はっぴーえんど

唯一の光は僕の手に持つタブレット。

 ブルーライトの薄い明かりが、室内を淡く染める。

 投稿から約四時間。僕は次々と並べられる感想を、声に出して読み上げていた。

 横たわるサクラノにも聞こえるよう、はっきりと読み上げる。

 それと対照的に、聞こえる合図地は、力尽きるように小さくなっていた。

「あやせ……?」

 ツイッターの通知欄に、思わぬ名前が表示される。

 幼馴染。

 約束の相手。

 そして立ちはだかる、最大の強敵。

 どうして? 一瞬疑問が浮かんだけど、すぐに思い出した。

この大会において『いいね』に『おもしろい』それ以上の意味はない。

「ありがとな……あやせ」

 感謝の言葉を呟くと同時に、確信する。

 この漫画に込めた『賭け』は成功した。


 いつかバカバカしいと切って捨てたアイデアだった。

 世界一の小説をつくるためには?

 ふとした問いに、サクラノは答えた。

 英語で書いたら近づくんじゃないか。

 世界っていう大きな単位でみたら、日本語を使う人より、英語を使う人間のほうが多いんだから。

 より、多くの人に作品を見てもらえることになる。

 そこから考えた。

 もし、言語が物語を伝えるうえでの壁になるなら?

 だったらそんなもの取っ払ってしまえばいい。

 だから、僕はこの物語からセリフを消した。

 漫画でなら、あやせには及ばないかもしれない。

 でも、ツイッター漫画でなら?

 世界中のどこからでも、無料で閲覧が可能なシステム。

 これで僕らの漫画の対象は日本人、一億から、世界、七十億へと膨れ上がる。


 と、ガバガバな理論を立てた僕だったけど、これにはいくつ大きな壁があった。

 一つ目。

 セリフ無しで物語を成立させることが出来るのか。

 そして、愛されるキャラクターを生み出せるのか?

 この点については、ブタ野シンジュの武器。キャラクターの『生きた表情』が上手い方向に転がってくれた。

 物語は無事に動き出し、僕が苦手だったセリフ回しを排除することが出来ると副産物も生まれた。

 そしてもう一つの壁。

 門山大賞はあくまで日本の大会だ。

 一部の漫画通は見ているかもしれないけど、海外で拡散するのは難しい。

 だから、海外の有名人。もしくは、外国人のフォロワーを多く持つ人物に拡散を強力してもらう必要があった。

 まあ、一介の高校生である僕らにそんなコネがあるはずもなく。

 だから、僕はこの点を賭けと言った。


 そして、その賭けに僕らは勝った。

 いいや、勝たせてもらった、そう言った方が正しいのかもしれない。

 冬見あやせ。ハリウッドでの映画化も決まった、世界一の漫画家。

 そのフォロワーには、日本人以外も、当然多く含まれる。

 緩やかに伸びていた『いいね』。

 あやせの『いいね』の数分後。

 その数が、爆発的に伸び始めた。



 ブルーライトの強い光で、チカチカとする瞳。

 溜まった疲れもまとめて、大きなため息をつく。

 あやせの『いいね』が付いてから、経過すること二時間。

 その数は、百万まで達しようとしていた。

 あやせの描く『最後のイチニチ』の『いいね』数は、百四十万。

 この勢いなら、明後日には上回れるだろう。

「んっ――――――」

 座ったまま、身体を伸ばす。

 かれこれ六時間もパイプ椅子に座りっぱなしだった。おかげで、身体のあちこちが痛い。

 ずっと感想を読み続けてきたせいか、掠れた声が零れた。

「やった……!」

「そ……っか」

 帰ってきたのは、よわよわしい声だった。

 ベットに横たわる彼女は、まるで人形みたいに、ピクリとも動かない。

 一時間前から、ずっとこの調子だった。

 彼女を元気づけようと、感想を読み上げていく僕。後半は苦手な英語も訳していった。

 そのひとつひとつに、サクラノは丁寧に返事を返す。

 でも、出会ったあの頃みたいな、元気と無鉄砲は、もう鳴りを潜めていた。

 ただ、眠気を堪えるような、小さな声だけが、耳に届いた。

「勝ったんだぜっ! 俺たち、あの、冬見あやせに!」

「そう、だね……。嬉しい」

「できっこ無いだろって思ってた」

「私は、しんじてたよ……」

「うそつけ」

「うそじゃないもん」

 月の光だけが差し込む、夜の病室。

 僕らの呟きは、小さくて、微かだ。

 初めての漫画。『佐藤ちゃん』がバズりにバズった時とは大違いだ。

 やり遂げたことは、あのときよりもずっと凄いはずなのに。

「なあ、眠いか?」

「うん、安心したら……眠くなってきた。なんだか、まぶた、うごかないや」

「…………」

「ふしぎ、だな」

「何がだよ」

「心の中は、うれしい、でいっぱいなんだよ。でも、ねむくって、ことばになってくれないや」

「そっか……」

「とびはねたいんだよ。ナツにだきついて、おもわずキスとかしちゃうかも……」

「それは勘弁だ」

「こんな時まで、つれない……」

 それから少しだけ、沈黙。

 何かを考えていたんだろう、不安げな声が漏れた。

「ねえ」

「なんだ?」

「これ、ゆめ……じゃないよね。すごくうれしくて、でもどこかふわふわしてるから、もしかしたらゆめかもしれない……」

「安心しろ。夢じゃない。正真正銘、僕らは勝った」

「だったら――――よかった。しあわせ」

 消え入るような声に、胸の奥から何かがこみ上げた。

 勝負に勝った、嬉しい気持ち。それと、悲しい気持ち。

 たくさんの感情がぐちゃぐちゃに混ざってもう、わけがわからない。

 でも、ひとつだけわかっていること。

 僕は、涙を流したい。

 でも、そんなことはできない。

 この思いを、一滴でもこぼしちゃいけない。

 病室を出るまで、涙をみられちゃいけない。

 彼女のめいいっぱいの幸せに、水を差したくない。

 だから、唇を精一杯かみしめて、あふれ出しそうになる想いを、押し殺した。

「なあ、サクラノ」

「なに?」

「書きたい話、山ほどあるんだ」

 返事を待たずに、話し出す。

 いま言葉を止めれば、きっと耐えきれなくなる。

「僕の技術が追い付いてないっていったけどな、温めてた話はたくさんあるんだ。SFなんかも良いなって思ってる。核で滅んだ世界、そこを旅する歌姫と傭兵の話なんてどうだろう? ファンタジーも書きたい。実はバトルも好きなんだ。ひょろひょろしてるけど、これでも男だからな。刀鍛冶と少年と竜のお姫様のコンビが王の座を巡る争いに巻き込まれる話ってのもある。それから……ホラー、なんて興味はないか? 呪われた刀の伝説を求めて、曰く付きの村を訪れた大学生。そこに襲い掛かる謎の化け物。サクラノの表情を描く技術、それを恐怖に向けたらどうなるんだろう? 少し興味があったんだ……………」

 それから、

 それから、いったいどうなるんだろう。

 とにかく、しゃべらなきゃ。

 しゃべっていなきゃ、あふれ出してしまう。

 でも、焦る気持ちばかりが前に出て、頭が真っ白になった。

 僕は、何を話せばいいんだろう。

「たのしそう、だね」

 触れれば壊れてしまいそうな、細い声だった。

 顔を上げる。

 横たわるサクラノ。首を傾けた彼女は、うっすらと目を開いていた。

 瞳から零れる微かな蒼。それは、思わず息を呑むほど、綺麗だった。

「よんで、みたいな……。そのはなし」

「そ、そうだろっ! ネタだけなら、いくらでもあるんだ。サクラノが描いてくれるなら、僕はいくらでも原作を作るっ!」

 思わず叫んで、立ち上がる。

 必死だった。

 サクラノをこの場所へ繋ぎとめようと。

 どこかに、行ってしまわないように。

「かきたいな……。ナツの、ものがたり」

「そうだろ、だからっ――――」

 僕の叫びは、遮られた。

 もう弾まない、サクラノの声に。

「――――だめだよ。わたしはもう、もえつきた」

 噛みしめた奥歯が、ギリと軋む。

 わかっていた。

 サクラノは、『星海、泣き空、忘れた季節』にすべてをつぎ込んだ。

 夢も希望も、気力も、体力も情熱も。

 自分に残されていたもの。その全てを一滴たりとも残さず絞り切った。

 漫画に、命を賭けた。

 だから、もう駄目なんだ。

 彼女は満足した、だから立ち上がらない。

 サクラノは、ブタ野シンジュは、かしおぺあの作画担当は、もうペンを握れない。

「くーるきゃら、くずれてるよ」

 優しい声だった。

 もう僕にできることなんて、悪態を返すことぐらいなんだろう。

 いつもどおりに、これまでどおりに。

 悲しい涙を、サクラノは嫌うから。

「なにそのかお」

「……笑顔だよ」

「でも、ナツ、ないてる」

「嬉しいから、泣いてるんだ。僕らは勝ったから……」

 溢れてくる。

 どうしようもなく、とめどなく。

 ボロボロと頬をつたっていく。

 サクラノは何も言わなかった。

 ただ、いつもの優しい微笑みを浮かべ、目を閉じた。

「ねえ、ナツ?」

「……………………なんだよ」

「だいすきなさっかに、おはなし、つくってもらって、あこがれのまんがかにかって……わたし、しあわせ。だからこれは――――はっぴーえんど、だよね?」

「ああ、間違いねえ」

 僕の震える声を聞いたサクラノ。

その言葉の通り、彼女の浮かべた笑みは、心の底から幸せそうだった。

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