彼女は僕に賭けた

「もしもしっ! 珍しいね、ナツの方から電話かけてくるなんて」

 家に帰った僕。

 散々迷ったすえ、電話をかけた。

 スピーカーの向こうから聞こえる声が、いつもどおり明るくて、何かがこみ上げてきた。

「ナツ、あれ? もしも~し」

 どうしよう。

 あれを聞こう。

 あれを謝ろう。

 あの夢を語ろう。

 一時間もかけて、サクラノと何を話すか考えたクセに、いざとなれば言葉が出てこない。

 彼女は僕に賭けた。

 万年作家志望で、昔の約束にいつまでも囚われる、僕なんかに。

「取ろうなっ! 門山大賞」

 電気も付けない部屋の中で、声を張り上げる。

 なにを言っても、間違いになるような気がしたから。これが僕の言える精一杯だ。

 それでも、僕の様子がおかしいことに、サクラノは気付いたらしい。

 電話の向こうの声が、少しだけ沈んだ。

「そっか。さっきツンちゃんが、申し訳なさそうな顔してたのは、これだったのか」

「ごめん。全部聞いた」

「謝らないでよ。むしろ悪いのは、大事なこと秘密にしてたこっちだし」

 たぶん、いま彼女は寂しそうな顔をしている。確証はないけど。

「ごめんね、勝手に重たいモノ背負わせちゃって」

「……ほんとだよ、いい迷惑だ」

「もっと早く言うつもりだったんだ。でも、私の中で君がどんどん大きくなった」

「……そうか」

「これ、教えたら君との関係は壊れちゃうでしょ?」

「……そうかもな」

 プロでもない自分のペンに、女の子が命を賭けた。

 つまらない物語なんて書き出せば、彼女の想いは、命は無駄になる。

 それが、怖い。

「初めてだったんだ。真っすぐ生きることより、関係が壊れるほうが怖いと思ったのは」

 沈黙が重なる。

 時間にしたら、数秒。

 でも、長い沈黙ってやつだ。

 それから、先に口を開いたのは、僕だった。

「なあ、『ノスタルジー・ボマー』、門山大賞、取れると思うか?」

 押し出した声が、思った以上に震えていた。

 つい先日、サクラノが口にした質問。

「大丈夫だよ。だって、私の大好きな作家が書いた物語だもん」

 優しい声だった。

 怯える僕を、安心させようとする。そんな声。

 サクラノの方が、僕なんかより、ずっと辛いものを抱えているはずなのに。

 胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。

 触れた優しさが、ひどく切ない。

 ほんとだ、コイツ馬鹿だ。

 声を震わせた上遠野さんの気持ちが、ほんの少しだけ理解できた。

「ナツバ?」

 薄暗い仕事場。

冬見あやせは首を傾げた。

 思うように進まない新作の構想。

 その休憩がてら、ぼんやりとスマホを眺めていた時だった。

 あやせは、あるツイートを見つけた。

 彼女自身も思い出深い門山大賞。

そのタグがつけられたツイートだ。

 タイトルは『ノスタルジー・ボマー』。『いいね』の数は八十万。

 もの凄い数字だ。『いいね』の数だけでみれば、歴代の受賞作でも二番目にあたる。

そのタイトルになぜだか心が強く引かれた。

 ページを開き、じっくりと読んでいく。

 心はすぐに引き込まれ、あっというまに最後のページにたどりついた。

 一ページ一ページ精緻に描かれ、ものすごい熱量を感じる作画。

 シンプルに凄いと思う。

 この二十八ページのレベルを仕上げるのは、たとえプロだって簡単じゃないだろう。

 でも、あやせが妙に引っ掛かったのは、作画ではなくストーリーの方だった。

 初めは予感だった。

 でも、二周目。

 それは確信に変わる。

「やっぱり、ナツバだ!」

 もちろん、技量は大きく進化してるし、アイデアも子供のそれと大きく変わっている。

 でも、大事なところは変わっていない。

 あの自由帳の物語。

 上手く言葉にはできない。

 でもあの頃と同じ、日なたのような優しさをこの漫画からも感じた。

「どんな手段を使ってでもって、こういうことだったんだっ!」

 何度も何度も読み返す。

 こみ上げてくるワクワクやドキドキも、やっぱりあの頃と同じまま。

 それが嬉しくて、ついついニヤけてしまう。

「え、えと。感想は……」

 セリフを全部憶えてしまうくらい読みこんで、それからあやせは『ノスタルジー・ボマー』に書き込まれたコメントを読んでいく。

「あれ?」

 首を傾げた。

 おかしい。

 並ぶのが絵の感想ばかり。

 ストーリーについての感想が、あまりに少ない。

「これじゃあ、絵が凄いから人気になったみたい」

 作画は確かに凄い。

 でも、ナツバのストーリーだって負けないくらい凄い。そのはずだ。

「駄目、だよ……。もっと、ナツバの話、皆に凄いって知ってもらわなくちゃ」

 何より好きな、ナツバの作品をもっとたくさんの人に読んで欲しい。

 面白いと言って欲しい。

 そのためにはどうすれば良いだろう?

「そっか! 簡単だよっ! ナツバにもっと面白い話を考えてもらえばいいんだっ!」

 自分がこれより凄い物語を書けば、負けず嫌いの彼は、それをさらに上回る作品を書いてくる。

 あやせは思う。我ながらナイスアイデアだ。

 ふ……。

 ふふっ……。

 ふふ、ふふふっ……。

 笑みが勝手に零れて来る。

 やることは決まった。だったらすぐに行動に映そう。

 床に投げ捨てたタッチペンを拾い、液晶と向き合う。

 ナツバのことを考えただけで、アイデアが溢れてくる。

「まっててね、ナツバ! 私が、もっともっと、面白い話を描かせてあげるっ!」


 門山大賞、歴代最高『いいね』数、百十一万。

 アヴァロンズ・サマー

 その作者、冬見あやせは動き出す。

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