才能

「ごめん、今日も『佐藤ちゃん』の最新話、書いてこれなかった」

 この言い訳をするのも、今日で三回目だった。

「大丈夫! 物語は腹を痛めて産むものだもん。ブランクくらい誰にでもあるよ」

 グッジョブと親指を突き出したサクラノ。

 彼女の余命の話を聞いてから、二週間が経っていた。

 サクラノ体はどんどん小さくなっていた。

 いや、骨と皮の痩せこけた体形自体は変わっていないけれど。

 筋肉が減ったんだと思う。

 そのせいで身体を支えるのが難しくなり、だんだん姿勢が前かがみになって来る。

 もう、見ているのでさえ、辛かった。

「一応、頭の中では出来上がってるんだ」

 これも、嘘だ。

 サクラノの事実を聞いたあの日から、やっぱり一文字だって書けやしなかった。

 パソコンの前に座ると頭が真っ白になる。

 命を賭ける価値のある物語。

 できやしない、そんなもの。

 そういうのはノーベル賞を取ったとか、なんだか偉い作家が書くものだ。

 僕なんて、作家を目指すだけの男子高校生。

ほら、やっぱり荷が重い。

 でもそんな期待のひとつにだって答えられない僕に、サクラノは微笑みかける。

「ありがとね、ナツ」

「なにが?」

「毎日きてくれて」

「生憎、仲のいい友達もいないんだ。むしろ暇つぶしにちょうどいい」

「……ツンデレ。ばーか」

 サクラノは頬を膨らませた。

 ここ二週間、毎日サクラノの病室を訪れていた。

 全速力で、学校から自転車を飛ばし、面会終了時刻のギリギリまで一緒にいる。

 別に目的という目的はない。

 ただひたすら、意味のない会話を積み重ねていく。

 僕は文庫本を片手に、彼女はタッチペンを握りながら。

 正直、サクラノが弱っていく姿を見るのは辛い。

 でも、それ以上に、自分の物語に命を賭けた彼女に、少しでもなにかを返したかった。

 ページをめくる音。

 タッチペンが液晶にぶつかる音。

 時間はゆったりと、それでも確実に前に進む。

 だから、その残酷な一瞬は唐突に訪れた。


「え」

 夕日が差し込む、金色の部屋にサクラノの声が響いた。

 妙に悲し気な声だった。

 そして、彼女の手にあるタブレットが零れて、カチャリと音が鳴った。

「……大丈夫か?」

 ギシと音をたて、パイプ椅子から立ち上がる。

うつむけに落ちたパールピンクのタブレットに手を伸ばした。

「ナツ、それ……」

 声はどうしてか震えていた。

 力なくさされた指は、まっすぐ手に持つタブレットに向けられていた。

「どうしたんだよ。タブレットに虫でもついてたか?」

「違う、画面……見て」

 彼女にサクラノに言われるままに、タブレットを裏返す。

「なんだよ、これっ!」

 僕も、言葉を失った。

 そこに映っていたもの。

 飽きるほど見た『#門山大賞』のツイート。

 画像として並ぶ四つのページ。

 そして、それを投稿したアカウント。

それはよく知る少女だった。

「―――――――――――あやせっ!」

 タブレットを放って返し、ポケットからスマホを取り出す。

 検索アプリを開くと、速報でニュースが出ていた。

『アヴァロンズ・サマー 冬見あやせ、新作短編を公開⁉』

 ツイッターを開いてみても、トレンドはすべて、あやせ関連のワードで埋め尽くされていた。

「なんでだよっ! なんでだよっ! なんでだよっ!」

 思わず叫んでいた。

『ノスタルジー・ボマー』は負けちゃいけない。

 なのに、

「どうして目の前に立ちはだかるのが、お前なんだよっ!」

 いくつかのサイトを一巡して、初めのツイートに戻って来る。

『最後のイチニチ』

 そう名付けられた漫画。

 ハッシュタグに、門山大賞。

 付けられた『いいね』はすでに『ノスタルジー・ボマー』の八十を越していた。

「あ、あ……」

 血の気が引いていく。

 頭の中は真っ白だ。

 濁流みたいに押し寄せて来る絶望に、脳みそがボイコットを起こした。

 だから僕は無意識のまま、震える指で漫画を開く。

 

 そして、打ちのめされた。


 あやせの漫画は面白かった。

 それこそ、読み始めから終わりまで、息をするのも忘れてしまうほどに。

「ははっ……。なにがSFとかファンタジーは、ツイッターじゃウケない、だよ」

『最後のイチニチ』は遠い未来、人類最後となった十一人をメインに添えたバトルファンタジーだ。

 難しい設定。

 数の多いキャラクター。

 それらがふんだんに盛り込まれているのに、勢いのある展開が、わかりづらさを感じさせない。

 演出、構成、セリフ回し。

 それらは僕の十年の努力をはるかに凌駕している。

 ツイッターでの流行、ジャンルの有利、不利もすべて無視。

 文句のつけようがない『面白い漫画』を打ち出すことでねじ伏せる。

 “漫画”という同じ舞台に立った今だからこそわかる。

 冬見あやせは天才だ。

 心の隅に、わずかな打算があった。あやせは今だ熱冷めぬ、人気漫画の作者。

だから、この漫画についてるほとんどが、前作のファンがつけたもの。純粋な面白さだけなら、僕らの漫画が勝っているんじゃないかと。純粋な漫画のおもしろさで負けたわけじゃない。そんな言いわけができるものと思っていた。

 だけど、そんなことはなかった。

 あやせの漫画は、暴力的だ。無理矢理にでも、読者の心を奪っていく。

 負けた。

 ノスタルジー・ボマーより明らかに、この漫画はおもしろい。

「作画なら、勝ってるのにな」

 一枚一枚の絵の迫力。

 キャラクターの立ち絵、その完成度の高さ。

 圧倒される背景。

 その要素だけ取り出せば、ノスタルジー・ボマーは勝っている。

 でも、漫画としての総合値が一桁足りない。

 つまり、負けているのは……。

「自分を責めないでよ。ナツのせいじゃない」

「いや、僕のせいだ。僕の話があやせに負けてるから」

 そこまで言って我に帰る。

 色素の抜けた青い瞳が、不安気に僕を覗き込んでいた。

 いや、駄目だろ、僕。

 サクラノ前でだけは、弱音は絶対に吐いちゃいけない。

 今にでもあふれ出てしまいそうな感情を抑え、ムリに笑顔を浮かべた。

「ごめん、少し取り乱した」

「少し、なんかじゃないと思うけど」

「ほんと、大丈夫だから」

 駄目だ、やっぱり上手く誤魔化せそうにない。笑顔はぎこちないし、握り込んだ手のひらに刺さった爪が痛い。

 これ以上、サクラノの前にいるのはよくない。

 スマホをポケットにしまい、乱暴に荷物を手に取る。

「今日はもう帰るよ」

「待ってよ」

「……なんだよ」

「原作……書くの?」

「そうだよ、もう時間がないだろ」

 締め切りは十二月。

 あと二ヶ月も時間がある。

 でも、サクラノはもう二ヶ月も待てない。

 身体はどんどん痩せ細っていく。

 一ヶ月を過ぎれば、ペンを持つのだって辛くなってくるはずだ。

 だけど、それでも彼女は描く。

「原作渡せば、サクラノ、死ぬ気で描くよな」

 睡眠時間も、体力も、気力も。

 文字通り、命を削って漫画を描く。

 それができるのは、たぶん次で最後だ。

「取ろうって言ったもんな。門山大賞。ここまで来たのに、諦めきれねえよ」

「そんなの……」

「安心しろよ。僕だって頑張る。頑張って、睡眠時間削って、設定のひとつひとつまで作り込んで、絶対に、一番が取れる作品を持ってくる」

 それから、何か言いたげな瞳から背を向け、病室を抜け出した。

 気が付けば、自宅にたどりついていた。

 病院から家までの、記憶がすっぽり抜け落ちている。

 よろよろとおぼつかない足取りで、階段を上る。

 それから、コートも脱がぬまま自室のベットに身体を投げ出した。

「うわあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 叫ぶ。

 いっそ喉が張り裂けてしまってもいい。

 ただ今は、吹きあがる悔しさが、どうしても抑えきれなかった。

「なんでだよっ! なんでだよっ! なんでだよっ!」

 負けた。

 負けた。

 負けたっ!

 完膚なきまでに、負けた。

 賭けてきた時間。気力。犠牲にしたもの。

 それだけなら、誰にも負けないつもりだった。

 でも、結果は物語る。

 あやせの漫画が、僕の漫画以上に面白い。

 いい勝負ですらない。

 百人いたら、百人があやせに軍配を上げる。

「なんでだよぉ……。なんで、こんなに遠いんだよぅ」

 初めは同じ場所のはずだった。

 見たのは同じ夢のはずだった。

 でも、あやせの背中は、こんなにも遠い。

「才能なのかよぉ。それが、すべてなのかよぉ」

 サクラノの作画で面白い漫画を作れた。

 あやせが三年前に獲った『門山大賞』。

僕らの漫画は、てっぺんに手が届くところまでたどり着いた。

今度こそ彼女に追いつけると思っていた。

 でも、違った。

「これ以上、何、捨てればいいんだよぉ」

 涙が止まらない。

 喰いしばった奥歯が痛くなる。

 握り過ぎた手のひらが、血でヌルりと滑る。

 勝てない。

 今の僕の持ってるもの。

それをすべてぶつけても、あの天才を倒すビジョンが浮かばない。

でも、

「勝てないかもしれない。でも、勝たなきゃいけない」

 僕に賭けると言ってくれた人がいた。

 あまりにも報われない人生の最後に、僕と漫画を描くことが、幸せと笑う少女がいた。

 だから、悔しがっている暇は無い。

 創作は、書かなきゃ前に進めない。

ベットをよろよろと立ち上がる。

 ちょうどその時、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 夜の闇でまっくらな室内に、廊下の電灯が差し込んでくる。

「ちょっと! 帰ってきて早々、二階に引っ込んだと思ったら、大声上げたりして。近所迷惑でしょ!」

 ごめん、母さん。

 今は返事してる暇がない。

 机に置かれた、愛用のパソコンにたどり着く。

「って、なにそれっ! あんた手、血まみれじゃない!」

 画面が開き、ブルーライトが視界いっぱいに飛び込んでくる。

 さぁ、書こう。

 母さんの声を意識の外に追い出し、僕は物語を描き始めた。

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