こりゃ敵わない
カレンダーを見て、もう一週間も経ったのかと驚いた。
あれから、ずっとパソコンと向き合っていた。
湧き出したアイデアを片っ端からメモにしていき、溜まったら物語として形にする。
でも、満足のいくものは一度もできない。
サクラノの作画。それと比べて、僕のキャラクター、セリフ、シナリオがどうしても足を引っ張ってしまう。
首も腰も痛い。
頭がふわふわとしている。
とにかく瞼が重い。
でも、
「もう、時間がないんだよっ!」
がむしゃらに向き合っていたら、何かの拍子で信じられないほど面白い原作が出来上がるかもしれない。
もう、十数本目になるエナジードリンクを一気に煽り、気合を入れる。
疲れきった舌は薬みたいな独特な甘さも、とっくの昔に感じなくなっていた。
ちょうどその時、ドアをノックする音が聞こえた。
集中力も、もう残りカスほどしかなかったから、些細な音が耳に障る。
「気にすんなって言ってんだろっ! しばらくほっといてくれっ!」
十六年。
それなりに孝行息子をやっているつもりだったけど、つい怒鳴り声をあげてしまう。
「今だけなんだ……。だから――――っ!」
だけど、そんな僕の声なんて無。容赦もなく扉は開かれる。
「よっ」
手短な挨拶と一緒に、片手を上げる。
そこに立っていたのは、父さんでも母さんでも、なかった。
「桃冶……?」
「うわっ! 部屋めっちゃ散らかってんじゃねえか。おばさん心配してたぞ」
そういうなり、遠慮なしに部屋に上がり込んできた桃冶。
制服にボロボロのスポーツバック。
ワックスで固めた髪が乱れていない。今日の部活はなかったらしい。
床に散らばした、資料をどかし、あぐらをかいて座り込む。
「なにしにきたんだよ」
つい、不満げな声が出てしまう。
「いつもは真面目な友人が、一週間も無断欠席ときた。心配してきたんだよ」
ま、ちょうど部活も休みだったしな。
そう言いながら、桃冶はバックからコンビニのビニール袋を取り出した。
「そこのコンビニで買ったんだ。食うか? 上手いぞ」
差し出されたのは、まだ湯気のたつピザまんだった。
「いらない。腹に物いれると眠くなる」
「無断欠席の理由は小説か。ま、わかってたけどな」
素っ気なく言い、桃冶はピザまんを頬張った。
「おっ! アヴァサマじゃん。俺これ途中までしか読んでなかったんだよね」
「勝手に人の本棚から漫画を持ち出すな」
「いいじゃん。俺らの仲だろ」
人の制止も聞かず、桃冶は五冊ほどコミックスを取り出し、開き始めた。
「なんだこれ、ボロボロじゃん。何回読み返したんだよ……。先生もアヴァサマ大好きなんだな!」
「…………別にいいだろ、なんでも。というか、僕はこの通り無事だ。用は済んだだろ?」
「そんな世紀末みたいな顔色してるやつを無事とは言わないと思うけどな。なんか部屋の所々に血ぃ付いてるし」
「僕を止めにきたのか?」
「まさか、止めた程度じゃ止まらないだろ、先生」
先生のそういうところが好きなんだけどな。
コミックスから目を離さず、桃冶はそう言った。
「まあ、とは思ってたけど、今日の先生はやっぱり少し変だ」
「何がだよ。小説で周りが見えなくなるなんて、昔からだろ」
「それはそうだけどな。うーん、前までの先生は迷いがなかった」
「迷い?」
「そうそう。プロになれないし、色々不安もあったみたいだけどさ、小説を書くことだけは迷わなかったじゃん」
「報われるためには、ひたすら努力するしかない。そう思ってるからな」
「でもさ、今回は違うだろ? この努力であってるのかって、迷ってる風に見えるぜ」
「え?」
図星だった。
このままやっていて、本当にあやせに勝てるのか。
がむしゃらに頑張り続けながらも、ぼくはずっと迷っていた。
「わかるのか?」
「ボロボロの先生と、散らかった部屋を見たらなんとなく、な」
そして桃冶は顔を上げて、僕を見た。
「小説とか、シナリオとかまったくわかんねえけどさ、なんか悩んでんだったら、話くらい聞くぜ。根詰め過ぎても良い物なんて出来ねえって、俺でも知ってるぞ」
「…………」
数秒だけ押し黙る。
駄目だ。こりゃ敵わない、僕の負けだ。
深いため息をつき、桃冶と向き合うように腰を下ろした。
「ピザまん、もらえるか?」
「まいどあり、二つ買っといてよかったぜ」
一週間ぶりのまともな食事だ。
とろけたチーズとトマトの酸味が舌に優しく触れた。
「っつっても、ホントに凄い顔になってるぞ、クマとかすげぇでけぇし。ちゃんと寝てんのか?」
「ここしばらく。三日くらい寝なかったら、急に意識が飛ぶようになった」
「ははっ、それ気絶っていうんだぞ」
いつもは少し多いくらいのピザまんが、今日はあっというまに無くなった。
「ほんとに、悩み、聞いてくれるのか?」
「ああ、俺たち友達だろ」
「たとえ話になるけど、いいか?」
「おうとも。俺で良いならいくらでも聞くぞ」
いつもの爽やかな笑顔を浮かべる桃冶。
ビニール袋から取り出した、中華まんを半分に割り、差し出してくる。
今度の中身はあんこだった。僕は黙ってそれを受け取った。
「…………桃冶、サッカーやってるだろ?」
「おう。小学校の頃からだな」
「それで、一人の女の子がいるんだ」
「わかったぞ。その子が俺に惚れてるんだろ?」
「ちょっと違う。彼女は桃冶じゃなくて、桃冶のプレイが好きなんだ。お前の目の前には現れないけど、彼女はずっと、影から応援していた」
「残念……。ま、それでも嬉しいけどな」
そう、嬉しかった。
サクラノが、僕の物語を面白いと言ってくれて。
「でも、彼女には秘密があった」
「秘密?」
「そうだ。彼女は難病を持っていたんだ。そして、その命はもう尽きようとしていた」
「待て待て待て! 甘酸っぱいラブコメだなぁ、と思って聞いてたら、いきなり重たい話しぶち込んできたな!」
だって仕方ないじゃないか。
僕だって驚いた。
いや、本当はうすうす気付いている部分はあったけど。
それでも、その事実をから目を背けていた。
「あくまで例えの話だよ」
「だよなぁ。そんなドラマみたいな話、実際あるわけないもんな!」
「…………」
「先生、なんか凄い顔してんぞ」
「何でもない」
話を続けよう。
「で、その女の子は言うんだ、『最後に桃冶君が格好良く打ったシュートが見たい』って」
「まあ、最後の願いっつうなら、叶えてやりたいよな」
「そして迎えた試合当日、ゴールの前に立っていたのは、世界一のゴールキーパーだった」
「いよいよ現実味が薄れてきたな……」
そうだよな、現実味なんて無いはずなんだよな。
話してる僕も不安になりそうだ。
でも実際、僕の前に立っているのは、間違いなく世界一レベルの漫画家だ。
「話はここまでだ、こんな状況だったら、お前はどうする?」
「どうするっつわれてもな」
現実味がないと言いながら、桃冶は眉間に皺を寄せてくれた。
正直、笑い飛ばされるかとも思ったけど。こいつは真剣に悩んでくれている。
やっぱり、桃冶が友達でよかった。
「気合いで何とかする……じゃ、駄目か?」
「桃冶は世界一のプロを、気合だけで超えられるのか?」
「無理だな。あとは、毒を盛るのとかもなしだよな?」
「平然とラフプレーを持ち込むな」
相手はあやせだ。
引っ込み思案で幼馴染の女の子。
卑怯な手段で勝つのは論外だ。
それに、自分で作った作品で勝たなくちゃ意味はない。
「これでも、真面目に考えてんだぜ。でもなぁ……」
桃冶は難しい顔を浮かべたままだった。
そりゃそうだ。
簡単に超えられないから、世界一なんだ。
僕がこんなところで、なにか悩んでいたところで何か変わるわけじゃない。
僕は愛想笑いを浮かべた。
「ありがとな、話だけでも聞いてくれて」
「いや、あれだけ格好つけたのに、本当に聞いただけで終わっちまった」
「いいんだよ。話を聞いてくれて。本当に、気が楽になった」
すべきことが確認できた。
世界一のゴールキーパー相手に正面から点を取るには。
そんなの、決まってるじゃないか。
奇跡が起きるまで、シュートを打ち続ける。
十回。
百回。
千回繰り返す。
もしかしたら、何かの偶然でスーパーシュートが打てるかもしれない。
つまりそう言うことだ。
僕は書き続けるしかない。
奇跡に縋るしかしか、選択肢は残されていないんだから。
立ちあがった僕は、再びパソコンのもう一度パソコンの前に立つ。すると、背中に声を掛けられた。
「ひとつ、いいか?」
「なんだ?」
「これは解決策じゃない。人によっちゃあ、逃げっていうのかもしれない。でも、俺だったら絶対にこうする! ってことがあるぜ」
「何、するんだ?」
尋ねる僕に、桃冶は胸を張る。
「話す、その女の子と。考えてて思ったんだよ、向き合うべきはゴールキーパーじゃねえ、病弱な女の子だろ」
思わず眉をひそめて、振り返った。
「……どういうことだよ」
「難しいことは言ってないぜ。その願いって一方的に託されたもんだろ? それを背負って、勝手に無理だって諦める、これって変じゃないのか?」
「…………じゃあ、どうすればいいんだよ」
「だ、か、ら、話す。女の子の胸の内聞いて、彼女の願いが如何に難しいことかを説明して、それでも全力で頑張るって約束する。これが一番フェアで、誠実なやり方だと思うけどな」
桃冶はそう言って、ニシシと笑う。
「向き合うって、今さらそんな――――」
口に出して、言葉は詰まった。
確かに、僕らの積み重ねてきた時間。それは、半年という期間だったけれど、決して短いものじゃなかったはずだ。
でも、僕はサクラノの胸の内を知らない。
寿命のことを聞いたのも、つい一ヶ月前だ。
僕の作品に、どうして命を賭けるのか。
あの屋上での出会いより前から、僕を知っていたのは何故か?
そして、彼女の運命を変えた物語。
「僕は……」
桜木初野という少女を、何も知らなかった。
「なんか、気付けたみたいだな」
桃冶の表情が満足気な笑みに変わる。ちょうどその時、彼のスポーツバックからバイブ音が鳴る。そして、取り出したスマホを耳に当てた。
「あ、うん、ちょうどよかった、今行く」
そんなやり取りを繰り返してから、スポーツバックを肩にかけ、立ち上がった。
「帰るのか?」
「ああ。こないだの試合の前日、うちの部のキャプテンが意中の女子に振られてな」
「災難だったな……」
「そりゃもう最悪よ。おかげで試合はボロ負け。二十三点差なんて、なかなか拝めないぜ」
「それは良いネタになりそうだ」
「やめろよ。こっちはなだめるのに必死なんだ。今日もこれからカラオケ。失恋ソングを二時間ぶっ続け。あれ、きついんだよなぁ」
ぼやきながら、身体を伸ばす。
「でも、調子は戻ったみたいだな。ったく、世話が焼けるぜ」
「ありがとう。桃冶が友達でよかった」
「いいってことよ。あ、今度ラーメン奢りな」
「餃子とチャーハンも付けよう」
「お、ラッキー、まいどありぃっ!」
彼の笑いにつられて、思わず口角を持ち上げた。
桃冶を玄関に見送ってから、スマホの電源を入れた。
一週間分の着信が、少し、溜まっていた。
学校の担任。
そして、サクラノ。
ゆっくりと息を吸い込む。
それから、発信ボタンを押した。
ぷるる、と呼び出し音。一回でガチャリと音が鳴る。
「ナツッ!」
たった一週間しかたっていないはずなのに、随分懐かしい声がした。
「サクラノ…………ごめん、まだ原作書けてないんだ」
「気にしないで、大丈夫だよ。身体、壊してない?」
「問題……なくはないな。ちょっと足元がふらつく」
気が緩んだからか、一週間分の寝不足と、不摂生がまとめて押し寄せてきた。
「え、大丈夫なの?」
「ははっ、なんとか」
「倒れる寸前の社畜サラリーマンみたいなトーンになってるよ……」
電話の向こうから、呆れた声が帰ってくる。
「まあ、一日くらい大丈夫だと思う。それでさ、サクラノ。話があるんだ」
話を切り出そうとする。
だけど、サクラノは僕の声を遮った。
「待って、その話、すごく大事な話でしょ?」
「まあ、大事な話と言えば……そうだな」
「だったら、直接話そうよ。ちょうど、私も話したいことがあったからさ」
「……わかった。今から言って間に合うよな?」
時計の針が示すのは十八時。
自転車をかっ飛ばしていけば、三十分くらいなら、話す時間をつくれるはずだ。
「それなんだけどさ、もうひとつ聞いてもらっていい?」
「なんだよ」
「時間、もうちょっと待ってよ」
「でも、面会時間は二十時までだろ?」
「まあ、そういうルールもあったりなかったりするけど――――とにかく、今夜一時に、千代病院の前にきてよ」
いいもの、みせるからさ。
電話の向こうのサクラノは、たぶんパチリとウインクをした。
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