第8話 渡る世間は鬼ジジイ?

優しいパン屋のおじさんに見送られて足取り軽く歩き出した僕だけど、右を見ても左を見ても同じに見える景色に方向感覚が狂いそうになっていた。別れる前にパン屋のおじさんが「うちで働いてみる?」と声を掛けてくれたけど、パン作りのためにかなり朝早く起きなやいけないことを知って、ずっと悠々自適に暮らしてきた僕にはちょっと無理かもしれないと思って、お断りさせて貰うことにした。

やりますと答えるのは簡単だけど、あんなに美味しいパンを作ってるおじさんに、迷惑が掛かるような無責任な返答は出来ない。


お昼にもパンが食べれるように…と、袋に詰めて貰ったパンを大事に抱えて同じに見える景色の中、ひたすら足を動かす。時々昨日通った気がする道を見掛けたけど、建物が似ているから本当に同じ道なのか分からない。

パン屋のおじさんが教えてくれた森林公園に向かって歩いているはずだけど、書いてもらった地図がどちらを向いているのか分からなくなってきた。手書きの地図をくるくる回しながら、何度も道を確認しつつ先に進む。

右に曲がって左に入って途中に出てきた小道を抜けて、気分は建物のジャングルを進む探検隊だ。


(楽しくなってきた!)


何度目かの角を曲がると、急に目の前に大きな森林公園が飛び出した。立派な木々が生い茂っていて鳥のさえずりも聞こえる。目を閉じていれば、ここが北海道から遠く離れた場所だなんて分からなくなりそうだった。

嬉しくなって腕を広げた状態で森林公園の中へ走っていく。木々が呼吸しているのが伝わってきてとても心地良い。


「ここ、家を建てたりして大丈夫なのかな?」


パン屋のおじさんには、自然のある場所を知らないかとしか聞いてなかった。入口に自然公園と書かれているから、多分家を建てるにしても誰かの許可が必要になるはずだ。

キョロキョロ見渡すとすぐ近くに公園の案内図を見つけた。

今僕がいる場所のちょうど反対方向に、この公園の案内所があるらしい。そこならきっと人がいるはずだ。その人に許可をもらえたら、住むところが確保できるかもしれない!

弾む気持ちを抑えられず、僕は小走りに反対方向にある入口へ急いだ。数分後、撃沈するとも知らずに…


「何言ってんだ?あんた」

公園の案内所に着いた僕を迎えたのは、冷ややかな顔をした年配のおじさんだった。

北海道から出てきて住むところを探していると説明する僕を見るそのおじさんの目は、パン屋のおじさんと違ってとても冷たい。

口から出てくる言葉も刺々しく辛辣なものばかりで、公園以外に自然がある場所を知りたかったけど聞けるような空気じゃなくて、僕はそのおじさんから逃げるように公園を出た。


(さっきまであんなに楽しい気分だったのに…)


しゅんと萎んだ心で天を仰いだ。出て来た場所が最初に入った入口と違ったせいで、僕は完全に自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。かといって、再び公園の中に入る勇気もない。どうしてもあの怖い案内所のおじさんの前をもう一度通る気にはなれなかった。


何とか通ったことがある道に戻ろうと、公園の外周を大きく回って歩いてみる。歪な形で出来上がっている公園は、外周をぐるっと回ったはずなのに、全然知らない道に出されてしまって僕は泣きそうになった。道を聞きたいのに、こういう時に限って誰も歩いてない。このまま知ってる道を見つけられず、持っているパンも無くなって干からびてミイラコロポックルになったらどうしよう?と、どんどん不安が広がって僕はがむしゃらに走り出した。

どこをどう走ったのか全然分からない。目についた角を曲がって猫の親子が歩く小道を抜けて、その先にある角をまた曲がって…そうして走っているうちに、ふと見覚えがある道に出た。

一度緩んだ歩調を再び早める。どんどん早く足を動かして遂には走り出した。いつの間にか子どもの様に顔をぐしゃぐしゃにして、僕が駆け込んだのは昨日から優しくしてくれたパン屋さんだった。


「おじさ~ん…」

情けなくズビズビと鼻を啜りながら、イートインスペースで寛いでいたおじさんに泣きついた。驚いた顔をしつつもおじさんは僕に椅子を勧めてくれ、コーヒーまで持って来てくれた。

朝とは違って少し甘いコーヒーは、僕の心を落ち着けてくれるには十分な効果があったようだ。


「何があったの?」

僕が落ち着くのを十分に待ってから、おじさんは僕に何があったのか事情を聞いてくれた。

優しいおじさんを前にまた目頭が熱くなって来たけど、拳を握って涙が溢れてくるのを何とか抑えると、教えて貰った公園で起きたことを話し出した。全て僕が話し終わると、おじさんは「そりゃ、悪いことしなっちゃったなぁ」とポリポリと頭を掻き、2杯目のコーヒーを入れてくれた。

おじさんがいうには公園の案内所にいたおじさんは、この辺では有名な気難しいおじさんらしい。悪い人ではないそうだけど真面目過ぎる性格から、人付き合いは上手いとは言えないそうだ。「近隣の子どもからは鬼ジジイと言われるんだよ」とイタズラ小僧みたいな顔をしてコソッと耳うちしてくれた。そんなおじさんのお茶目さに僕の顔にも笑顔が戻った。

改めて僕が探している条件の自然がある場所をおじさんに尋ねると、#天馬寺__てんまじ__#という隣駅からちょっと歩いたところにあるお寺を紹介してくれた。そこは個人のお寺だけど土地が広く、住んでいる住職さん一家も優しい人たちらしい。

念のために…とおじさんが天馬寺の住職さんに連絡をしてくれた。

再び手書きの地図を受け取って、不安半分の僕はおじさんが手を振るパン屋を後にした。


でもその時の僕は知らなかった。行先の天馬寺で、新しい出会いがある事を。

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