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「っくしょぉぉぉぉちくしょぉぉぉぉい!」

 あまりにわざとらしいギルドルグのクシャミに、ユウとゼルフィユは顔をしかめる。

 三人は現在霧厳山脈への侵入に成功し、とりあえずの休憩として洞窟へと身を潜めていた。

「どうしたギルドルグ。そろそろお迎えの時間なのか? 安心しろ、お前が死んだら墓だけは作ってやるからな」

「ゼルフィユ君、いつになったら俺に懐いてくれるんだい? 俺困っちゃうな」

「なんだこの俺を犬扱いか? 殺すぞ」

 洞窟の出口からは雑木林が広がり、季節外れの雪がまだあたりの地面に残っている。

 この山脈は標高こそそこまで高くないものの、地理的な問題で雪がまだ溶けきっていないため、気温もあまり上がらないのだ。

 つまり彼らの目下の敵は霧ではなく、気温低下による体力消耗といえるだろう。

「こんな時は非常食でも食べて一度落ち着きましょう」

 ユウがもっともらしい意見を述べる。

 全くもってその通りだ。こういった野営は初めてかもしれないが、野営というものをなかなかに彼女は理解している。

 自分自身の料理の腕以外は。

「そうだな。ノーランドで一通り揃えてきてるし、何から食べる?」

「いきなり非常食は勿体ないわ。私の持ってきた料理からにしましょう」

「おいおいそれこそもったいねぇよ。宝狩り成功の暁に頂くとしようぜ」

「ビーフシチューよ」

「あれ、今俺料理名聞いたっけ? 聞いてないよね? さっきから意思疎通が出来てないよ?」

 全力で自作料理だけは先送りにしようとしたが、残念ながら回り込まれてしまった。

 ギルドルグの意見を無視してまで、手料理を披露しようとしてくるユウ。普通ならば泣いて喜ぶ場面だ――普通の料理の腕ならば。

 ユウは小分けにした袋のようなものを丁寧に三つ取り出すと、焚火のそばに置いて熱を加え始める。

 小分けにしているとはいえ、大きさ的には大人の握り拳程度はある大きさだ。

「よき旅にするには、最初から景気よくいかなきゃね」

 今後の旅に呪いでもかけようとしているのだろうか。

 熱を帯び始めた袋からは昨日嗅いだばかりのあの例の酸っぱい匂いがし始める。

 ギルドルグは顔をしかめたが、そういえば鼻のよさそうなゼルフィユは気絶しないのだろうかと人狼の彼を見る。

 しかしゼルフィユは特に顔色を変えず、ビーフシチューと言い張られているものが入っている袋を見据えたままだ。

「腹が減る匂いだな」

 残念ながら鼻が詰まっているらしい。香草でも詰めているのだろうか。

 ゼルフィユはあてにならないと悟り、引き続きユウの方を向くと、機嫌よさそうに彼女が話しかけてくる。

「料理って人生だと思うの」

 ユウは彼女自身の料理観を語り始める。

「その時間は短いときも長い時もあり、それでいて千差万別。そして何よりも」

 そして何かを悟ったように目を瞑り、はたとギルドルグの目を見据えて言った。

「時の運が左右する」

「しねぇよ! そんな料理あってたまるか!」

 つい口に出してしまった。

 そもそも見た感じ大負けしている。

 ギルドルグは様々な感情を抱くも、遂に完成してしまったようで、ユウは袋の中身を小さな皿に移し始めた。

「さぁお待ちかね。ビーフシチューよ」

 断じてお待ちかねてなどいない。

 一度冷した後に熱せられたからなのか、昨日のものよりもさらに不快感のする匂いがしている。

 ギルドルグは口を一文字に結んで無言の反抗を試みるも、ユウは意に介さないどころかずいずいと皿を彼の方へと押してくる。

 曖昧に笑いながらギルドルグはゼルフィユの皿を彼の近くへと寄せ、先に食べろと促す。

 ゼルフィユがとんでもないバカ舌でもなければ、ゼルフィユが気絶するなどして、この食事の時間は曖昧に終わらせられることが出来るだろう。

 それにゼルフィユのことだ。幼馴染の料理を無下にはしないはずだ。

 今まで生き抜いてきた生存本能を遺憾なく発揮しながら、ギルドルグは強い視線をゼルフィユに浴びせる。

 若干そんな顔をする彼を訝しげに見ながら、ゼルフィユは料理を口へと運び、咀嚼した。

「……天才だ」

 バカ舌だった。それもとんでもない方向に味覚がぶっ飛んでいるようだ。

 ギルドルグは唖然として、鼻と舌が馬鹿になっている人狼の方を向いたまま固まった。

「どうしたんだよギルドルグ。まるでユウの料理が絶望的に不味くて、その原因の一端は俺にあるとでも言いたげな、そんなむかつく目をしてやがるぜ」

「完璧じゃん。意思疎通完璧なのよ。目と目でそこまで通じ合える?」

「誰と誰の意思疎通が完璧だって? 恥ずかしい寝言抜かすのも大概にしろよ」

「違う! そうだけど違うんだ! 俺はそこに嚙みついてほしくない!」

「! ……おいギルドルグ、どうやら本当にお迎えが来たみたいだぜ」

 雑談もそこそこに、ゼルフィユが何かを察知したのか洞窟の入り口を睨んだ。獣のように、闘争心と鋭い犬歯を剥き出しにして彼は唸り始める。

 陽も落ち始めたせいで外の景色は薄ぼんやりとし、よく見えない。

「旅とかどうでもいいから一回料理について本気出して考えてみよ! な! 話はそこからでも遅くないから!」

「ちっげぇよ! いいから洞窟の外を見ろっての!」

 ようやく気付いたか、ギルドルグは目を細めて暗くなり始めた外を注視する。

 彼の視線の先にあるのは暗くなり始めた林に潜む、何者かの影。それは一つだけでなく、時間を経るにつれて数を増やしていった。

 木が風に揺れているのかとも思ったが、先程から不自然なまでに風がない。

「……あぁ、なんかいるな」

「ここからじゃ見えないけど……何かしら? 国境警備軍?」

「いやそもそも――ありゃ人か?」

 視界に映る多くの人影を注意深く観察し、武器を構えながら三人はゆっくりと入口へと近付いていく。

 その者たちはまるで煙のようにユラユラと、くねくねと。人間に出来うるはずもない動きをしながらこちらを観察しているように見えた。

 明らかに人間ではないことを悟り、三人は洞窟を出て戦闘体勢へと移行する。

 その直後であった。 

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