決まってないもん

三十秒ぐらいで、初めての通知が鳴った。

 ツイートについた『いいね』の数も順調に伸びていく。

『最近投稿ないから心配してた!』

『待ってた! 楽しみ!』

 そんな好意的なツイートもある。

『いまさらアヴァサマの作者に勝てるわけないだろ』

『無駄な努力オツカレw』

 と、批判的な声も多かった。

 そして、漫画の感想。

『やばい、てぇてぇ』

『これは涙腺崩壊』

『授業中に泣いちまった、なんてことしてくれるんだ』

 そして、

『え? こんなのあり⁉』

『これは漫画なのか……?』

 予測したとおり、驚きの声もたくさん見られた。

「順調?」

「予想通りの反応がもらえてる」

「フィーちゃんのキャラデザ、自信作だからね」

「ああ、そっちの方のコメントも、たくさんもらってる」

 好奇心旺盛なエルフの少女、フィー。

常に冷静な人間の少年、アグル。

『星海、泣き空、忘れた季節』は、二人が異世界を旅する話だ。

 幼くして故郷を飛び出した二人は、偶然であい、道中を共にする。

 やがて恋に落ち、結婚する。子供も生まれる。

 でも、年月を重ねていくうちにアグルは年老いていく。

 だけど、フィーの姿はずっと変わらない。

人間とエルフ。

二人の間には、種族による寿命。絶対的な壁があった。

アグルは倒れ、旅を続けらなくなる。

そして最後に、フィーはアグルを看取るのだった。

「最後にハッピーエンドって付けるの、ナツらしいね」

「二人の命には大きな差があった。でも、こいつらは不幸じゃなかったろ?」

「うん。絵を描いて、命を吹き込んだ私が言うんだもの。二人は最後まで幸せだった」

 横たわる笑顔。

 うん。彼女がそう言うんだから、きっと間違いなんてないんだろう。

 重い扉が閉まる音に、同僚の看護師はびくりと肩を震わせた。

 上遠野冷子は、狭い休憩室を見渡す。

 今日は患者が多かったせいか、昼休憩がずれこんでしまった。

 そのせいか、狭い部屋にいるのは一人だけ。

 この春入った、新人看護師の泉だ。

 スマホを片手に弁当をつまむ彼女。その雰囲気は、どことなくくらい。

 原因はわかっていた。

「サクラノちゃんの部屋に、今日も来てるみたいですね。例の男の子」

 どこか沈んだ声でそう言った、同僚ナース。

 それから彼女は、弁当箱に蓋をした。中身はまだ半分以上残っていた。

「泉さん、今日は夜勤でしたよね。食べておかないと、業務に障りますよ」

 普段通り、上遠野は鋭い口にする。

「でも……」

「私たちは看護師なんです。どんなに力を尽くしても、避けようのない別れもある。それはこの道に入る時から、わかっていたことでしょう?」

 いつだって、上遠野の言葉は厳しい。

 あの底抜けに明るい少女がつけたあだ名、氷の女王に異議を唱える人物もいない。

 でも、それと同時に、彼女の同僚は誰もが知っている。

 彼女の厳しさには、彼女自身も対象にはいっていることを。

「先輩。クマ、ファンデーションで隠しきれてませんよ」

 同僚の言葉に、ハッと我に帰る上遠野。素早く目元に手を置いた。

「またソシャゲに課金して、ガチャ回すので夜更かししてたんじゃないですか?」

「ガチャは日々のストレスを手っ取りばやく発散することができますから」

「アハハ……。そんなことは無いと思いますけど」

 泉の乾いた笑みが室内に響く。

 一年前まで、上遠野はゲームなんて興味がなかった。

 でも、サクラノという少女の寿命が告げられたあの日。

 それから、稼いだお金をすべてつぎ込むようになった。自分の無力さとか、悲しさとか、-な感情をぶつけるように、ひたすらガチャを回した。

 上遠野はコンビニのビニールから、メロンパンの袋を取り出した。

 それから、パンくずが零れないよう、ゆっくりと包装から取り出す。

 その時だった。向かいでスマホをいじる泉が、急に口元を抑えた。

 零れる嗚咽を、こらえるように。

「上遠野、せんぱい」

「なんです?」

「これ、見てください」

 彼女が差し出してきたスマートホン。そこに映ったものに、思わずメロンパンを取り落とした。

「これ、は……」

 ひったくるように、後輩の手からスマートホンを取り上げる。

「先輩、これって……」

「ええ。桜木さん……。彼女の漫画です」

カーソルを下へとめくっていく。

 そこに映る物に、思わず涙がこみあげた。

「なんですか……これ」

 旅する主人公たちが、目にする光景。

 息を呑む背景ばかりだ。

 でも、上遠野たちはそれに既視感を憶える。

「これ、全部……この病院の風景じゃないですか」

 世界観はファンタジーだ。でも、それらはすべて、見慣れた病院内の光景がモデルになっている。

 世界は広い。だけどこのちっぽけな病院が、彼女の世界のすべてだから。

 たぶん、少女の証明なのだろう。

 自分が生きた世界、そこはこんなにも美しかった。きっと、そんな。

「――――――っ!」

 ボロボロと涙を流す後輩に、つられる。

 自分は看護師なのだから、それでいて、あの少女より数年ばかり長く生きた先輩なのだから、弱音は吐かない。涙も流さない。

 たとえ彼女の見てないところでだって。

一度でもそれを許してしまえば、自分はもう二度と、彼女とまともに接することができなくなる。

だから、ずっと我慢してきた。

 そう決めたはずなのに、嗚咽は零れて止まらない。

 大粒の雫が、液晶にぽつぽつと垂れた。

 夕日が沈みかけ、病室を暁色が染めても、通知は鳴りやまない。

 一秒より早く書き足されていく感想を、ひとつひとつ、僕は読み上げていく。

「嬉しいね」

 横たわるサクラノは、そう言った。噛みしめるような言い方だった。

「感想って、嬉しいね」

「それは完全に同意だ」

 全力で頑張ってきた物が認められたんだ。

 嬉しくないわけがない。

「おもしろい。って、たったの五文字なんだよ」

「まあ、そうだな」

「それでこんなに幸せになれるんだから、不思議だよね」

「いくつあっても足りないな」

「うん、溺れたいくらい」

 冗談めかしてして言って、よわよわしく笑う。

「勝てる?」

「気になるか?」

「そりゃあ、ね」

「この前は、ナツの書きたい物ならそれでいい、そう言ってたじゃねえか」

「拗ねないでよ。あの時は確かにそう思ってたよ。でもね、出来上がった原稿を見て、勝てると思っちゃったんだもん。冬見あやせに」

「欲をかいたな」

「期待するような原作持ってくる方が悪い。責任はとってよね」

「努力はする。というか、してる」

 じゃあさ、サクラノはそう言いだした。

「逆に、ナツは勝てると思う?」

 小首をかしげる。あざとい。

 でも、これに関しては僕も胸を張れた。

「負けるとわかってギャンブルをするやつなんていない」

「それもそうだね」

 サクラノを安心させようと、僕も微笑む。

 ……だけど、現実はやっぱり厳しい。

 スマホの画面に映るのは、現在のツイートの情報をまとめるサイト。

 僕らの新作は、現在すでに十万いいねを超えている。

 すでに『ノスタルジー・ボマー』を上回る速度だけど、これじゃあまだ足りない。

 あやせの新作、『最後のイチニチ』は、投稿二時間後の段階で、すでに三十万もの『いいね』を獲得していた。

「このままいけば……」

 僕らの敗北は確定する。

 唯一の勝算があるとするなら、それは……。

 仕掛け(、、、)は終わった。

 あとは、運しだい。

 できることと言えば、祈るくらいだろう。

「頼む」

 そわそわと落ち着きのない表情で横たわるサクラノ。

 彼女に聞こえないよう、小さく呟いた。

 冬見あやせは長めの昼寝から目を覚ます。

 仕事場の柔らかいソファーの上。

 大きく欠伸をしながら身体を起こすと、日はとっくに沈んでいた。

「いま……何時?」

 目をこすり、机のスマホを手に取った。

 時間は、六時を回っている。どうやら、四時間も眠っていたらしい。

「ちょっと、寝不足、かな」

 力の抜けた声をこぼし、一度目より大きなあくびをした。

 寝不足にはきちんと理由があった。

『最後のイチニチ』をツイッターに上げた日、即座に編集からの着信があった。

 なんの相談もなしに、投稿したことを最初の数分だけ咎められた。

 そして、その後は、連載版の製作に入ること。

 担当編集の熱三が言うに、バズり具合は、あやせの代表作である『アヴァロンズ・サマー』を超え、門山大賞での優勝は間違いないらしい。

 だけど、あやせはその指示に頷かなかった。

「だって、私の優勝はきまってないもん……」

 信じた人がいた。

 誰よりも輝いていて、面白い物語を描く少年がいた。

 漫画の世界に入ってはや四年。

 面白い作品は、たくさん見てきた。でも、ひとつだって敵うものはなかった。

小学生だったあの日、ひとりぼっちだった自分に声をかけてくれた彼。

 差し出された自由帳に記された物語たち。

 胸が躍るワクワクも、恋の甘酸っぱさも、手に汗握るドキドキも、全部あの自由帳から学んだ。

「倒せるとしたら、ナツバの物語だけだから」

 担当編集の熱三は、あまり仕事熱心じゃないけれど、ねちっこさだけは一流だ。

 毎日電話をかけて来ては、新作を描けと、何時間も粘る。

 そのうえ、自分の出世という魂胆がすけてみえるから、性質がわるい。

「やっぱり、グイグイくる男の人は、苦手だな」

 精神と肉体、溜まった疲れに思わずため息をつく。

 それからあやせは、スマホをいじりだす。

 そして、

「新作?」

 首を重ねて、思わず笑う。

 一ヶ月待ちわびていた。『かしおぺあ』の新作が、投稿されていた。

「ナツバっ!」

 跳びあがりたくなる衝動を抑える。

 浮足だった気持ちのまま、膝を抱えたあやせは、最初のページを開いた。

 そこからは一瞬だった。

「すご……すごいよっ!」

 強引に、物語に引きずり込まれてしまう。

 前回の『ノスタルジー・ボマー』に負けない画力。

 思わず惚れてしまう、生きたキャラクターたち。

 作り手のこれに賭ける思いが伝わってくる。

 こめられた熱量、それが今まで読んだどの漫画よりも強かった。

「でも、想いひとつで面白い作品が生まれるなら……」

 だったら、技術なんて必要ない。

 画力は『ノスタルジー・ボマー』から続き、かなり高いレベルだ。

 ストーリーもより洗練され、プロに近いレベルに達している。

 どちらか片方で戦ったならば、あやせの『最後のイチニチ』は負けてしまうかもしれない。

 しかし、

「漫画としてなら、まだ、私が勝ってる」

 漫画の天才。冬見あやせの本能がそう告げる。

 作画とストーリーの総合数値。

 それが漫画の面白さだ。

 ひとつの漫画としてみたなら、『最後のイチニチ』は『星海、泣き空、忘れた季節』にギリギリ及ばない。けれど、

「ずるいよ、ナツバ……。こんな手、使うなんてさ」

 やっぱり笑顔と一緒に、サクラノはベットに身体を放る。

 しばらく、笑いは止まらなかった。

「やっぱり、ナツバはすごいやっ!」

 滲んだ涙を拭う。

 それから、少しだけ悩む。

「この『いいね』押したら、私たぶん、負けちゃうよね?」

 誰もいない部屋で、返事をする相手は勿論いない。

 それからもう少しだけ考え、あやせは画面のハートボタンに触れた。

「負けちゃった」

 九割の嬉しさに、一割の悔しさが混ざる呟きだった。

 そしてあやせは再び、一ページ目に戻り、物語を読み込んでいく。

 今度は、一ページ一ページ、しっかりと味わうように。

 彼女が読みこむその漫画。


『星海、泣き空、忘れた季節』には、セリフが無かった。


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