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 心臓の鼓動が早くなる。闘いもせずに、この山脈で生き埋めになるなど冗談じゃない。武器は持ったまま、全員で入り口に向かって走り出した。辺りを警戒して歩いていたこの洞窟を、なりふり構わず疾走する。

 地鳴りのような揺れはしばらくの間続いていたが、最後に何かが遠くで落ちたような音を最後にようやく沈黙が戻った。

 七人は動きを止める。ただ武器を持つ手には、自然と力が入ってしまう。

 再び洞窟を静寂が支配する。ギルドルグが口を開いた。

「今のはなんだ? 敵襲かと思ったが」

「いや、コトはそんなことより余程重大らしいぜ」

 ピースベイクが先程入ってきた入口の方を指で示す。

 遠くの方には今や暗くなった空が遠くに見える、はずだったのだが。今となっては霧厳山脈の闇しか見えない。行き場のないひやりとした空気が、洞窟で渦巻くのみである。

「……閉じ込められた、か?」

 入り口に岩でも落とされたか、途中で洞窟が崩落したか。

 何にせよこの先の見えない暗闇では確認できず、無意味な考察だ。

「らしいですねぇ。さっきの音は閉じ込められた時の音ってわけですか。まぁなんにせよ進むしかなさそうですね」

 ライドは仄暗い闇の中で、明るく笑った。

 それから一同は言葉を発することもなく、奥へ奥へと歩を進めた。洞窟の奥へ、暗闇の奥へ。

 霧厳山脈の最深部に、何が待っているかは考えなかった。無駄であると、本能で感じていたからだ。

 人は得体の知らないものに恐れを抱く。心臓が凍る。身を震わせる。

 想像によって魔法を形成するのと同様に、人は自らの想像力で自らの身を危うくさせる。勝手な話だが。

 分からないから怖いのだ。知らないが故に恐ろしいのだ。

 その恐怖を克服するために、人がとる行動というのは限られている。多くの人がとる行動こそ、今彼らがとっている『考えない』という行動なのだった。

 そして。

「どうも辿り着いたようだぜ、最深部に」

 洞窟にはあまりに不釣り合いな、金属製と思わしき扉が目の前に現れた。

 ギルドルグが触ってみると、ヒヤリとした感触が手に伝わる。

 壁と地面は山を掘り崩したであろう作りだが、侵入者を拒むように鎮座するこの扉は、嵌め込んだように不自然だ。

 ディムとゼルフィユは扉に掌底を当て、向こう側からの攻撃に備えつつゆっくりと前へ押した。

 そこは大広間のような空間のように見えた。客を盛大に歓迎するためにパーティーでも開かれそうな、だだっ広い空間。

 ただしこの場で開かれるのは、おそらく彼らを歓迎するための宴ではない。

 窓は一つもないが、何本もの松明が火を灯しているため視界は悪くない。左に六本右に四本、合わせて十本の柱が中央に道を作るように配置されている。

 彼ら七人は謎の広間へと侵入した。

「なんだ……ここは」

「霧厳山脈の内部にこんなところがあったなんて! オスゲルニアの侵略拠点だとするならば……ここは」


「侵略拠点? そんな馬鹿馬鹿しいものではない」


 大きくはないが、彼らの鼓膜を確かに揺らす男の声。

 何故気付かなかったのか。入り口の正面、丁度彼らと向き合いながら、玉座に坐す初老の男。

 ギルドルグは舌打ちし、国境防衛軍の面々は息を飲んだ。

「そんな馬鹿な!」

 アルドレドは声を震わせながら、信じられないとばかりに叫んだ。

 まるで亡霊を見たかのような驚きようだ。

 だが彼女にとってはそれも当然だ。死んだと聞かされていた、かつての戦争の首謀者がここにいるのだ。驚くほかない。

「三回目の出会いとは。よく会うもんだなダズファイル・アーマンハイド。名前はしっかり憶えてたぜ」

 敵意を隠そうともせず、ギルドルグは男の名前を口に出す。対してダズファイルは座ったままだ。彼の領域に踏み込まれたというのに、彼は動ずる様子もない。

 ――舐められているのか。

 ギルドルグは歯ぎしりし、自らの名を名乗る。

「俺の名はギルドルグ・アルグファスト。アンタが十五年前、地位を引き摺り下ろされる原因になったあの戦争。あの戦争で生まれた英雄の息子だよ」

 ここで初めてダズファイルは動きを見せた。玉座で体を震わせながら、忍ぶように笑っている。だが目の前の男は、別に可笑しくて笑っているわけではない。

 そこにあるのは嘲笑だ。自分よりも絶対的に弱者だと断定し、憐れむような視線で彼らを見ている。

 不愉快だった。ディムの眉は中央に寄り、喧嘩っ早いゼルフィユは今にも飛び出していきそうだ。

「そうか! そうであったか! 我をこんなところへと追いやった男の息子は、こんなにも脆弱で、こんなにも愚かであったとは! あの忌まわしき男とは剣を交えたものだ。我は奴を決して許さぬ。倅であるお前には、苦しみ抜いて死んでもらおう」

 嘲るように低く笑い、ようやくダズファイルが玉座から重い腰を上げる。

 くたびれたような灰色の髪や顔に刻まれた皺を見る限り、ダズファイルは決して若くない筈だ。しかし立ち振る舞いや姿勢から老いは感じられない。

 仰々しく立ち上がったダズファイルは、壁に立てかけてあった黒い剣を持って振り回す。自らの力を誇示するように。敵に恐怖を与えるように。

「ここは山脈の最高峰、その頂上の真下に位置する我が住まい」

 無機質な音を広間全体に響かせながら、霧の王は階段を下りる。一段下がるごとに彼の周りは白い靄のようなもので覆われていく。

 ダズファイルが言ったことを反芻しながら、ギルドルグは広間を見渡した。壁際に何本もある松明と、二階の廊下。そして存在感を放つは左六本右四本に分かれて存在する十本の柱。なるほど、これらは山の崩落を防ぐ柱でもあるというわけか。

 そしてゆっくりと焦らすように歩き続けた後、霧の王はようやくこの広間の中心辺りで足を止めた。

「おい、なんだあれは」

 ゼルフィユの視線はダズファイル、その背後にある壁の上部へと注がれており、ギルドルグも視線をそこへ移す。

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