第23話 流血

 ヴァイス伯爵ホルストはフラマン王国最大の勢力を持っており、王国貴族の過半数を密かに従えていた。だからヴィルヘルムが婚約破棄を宣言しても誰も異議を申さなかったのは当たり前のことであった。そのため、酔っぱらって宰相執務室で居眠りして宰相ハインリッヒに半殺しにされていなければ、反乱軍の指導者になっていたはずだった。


 ヴィルヘルムを手中にし、後は議会の設置や立憲君主制への移行などといった国政の改革などと主張していた、ハインリッヒらを粛清すれば権力を手に入れられるはずであった。保守的な貴族からすれば権力が制限されるのはまっぴらごめんであった。


 ホルストの奪還を目指し蜂起した貴族連合軍は王都西方にあるサラヴィー渓谷に殺到していた。元々ホルスト派は宰相ハインリッヒと近衛師団長のカーンを粛清したのち王都を武力占領する計画を立てていた。しかし、予定よりも早くハインリッヒが帰国したため油断していた王都のホルスト派はほとんど捕縛されてしまった。そこでホルストら捕縛された貴族を救助するため、集結して進軍していた。


 サラヴィー渓谷には王都西方の検問を兼ねた要塞があった。そこはあまり大きくなく守備兵も少数であるが、地形上狭くなっていた。だからその前後は大部隊が進軍すると隊列が長くなってしまった。


 その時のホルスト派の指導者はホルストの弟リンツだった。兄に建国記念祭の五日後に王都に武装蜂起をして向かうように指示されていたが、王都でハインリッヒに捕まったと知らせを受け急遽向かっていた。そのとき、ホルスト派にはヴァイス伯領と周辺貴族から派遣された兵二万人がいたが。そのほとんどが急遽農民を徴兵した寄せ集めの部隊だった。王都にいる近衛部隊は三千だからそれで互角以上の勢力のはずだった。


 リンツはなんなくサラヴィー渓谷の要塞をあっさり攻略し、安心してしまった。要塞といっても数世紀以上前に積まれた石垣のうえに老朽化の激しい前時代的な貧弱な木造の建物があっただけであり、持ち込んだ旧式の大砲を数発撃ちこんだだけで降伏した。


 そこから王都までは半日もかからない距離だった。だから全軍に休息をとらしていた。そして自分は要塞にいた守備兵を虐待していた。それを見ながら食事をしていた。このリンツという男は兄以上に冷酷で残忍な性格だった。そのとき、守備兵が通常よりも少ない事に気が付いた貴族連合軍の幹部はいなかった。


 「おい! ホルスト様はどこにおられるのか。言え!」

 

 あわれな要塞の守備隊長を拷問したが、末端の部隊が知っているわけはなかった。ハインリッヒは緘口令を引き、王都の情報がホルスト派に知られるのを防いでいた。幸いな事に守備隊長は余興として拷問されていたので、致命傷は負わなかった。その時、伝令が入ってきた。


 「大変です! ヴァイス領に帝国軍が進撃したとの一報が」


 「なんだと?」


 リンツは慌てていた。早く王都に向かわなければならないと。少なくとも王都は周辺を山で囲まれているので帝国軍といえども簡単に攻めてこないはずだと考えたためだ。そのため準備が整い次第出発しようとしたときのことだ。伝令が二人同時に入ってきた。


 「大変です! 前方より近衛部隊が攻めてきました!」


 「大変です! 後方より帝国軍が進撃してきました!」


 ホルスト派の軍勢は前後を挟撃されてしまった。前後から攻めてきたのは正規軍で精鋭の兵三千ずつであったが。二万と大軍であっても軍勢が渓谷の細長い回廊で長く伸びているうえに、農民兵が主体状況では完全に不利だった。装備も貧弱で鍛錬度も低い、おまけに寄せ集めで指揮系統もはっきりしない有様だった。

 その状況を知ったホルスト派の兵は満足に戦う事なく次々と降伏していった。士気も低く勝ち目がないと悟ったためである。引き連れていた貴族は兵士を叱咤したが、それにお構いなく放棄してしまった。


 要塞に閉じ込められたリンツら指導部は完全に包囲されたが。命が惜しい貴族は次々に降伏していき、最後はリンツは首だけになって要塞の外に放り出されてしまった。自分だけは助かりたいというヘルムートという貴族が、焦りまくっていたリンツを部下と一緒に切り殺してしまった。


 ここにフラマン王国の貴族連合軍は壊滅した。時に、建国記念祭から一週間。事実上フラマン王国は滅亡した。そのあと、王国各地で帝国軍は徹底した残党狩りを行い、多数の戦没者をだしながら平定されてしまった。


 後に人々はこう罵った。ヴィルヘルムの勝手な婚約破棄が国を滅ぼしたと。そして人々はヴィルヘルムとジェーンの死を望むようになった。この流血を招いた責任を取れと!

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