2

「なんかすいませんね、体まで洗わせてもらっちゃって」

「気にしないで。なかなかいい体じゃない」

「覗いたの!? 俺女に覗かれるというよくわからない体験をしちゃったの!?」

 彼女の家の中は想像よりも広く、温もりに溢れていた。

 一階のみのシンプルな造りで、リビングと思わしき部屋が一つと、奥にベッドが置いてあることから寝室がもう一部屋あることがわかる。それにシャワーとトイレだろうか。この国の一般的な一人暮らしの家だ。

 ただ、女にしては置いてある物が少ないと感じる。彼自身、女性の家のことをよく知っているわけではないが。

 食事用の机に数個の椅子、小さい照明に筆記用具を置いた小さい机。本当に必要なものしか見えず、面白そうな個性はとくに見えなかった。

 しかしその分、洗練された印象を受ける。清潔感が感じられ、大人びた女性の部屋のように感じる。

 気がする。

 もう一度言わせてもらえれば、ギルドルグも女性の部屋をよく知っているわけではないのであった。

「それはそうと、あなたはどうしてこの街に来たの」

 ソワソワと部屋を見渡すギルドルグを不審に思ったか、家の持ち主は話しかける。

「あぁ、仕事で疲れ切ってしまったんです。それで……」

「別に慣れないなら敬語を使わなくていいわ。とても違和感があるもの」

「……まぁアンタがいいならいいけどな。仕事でちょいと疲れてたんだ。そしたら丁度いいところにアンタの家が、というわけさ」

 彼女は長い紺色の髪を顔から払い、腕を組む。

 ふーん、と。疑わしげに、悩ましげにあごに手を当てながら。ギルドルグを品定めでもしているかのように、足のつま先から頭の頂点までじっくりと視線を移す。

 いちいち動作が美麗な女だと、彼は少しばかり見惚れてしまっていた。

「そういえば名前、聞いてなかったわね。私はユウ。ユウ・ヨグレ。あなたは?」

「俺はギルドルグという……って、シャワーを浴びさせてもらってから名乗るなんざ、不躾ですまねぇな」

 ギルドルグは軽快に笑いながら言った。そしてお腹を擦りながら、また口を開く。

「さらに図々しくて申し訳ないんだが、なんか食わせてくれるととてもありがてぇ。実は二日ほど食ってなくてな」

「せっかちな子ね、食べたいならば先に言いなさい」

「いやいやいや何服脱ぎだしてんだよ! 決してそういう食べるじゃねーよ! 俺をケダモノかなんかだと思ってんのか!」

「体を洗ってきてもいい? やっぱり女の子だからそういうところは気にするのよね」

「女の子はまず初対面の男に下着姿を見せません! アンタの女の子像はなにかおかしいぞ!」

「冗談よ」

 ユウは軽く笑いながら脱ぎかけた服を戻すと、長い艶やかな髪を揺らしながら台所と思しきところへと歩いていく。そんな彼女を見てギルドルグは軽く溜息をつき、椅子へともたれかかった。

 雪のように白い肌を意図せず見てしまい、やや心臓の鼓動が速くなる。

 それはさておき。彼は考える。

 綺麗で、引き締まったお腹だ。

 じゃなくて。

 無警戒すぎではないか、と。

 普通『このご時世』に見知らぬ男を家に入れる女が何人いるだろうか。家に入れ、体を洗わせてくれ、食事まで提供するなんて、余程の聖人か馬鹿なのだろうか。

 と、ギルドルグは助けてくれたのにも関わらず失礼にも疑ってみる。

 今までの経験から不自然な点を考えてみた。今のところ害はないわけだが、警戒するにこしたことはない。

 彼はユウが鍋をこちらに運んでくる様子を注意深く観察する。

「私、人に料理を食べてもらうのが好きなの」

「……ほう、これはこれは」

「食べたら是非感想を聞かせて」

 彼が鍋の中を覗き込んで見たのは、限りなく黒に近い茶色のドロドロした液体の海。そしてその海の真ん中に浮かんでいる巨大な(おそらく)肉の塊であった。

 ちなみに宙へと放出されている湯気は、何故かすっぱい匂いがした。

 貴重な食料をよくもまぁここまで無駄にできたなと、ギルドルグは内心で呟いた。

 ユウの方を軽く向いてみると、モジモジとはにかみながら鍋の方を向いていた。おそらくは人に料理を食べさせるのは初めてなのだろう。恥らっている姿も、本当に美しく、少し魅了されてしまう。

 だけどそんなことは知ったことじゃない。料理と容姿はまるで関係ない。

 一刻も早くここから逃げ出したいという衝動を、彼は必死で押さえつけた。

 先ほどまでの彼の警戒は、ここで正解だと証明された。

 この女は歓迎と称して侵入者の命を刈り取り、有り金を奪うつもりだと、招かれた側としてはあまりに失礼すぎる予測を立てる。

「ちなみに、これは何でしょうか」

「ビーフシチューよ」

「……」

「……」

「そ、そうでござんすか」

 明らかに納得できない回答に、彼の語尾も少しばかり狂う。変な間も開くというものだ。

 謎の湯気を放出するそれは、彼の知っているビーフシチューとはどう考えても違っていた。ビーフシチューではなく、むしろ汚物と言われてしまった方が納得できる。いや、それはそれで問題ではあるが。

「さぁ遠慮はしないでいいわ」

「は、はひ」

 ギルドルグは情けない声を思わず出してしまう。

 困惑と恐怖が入り混じった声色だ。彼の知り合いならば腹を抱えて笑っただろうが、あいにくここには恐怖の歓迎をする食の冒涜者しかいない。

「どうしたの? ……あ、分かった」

 ユウは鍋の中にスプーンを入れ、少しだけドロドロとした液体を掬う。

 芳醇すぎて眩暈がするような臭いが彼の鼻腔を擽り、脳には命の危険を知らせる警告音が鳴り響く。

 そしてユウはスプーンの先端部をギルドルグへと向けて言った。

「はい、あーん」

(あああああああ嬉しいのに嬉しくねえええええええ! なんだこれえええええええええ!)

 慣れない張り付いた笑みを、ギルドルグはユウへと向ける。

 しかしユウはその笑みの不自然さに気付かず、相変わらず彼に食べさせようとする動作のままだ。

(まぁでも見た目がよくないものほど美味いって言うしな……まぁ大丈夫だろう……多分)

 というわけで、ユウが持つスプーンから、彼は目を瞑りながらビーフシチュー(彼女談)を頂いてみた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る