序章 【遭遇】
「これか……依頼の品は!」
男が、暗い洞窟の中で声をあげた。声の質から、二十歳前の青年であろうことが分かる。
今は日が出始めたばかりだ――そのはずなのに暗闇の支配を受けるその洞窟は、エルハイム王国の北部に広がる
たいして深くも無いその洞窟だが、祠のようなものや階段の存在が、どこか人工的に作られたかのような不自然さを醸し出す。特に、洞窟の形状。入り口からひたすら真っ直ぐにしか道がない。これはつまり、何者かが掘った穴だということが考えられる。
そして『依頼の品』と呼ばれた宝石は、彼の手の中で血のように赤く輝いている。
彼の指輪から、もっと言えば指輪に付けられた宝石から放たれる水色の光と呼応するように、その宝石も輝きを増した。
「ここまで来るのはマジで大変だったな……何日間山に籠らせるんだっつーの。岩の絶壁登らなきゃならねぇときは諦めようかと思ったぜ」
誰に言うでもなく、彼は一人でこれまでの苦労を語り始める。心底疲れ切っている中でようやく手にした依頼の品だ。それが手中に収まったとなれば、緊張がとれて気分が上がるのも仕方ない。
男は満足したように頷くと、腰につけてあった巾着に宝石を入れ、入ってきた入口へと向かい始める。
「その魔法石を、渡してもらおう」
突然、声が聞こえた。
地の底から這いずってくるような、ドスの効いた低い声が。
「……誰だ、あんた」
彼は唾を飲み、洞窟の出口に現れた男に声をかける。しかし正直な話、彼はその男が答えようが答えまいがどちらでもよかった。
短いとは言えない年月をこの稼業に費やしてきた彼だからこそ分かる結論からだ。
今、コイツとは絶対に戦ってはならない。
「お前がそれを知る必要はないだろう」
「いいや必要あるね。こいつは大事な依頼品だ。……ただまぁあんたがいい条件を提示してくれるってんなら、こいつを譲ってもいい」
押し潰されそうなほどの圧力を、入り口に立つ男から感じる。今まで対峙したことのない力の持ち主だ。
青年は軽い口調で男へと言葉を投げかけるが、決して交渉には乗らないだろうと理解は出来ている。彼がここで考えていることは、如何にしてここから奴の目を欺くかということだった。
「ほう。ではどんな条件がお望みかな?」
男が放つ言葉から、下手を打てば命はないことが嫌というほど分かる。この男の頭の中に、『敗北』という言葉は浮かんですらいないのだ。あるのはただ、目の前の獲物を狩るか、狩らないか。ただその選択肢のみ。
自分の命は完全に奴の手中にあるという事実に、青年は心底震え上がった。生かすも殺すも、奴次第。
そこにあるのは圧倒的で、根源的な恐怖。絶対に敵わない捕食者を前にした、原初的恐怖そのものだった。
「そうだなぁ……やっぱりここは穏便に金の取引といこうじゃないか。いくら持ってる? 場合によっちゃ譲るのは全く構わねぇ」
「……」
顔は見えないが、侵入者は黙ってしまっている。それをいいことに、腕を大げさに伸ばし、調子よく、一歩ずつ出口へと足を早める青年。
侵入者はまだ喋らない。出方をうかがっているのか、それとも。
しかし何にせよ、ここが好機とばかりに青年は言葉でたたみかけた。
「俺としても生きるためには金が必要だ。別にこれを持ち帰らなきゃ今すぐ死ぬってわけじゃねぇが、俺たち宝狩人からすれば信用ってのは重要でね、宝の確保に失敗したと分かればあっという間に明日生きる算段すらたたねぇ貧乏人に成り下がりさ。だからさアンタ、何か交換できるものを持ってねぇかな?」
「……」
いけるか? いや、まだ出口には遠い。
彼は慎重に、侵入者と出口の距離を確かめながら歩を進める。
「おいおいしっかりしてくれよ。こんなとこに何も持ってこないわけないだろう? ここまで来るのには色々と道具だって必要なはずだし、魔法石の予備だってなかなかの数がいるはずだ。ほとんど山頂みたいなもんだしな、ここはよ」
「……」
「ないのか? それなら……うおおおおりゃああああああああああ!」
青年が拳を力いっぱい握りしめると、彼の拳の中から物凄い勢いで灰色の煙が噴き出てきた。彼自身の視界すら覆ってしまうほどの煙幕である。
いくら圧倒的な力を持っていようが、視界を潰されては宝の持ち腐れだ。
しかしこの煙幕はあくまでも、あくまでも逃走手段。のんびりとしている余裕はない。
叫び続けながら青年は、光射す出口へと向かった。自慢の足で堅い地面を蹴りながら、煙の中へ消えた謎の男をも差し置いて駆け抜ける。
今頃煙の中で、逃走を図った彼を探している最中だろう。ひょっとしたら激怒して、攻撃を出鱈目に仕掛けてくるかもしれない。だが洞窟の中ならまだしも、外に出てしまえばこちらのものだ。身の回りのもの全てを使って距離を取ってみせる。
そしてだんだんと光は強くなっていき――
「……は?」
突如として、出口は消えうせた。
「急ぐことはない。時間は有限だが、今は無限に思えるほどあるのだから」
「!?」
そしてまた、あの低い声が後ろの方から這いずってくる。その瞬間に時空が歪んだ。
瞬きの後に青年の目の前にあったのは、洞窟の最奥に位置する、宝石の置かれていた祠だった。
絶対にありえない! 彼の背筋を冷や汗が流れる。
出口とは完全に真逆へと走っているなんて自殺願望にもほどがある。しかしそれでは、この状況はいったいどういうことだ。
青年は悟ってしまった。実力の差はあまりに圧倒的過ぎて、絶望的だと。
「我は渡してもらおうと言ったのだ。大体取引だのは対等な相手とやるものだろう? 力の差すらも分からないのか?」
「あ……アンタは……」
今すぐに後ろを向いて、この場からもう一度逃げ出してしまいたい。しかし先ほどから、両脚の震えが止まらない。心臓の動機が収まらない。後ろを向くこともままならない。宝石は諦めようと巾着を取り出すも、緊張のせいか指すらも上手く動かせない。そうこうしているうちに、謎の男はひたひたと迫る。
なんとか首を動かして侵入者の顔を見ようとするも、相変わらずの逆光で見えやしない。
巾着の奥に入ってしまったせいか、なかなか宝石を取り出せない。巾着の口を開くことすらもどかしげに、指だけで巾着の中を探る。どうでもいいものを巾着の中から投げ捨てながら宝石を探す。
「
巾着から投げ捨てられた名刺を侵入者は拾い上げ、書いてある文字を読み上げる。名前をいきなり呼ばれた青年、ギルドルグは息をのんだ。
男は面白そうに、名刺を右手の指ではさみながら口を開く。
「本当に運命というものは……予想も出来ないことを引き寄せるものよ」
陶酔するかのように、自分の世界に入るかのように。男は大仰に溜息などついてみせる。
その瞬間。
ギルドルグの目の前の男、その右手。そこにあったはずの彼の名刺は、一瞬で燃え尽きていた。
「ではもう一度言ってやる」
出口から差し込む朝日のせいで、視界が悪い。
「その魔法石を、渡せ」
けれども宝狩人は確かに、ギラリと光る殺意を目にした。
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