物』」

 ダズファイルの背後の魔法石が煌めくと、先日に追い詰められた見覚えのある影の兵隊たちが再び姿を成す。なるほど、この幻影はやはりダズファイルの能力だったかと、ギルドルグは得心した。

 彼が言った通り、兵隊たち自身は単なる幻影に過ぎないが故に、その得物だけに注意を払えばいい。得物さえ奪えれば、あちら側からの干渉は不可能だ。攻撃が出来ないのはお互いに同様で、後を気にする必要はない。

 つまりここで気にするべきことは一つしかない。

 早急にダズファイルの本体を見つけることだ。

「精一杯あがいてみせろ。久しぶりに楽しめそうだ」

 負けてしまえば、十五年前の惨劇の再来は避けられない事態となる。

 国境防衛線における最大の山場が始まった。

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