3

 ギルドルグはその瞬間、口の中が爆発する錯覚を覚えた。

「!? ……!?」

 噛んだ瞬間、再度の爆発。

 まさかの二段構え。ギルドルグは若干意識を飛ばしかけながら、完全に張り付いた微笑みで目の前の悪魔を見る。

「どう? あまり時間もないことだし、早く出来る料理を選んだのだけれど、失敗だったかしら」

 ビーフシチューというのはすぐ出来る料理だったかと、ユウと名乗った女性を小一時間問い詰めたい衝動を、ギルドルグはなんとか抑える。

 ネチョネチョとした不快な食感を涙目になりながら堪え、なんとか飲み込んだ。口の中いっぱいに広がる風味はゴミ捨て場の匂いと似ている。

 文句の一つでも言ってやろうと考えたが、休憩場所を提供してくれただけでもありがたい。

「と、とても特徴的な味でよろしゅうございましたよ」

 口調が変わってしまったが、死ぬほど不味かったというのはバレていないだろうと、ギルドルグは思った。

 というか美味しい美味しくないでは到底答えられない。筆舌に尽くし難く、えも言われぬような味わいだ。当然悪い意味で。

 それ以前に結果はわかりきっているはずだ。

「そう。それはよかったわ」

「……いや誰も美味しいとは一言も」

「何か言ったかしら」

「ナ、ナニモイッテマセン」

 焦ってギルドルグはユウから視線を逸らす。焦りすぎてちゃんとした発音もできなくなっていた気はしたが、まぁ気のせいだろう。

 その場しのぎで、彼はユウ・ヨグレという女性の状況を探ってみる。

「思ったけどよ、アンタ一人でこの家に住んでんのか? 親もこの街で住んでたりするのか?」

「さぁ……どうかしらね。ギルドルグ、あなたは?」

「親か? ……二人とももう死んじまったよ。最後の言葉すら覚えてない、親不孝者でね」

 しまったな。内心、ギルドルグは後悔した。

 自分のことはともかく、相手の家庭まで踏み込むのは早すぎたか、と、過ぎたことだが思い始める。

 このご時世にこんな美人が一人住まい、何か事情があったとしても全くおかしくないだろうに。

 若干ではあるが、気まずい沈黙が二人の間に落ちた。

「ねぇ」

 彼女も沈黙を嫌ったか、急に向かいの席に座るユウが話しかけてくる。

「もう一口食べる?」

 拷問の再開の提案だった。

 言動が相手の琴線に触れたとしても、ここまで恐ろしい反撃はない。

 とんだバッドコミュニケーションである。

「や、やぁ~腹はそこまで減ってないんだよなぁ~」

 鳴りかけていた腹を思いきり殴りながら、ギルドルグはやんわりと提案を断った。

 ユウは残念そうにスプーンを置き、また彼に問いかけてきた。

「そういえばあなた、何の仕事をしているの?」

「トレジャーハンターだよ。このご時世じゃあ仕事に困ることはねぇ」

 そう言ってギルドルグは袋から名刺を取り出し、彼女へと渡した。彼女は受け取った名刺を、深海の如き紺色の瞳でまじまじと見つめる。こちらまで吸い込まれてしまいそうになる、深く静謐な瞳だ。

 名刺をしばらく見て、ユウがギルドルグの方を見つめ直す。なんとなく彼はまた視線を逸らした。 

宝狩人トレジャーハンター、ギルドルグ・アルグファスト。それじゃあ、あなたは色んなところを回っているということかしら」

「もっとも俺は『依頼制』の方の宝狩人だから、そんな自由気ままな旅ってわけでもねぇけどな」

「……いいじゃないの、そんな自由でも。こんな身では自由に旅することも叶わないもの」

「まぁ女一人で旅ってのは今じゃあ危険だよなぁ」

 ギルドルグは納得したように何度も頷いた。確かにこの国の治安は現在あまりいいとは言い難い。

 かつて王都にも侵攻した北の軍事帝国、『オスゲルニア』とは危うい平穏を保ってはいるが、いつまた戦争の惨禍に見舞われるかは分かったものではない。

 王国の東に位置する『ネヴィアゲート』ではまさに乱世だと聞く。群雄割拠の時代にあり、誰が覇権を握るのか、固唾を飲んで見守っている状態だ。

 西方の海を越えた大陸にある新興国家も不穏な動きを見せていると噂が立っている。

 どこで何が起こってもおかしくないこの状況に、人々の心は疲れ切り、不満が積もりに積もっていた。これも異常気象の影響か。

「最近じゃ霧厳山脈の依頼もあったし、エルハイム全土回ってるぜ」

 失敗したけどな。と笑いながら言った後、ギルドルグはふと眉をひそめた。

 ギルドルグが『霧厳山脈』の単語を出した途端に、ユウの動きが一瞬だけ止まったような気がした。

 かすかな違和感程度ではあったが、明らかに彼女は何かを感じたような、そんな動き。

「霧厳山脈の依頼は、よくあるの?」

「まぁ、そうだな。俺が受けたのは初めてだが、ウチのギルドへの依頼はよく来るよ。難しいみてぇだが、採れる魔法石がなかなか良質らしい」

「あなた一人で、霧厳山脈は広すぎたんじゃないかしら。あなたができる宝狩人とはいえ、一人だと大変そう」

「ん?」

「私を連れて行くのはどうかしら」

 向かい合っていたユウが、急に身を乗り出してくる。両者の距離は先程よりも明らかに近く、拳一つほどしか離れていない。赤い瞳と紺の瞳が視線をぶつけ合う。

 それはひょっとしたら一瞬だったのかもしれないが、永遠とも思える時間だった。

 ようやく気が付いたようにギルドルグはソファへと背中を預け、赤くなった顔を隠すように頬を掻く。

「……霧厳山脈の依頼は今回は中止だ。一度俺はギルドに戻って別の依頼を受けようと思ってる」

「何にせよ、よ。霧厳山脈の依頼であれば私も協力しやすいし、それなりに私も活躍できると思うわ」

 ギルドルグはむむむと悩み始める。

 ユウにふざけている様子は微塵も感じられない。相当本気なのだろう。元々この街から出てみたい願望があったのだろうか。

 それとも、霧厳山脈に、何か思い入れでもあるのか。

 しかしそれでも、はいそうですかと簡単に連れて行くつもりはギルドルグにない。

 自分には何年も宝狩人として積み上げてきた実績と実力がある。

 では、彼女はどうだろうか。確かに美人だ。仕事中でなければ是非仲良くしていただきたいほどの美人だ――いや、それは今は関係ないか。

 問題は実力の方なのだ。宝狩人たる自分に、付いていくだけの実力は彼女にあるのか。

「俺の得、がねぇよなぁ」

「得」

 連れて行って、俺が得するような人間でなければならない。と、ギルドルグはどこまでも、あくまでも打算的にこの状況を考えた。

 少しばかり武芸に覚えがある程度ならば、完全な迷惑だ。残念ながら。

 時には命を懸ける決断を迫られる時もあるだろう。一人ならば当然悩むことはないが、二人、ましてはお荷物の女などいては、採れる宝も採れやしない。

「そう、得だ。あんたを連れて行って、それであんたが俺に迷惑かけてばかりってんじゃあ、いくらあんたが美人でも置いていくしかなくなっちまう。大体……」

 ギルドルグは、何か言いかけて口をつぐむ。

 このことは他人には関係ないことだ。初めて会った相手にこんなことを言って何になる。

「……? つまり私はどうしたらあなたに連れて行ってもらえるのかしら」

「簡単なことさ。実力を示してくれよ」

 今の世の中は、完全な実力主義だ。力無きものは足蹴にされ、力を持つものだけが生き残る。

 弱肉強食。強いものが生き残る、ただそれだけの話なのだ。

 であれば生き残るためには、ユウがギルドルグと生き残るためには何が必要なのか。

 それはやはり、力だけなのである。

「自分の身は自分で守れってな。あんたが最低限の実力を持ってなけりゃあ連れて行けんよ」

「……そう。じゃあ外へ出ましょう」

 ユウは腰かけた椅子から立ち上がるとドアまで歩いていき、手招きして外へ出るように彼を呼ぶ。

 手合せでもしようというのだろうか。最低限の手加減はするかと見当違いのことを考えながら、疲れた体に鞭を打ち、彼は彼女の背中を追った。

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