はじめに聞いておきます

「ここであってるよな?」

 スマホのメモ帳と、グーグルマップを見比べる。

 上遠野さんが指定したのは、駅前の裏路地にポツンと建つ喫茶店だった。

 ショッピングモールが立ち並び、この地域で最も賑わう千代駅前。

 だけど、人の絶えない大路とは正反対に、裏路地は少し不気味な静けさがある。

「なんか、知る人ぞ知るって感じの喫茶店だな」

 西洋風の『ザ・喫茶店』みたいな外装をしているクセに、店頭に置かれているのは木彫りの招き猫と、龍の置物。刺さる国旗はサウジアラビアとフランス。

 なんというか、全体的に統一感がない、不思議なお店だった。

 現代に潜む魔女たちが、この喫茶店を集会所にしている。

 そう言われても、多分驚かないだろ……。

 店の前をうろうろすること数分。

約束の時間ももう迫っている。

「こ、こういうのは勢いが大事だよな!」

 意を決した僕は、一度深呼吸してから、扉に手を開けた。

 カランカランと鳴るベルの音。

 それを聞き、厨房から店員さんがひょっこり顔をだす。

「イラシャイマセ!」

 片言の日本語で出迎えてくれたのは、お洒落なちょび髭きまるインド人のお兄さんだった。

「ナンメイサマ?」

「あ、え、えと……。ここで約束していて」

 店員さんのインパクトの強さに、返事がしどろもどろになってしまった。

「ああ、レイコさんの、知り合いネ?」

「れ、レイコさん。え、えと……たぶんそうです」

 以前、サクラノから聞いた上遠野さんの名前がそんなんだった気がする。

「レイコさん、もうキテルヨ! 奥のテーブルいるネ!」

「あ、えと……。ありがとうございます」

「レイにはオヨバナイネ!」

 やたら人の好さそうな笑顔を浮かべる店員さんに、頭を下げ僕は教えられた席へと向かった。


 お洒落なジャズが流れ、不思議な置物が並べられた店内。

 思ったよりも広いそこに、テーブルにちらほら客が座っている。

 上遠野さんの整った容姿は目を引いた。

 グレーのニットにネイビーのパンツ。普段は見慣れない私服姿なのも相まって、一瞬だけドキッとしてしまう。

 まあ、その容姿に惹かれて声を掛けた男たちは、あの毒舌のせいで、酷い目にあうんだろうけど。

 窓際のテーブル席で、退屈そうにコーヒーをすする彼女の向かいに僕は座った。

「私を待たせるなんて、なかなかの度胸をしているようですね」

 ほら、開口いちばんこれだ。

「一応時間には遅れてませんけど」

「私との待ち合わせです。三時間は早く到着するのが常識です」

「どこの常識だ!」

 相変わらず暴君みたいな物いいだ。

 思わず眉根に寄せた僕に、上遠野さんはメニューを差し出した。

「選びなさい。あなたの自腹です」

「僕の立場でいうのもなんですけど、そういうのは大人が子供に奢る時にする態度です」

「それは一応検討しました。見ての通り、私は大人ですから」

「……確かに見た目だけは大人ですね」

「ですが、今月分のお小遣いがニ十分で消えました。ガチャの向こうへ。なので今回は奢れません」

「こんな大人になりたくないな!」

「安心してください、自分の分は自分で払います」

「アンタ、あわよくば僕に出させる気だったな」

 軽く睨むと、上遠野さんはサッと目を逸らす。ほんと、いつだって僕の予想の斜め下をくぐり抜けてくる人だ……。

 若干不思議な雰囲気を醸しながらも、さすがは喫茶店。メニュー表に並んだ、呪文みたいなコーヒーのどれを選ぶか迷ったけど、結局一番安いブレンドコーヒーを選んだ。

 インド人の店員さんを呼び出して注文。

 それから、上遠野さんに向き直る。

「で、なんの用ですか?」

「……一番最初に聞いておきます。あなたは漫画に命を賭ける気がありますか?」

 妙に威圧感を出してきた。

 真っすぐに僕に向けられた視線は、気が抜けたさっきまでのそれと違う真剣味がある。

「そりゃ、ありますよ。僕だって、物語を作るために色んなもの犠牲にしてますから」

「…………わかりました。その言葉、忘れないでください」

 どこか悲しそうに呟き、ため息をついた上遠野さん。

 それから、一口カップのコーヒーを持ち上げてすする。

「ちょ、今の質問、どういう意味ですか!」

 僕の問いに上遠野さんは答えなかった。

 それなのに、もう一つ、僕への問を口にする。

「あなたは、桜木さんの病状をどこまで知っていますか?」

「どこまでって、そりゃ……いつ心臓が止まるかわからない、っていうのしか知りませんけど」

「本当は口止めされているんです。ですが、あなたはその事実を知る責任があると思う」

「口止め、事実、責任? なにを言っているんですか?」

 僕の問いに、上遠野さんは苦しそうに唇を噛む。それから、ゆっくりと顔を上げる。向き合った表情は、なにかの覚悟を決めたみたいだった。

 嫌な予感がした。


「桜木さんの余命はあと三ヶ月。持って、今年の末までしかありません」

「え」


 雷でも落ちたみたいな衝撃が走った。

 心臓がドキリと跳ねて、頭に血の気がさぁ引いていく。

「う、そ……ですよね」

「いいえ」

「いつも通りの悪口ですよねっ!」

「だから違うと言っていますっ!」

 叫びが店内に響き、視線があつまった。

 息を切らした上遠野さん。「ダイジョウブ?」心配げに近寄る店員さんに頭をさげ、もう一度僕へと向き合う。

 涙こそ流れていない。だけど、その瞳は血走っていた。

「別にあなたのせいと言うわけじゃありません。この診断はすでに昨年の冬、ちょうど一年前から下されていました」

 思い当たる節はあった。

 サクラノのやりたいこと。メントスコーラ、屋上プール、病室の出入り。普通なら許可なんて下りないだろうけど、病院の職員さんたちは彼女への判断が甘かったように感じる。

 それも全部、余命がわずかだったから。

「もう気付いているかもしれませんが、桜木さんはその苗字の通り、桜木財閥のご令嬢です」

「桜木財閥って」

 国内産の自動車メーカー、食品業、それにエンタメ系の芸能事務所まで。日本人なら誰でも知ってる大企業だ。

 その創業者が出身ということで、千代の街の発展にも多大な貢献をしてきた。千代病院も桜木財閥の出資で作られていたはずだ。

 苗字でなんとなく想像はしていたけど、本当だったのは驚いた。

「桜木さんのご両親にあったことはありますか?」

「いえ、それどころかあいつから親の話なんて、一度も聞いたことないです」

「それも仕方ありません。桜木さん自身、もう五年も会っていませんから」

「五年っ?」

「弱者は早々に斬り捨てる。大企業特有の考え方なのでしょう。身体に大きなハンデを背負う彼女は、真っ先に斬り捨てる対象だったんでしょう」

「そんな……」

「一応、情はあったのでしょうね。彼女の両親が莫大な治療費を出したおかげで、彼女はこの歳まで生きることができました。でも、ギリギリまで引き延ばした命にも、もう限界は訪れようとしています」

 何かを堪えるように言い、瞳を伏せた。

「桜木さんは、自分が不幸だなんて口が裂けても言いません」

「あいつは、自分の幸せを疑いませんから」

「バカなんですあの子は。家族から見放されて、重い病気を背負って、病室の外の世界も知らないで、それでも自分は幸せだって、心の底から笑うんです。それを何年も見せられるこっちの身にもなってくださいよ」

 サクラノと、あの病院の人々は家族同然の時間を過ごしてきたんだろう。

 やめてくれ。

 そうやって肩を震わせるのを見ていると、こっちまで泣きそうになってしまう。

「私が今回あなたを呼んだのは、別になにかをして欲しいからではありません。ただ、聞いて欲しかったんです。一人の少女があなたに賭けた物を」

 嗚咽は漏れない。

 ただ、彼女は必死で涙をこらえる。

「一年前。余命を告げたとき、私たちは言いました。やりたいこと、したいこと、食べたいもの、なんだって言ってくれていい。でも、彼女はそれを断りました」

「サクラノ……らしいですね」

「『悔いが無いように生きてるから、叶えてもらうことは無い」彼女はそう言ったんです」

 脳内再生が余裕でできる。

 笑顔で言い切るサクラノも、複雑そうな表情を浮かべる上遠野さんたちも。

「でも、あなたが現れた時、彼女は言いました。『彼の物語に賭けたいと』」

「どうして……」

「彼女はあなたの病室のネームプレートを見つけ、妙にそわそわしていました」

 わからない。

 僕とサクラノは、あの病院で、あの瞬間初めて出会ったはずだ。

「それから彼女は、あなたのノートを私の前で盗みました」

「じゃあ、あの時……」

「ええ、桜木さんは私に、あなたを屋上に誘導するよう頼みました」

「サクラノは僕を知っていたんですか?」

 尋ねると、上遠野さんは首を横に振る。

「わかりません。わかるのは、彼女が諦めていた漫画を再び描いたこと。それくらいです」

 溢れそうになった思い。上遠野さんは、それをコーヒーと一緒に、喉の奥に流し込む。

「もう、あと少ししかないんです。楽しいことでも何でもすれば良いじゃないですか。私にバレないよう夜遅くまでコソコソして、寝不足と疲労でボロボロになってまで、漫画なんて描かなくていいじゃないですか。受賞なんてしたって、もう後なんてないのに……」

 言いたいことは言った。

 そう言わんばかりに、ため息をついた上遠野さん。

 それからゆっくりと立ちあがる。

「彼女は最後の半年を賭けました。あなたの物語に」

 最後にそう言い、上遠野さんは僕に背を向けた。

 窓の外を眺める。

 あの異常に気合の入った作画。

 ボロボロになった指。

 青くなった顔。

 事実を聞かされて思う、彼女はあれに命を賭けた。

「僕は」

 上遠野さんの初めの問い。


 ――――――あなたは、漫画に命を賭ける覚悟はありますか?


 それを聞かれた時、僕は首を縦に振った。

 嘘も誤魔化しもない。

物語のためなら命も惜しくない、その時は心からそう思った。

 でも、今同じ質問をされたなら、僕はうなずくことが出来るのだろうか。

 振り出した夜の雨がアスファルトを叩く。

 窓越しに聞こえるパラパラという音を聞き、ぼんやりとする。

 ブレンドコーヒーはとっくの昔に冷めていた。


 結局、僕が店を出たのは上遠野さんが店を出た一時間後だった。

 会計は、コーヒー二杯分、きっちり支払われていた。

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