ノスタルジー・ボマーズ

九月初旬。

 門山出版、週刊少年ストリート編集部所属。熱三司は深いため息をついた。

 彼の担当作の『アヴァロンズ・サマー』は空前絶後の大ヒットを記録した。

 現代によみがえった不思議な力を宿す秘宝『アヴァロンズ』を巡る、四人の少年少女のひと夏を描く物語。

 ネット発、門山大賞の受賞作であったこともあり、連載当初から話題性は高く作者への取材依頼は山ほどあった。

 それに加えて、どこから漏れたのか作者は女子高生と発覚。一時は取材の依頼対応だけで編集部がパンクしそうになるほどだった。

 が、作者の冬見あやせは取材の一切を拒否。

 その代理として、担当編集である熱三があちこちのメディアに出演していたのだった。

 しかし、世間を賑わせる熱には波というものがある。

『アヴァサマ』の映画は先日映画館での上映を終了。

 実写化も発表されたものの、映画の完成はまだ当分先だ。

 というわけで、『アヴァサマ』話題性は少しだけ薄れ、熱も一時的に収まっていた。

 熱三のテレビ出演の機会も激減。

 そんなわけで、ひさびさに職場に訪れた彼が目撃したのは、山ほど積まれた仕事の山だった。

「ちょっとこれ、どういうことだよ」

 がっくりと肩を落とした熱三。

 定時はとっくに通り越し、ガラガラになった編集部に声が響く。

 八時間は仕事に取り組んでいるはずなのに、山は一向に減りそうにない。

 それどころか、上司直々に新しい仕事を回された。足された分と、減らした分。プラマイゼロどころか、わずかに増えている始末だ。

「なあ、俺だって遊んでたわけじゃないの知ってるだろ! 変わりに仕事引き受けるとか、そういう慈悲のあるやつはいないのかよ!」

「いや、この編集部の方々は皆さん優しい人ばかりですから。それを怒らせる先輩が明らか悪いっす」

 そう言い、積まれた仕事の向こうから声が聞こえた。

 熱三が顔をあげる。目の下にできた大きなクマが痛々しい、眼鏡の男がいた。

 仁藤新樹。

 この春入った新人で、いつも眠そうにしている後輩だ。

「怒らせる? 俺がかぁ?」

「『アヴァサマ』がヒットして、周囲を見下すようなことばっか言ってたじゃないスカ」

「それは……」

「有能編集なんて自分で言って、『ま、俺から言わせてもらえば、あなたは作品への情熱が圧倒的に欠けているんですよねぇ』なんて、班長に上から目線でアドバイスしたり」

「うっ!」

「あの温厚で有名な編集長の仏の顔、三度を五秒で潰すのはさすがに笑ったっす」

「だ、だって事実だろ! 『アヴァサマ』の編集は俺なんだぞ!」

「先輩があの作品に関ってるのって、送られてきたデータを受け取る部分だけじゃないすか。あやせ先生、先輩の指示なんてほとんど聞いてないって皆さん知ってますよ。」 

 ま、つうわけで、先輩の仕事が山積みなのは自業自得っす。

 仁藤は作業中のパソコンから目を離さず、あっけらかんと言い切った。

 熱三は思わず顔をしかめた。

 やたら優秀なこともあって、仁藤は年齢や立場に関係なく、ずけずけと物を言う。

 遅刻や、上司への態度を何度も咎められたこともあり、熱三は彼が苦手だった。

「そういや、今年の門山大賞はどうなんだ」

「えっ⁉」

 何気なく口に出した質問に、くたびれ顔の後輩が驚きの表情を浮かべる。

「なんなんだよ、その拍子ぬけたような反応は」

「いや、端くれとは言え、『ストリート』の編集が、まさか知らないとは思わなかったので」

「だ、か、ら、何がだよっ! 事件でも起きたわけでもあるまいし!」

「いや、起きたんすよ、事件。ほんと何も知らないんすね」

 仁藤は今日何度目になるかわからない、ため息をついた。

「出ちゃったんすよ、この時期に」

「この時期に? なにがだよ」

「ほんと、脳みそどっかに落としてきたんじゃないかと思うほど鈍いっすよね。出たのは〝圧倒的な漫画〟です」

「そんなに凄いのか?」

「去年の大賞、『暗黒パンダ』の五十二万いいねを軽く超える七十三万いいねっす。そのせいでネットはお祭り状態っすよ」

「この時期に七十三って、十二月までにもっと伸びるってことじゃないかよ」

「編集長は八十のラインは固いって言ってましたね」

 見ます?

 そう目配せしてくる仁藤に頷き、熱三は立ち上がる。

「ま、まあっ! あの『アヴァサマ』の担当編集、熱三司が直々にみてやろうっ!」

「そのキャラ、まだ続けるんすか……」

 呆れた表情を浮かべる、可愛げない後輩は無視。

 熱三は彼のデスクに回り込む。

「これっス」

「ええと、どれどれ……」

 熱三は腰をかがめて、ディスプレイを覗き込む。


 ―――――――――――そして、引きずり込まれた。


「なんだよ、これ」

 そんな言葉が零れていた。

 ストーリーは、はありきたりだ。

 自分たちの学校が廃校、取り壊される予定であることを知った少年少女。

 ただし、署名を集めれば、廃校を免れる。少年たちは、バラエティ動画を作成し、ネットにアップ。

 中々伸びない視聴率に悩み、時にはぶつかりあいながらも、人気を獲得していくというもの。

 ただ、その漫画には激しい熱量が籠っていた。

 少年たちの喜び、怒り、落胆。それらが、ありありと伝わる勢いのあるセリフ。

 作画はフルカラー。

 田舎のおだやかな空気を、鮮やかに映し出す。

 漫画の中に巻き込まれる。登場人物のひとりひとりが生きていると感じてしまう。

「どうすか? 『ノスタルジー・ボマーズ』」

 気が付けば、最後のページにたどりついていた。

「悪い、もう一回見せてくれ」

 真剣な表情でそう言う熱三に、仁藤は思わず吹き出した。

「わかりますよ、その気持ち。俺も最初はそうでしたもん」

「いや、すげぇわ、これ」

「素人臭さはあるんすけど、これに賭けるって思いが伝わってきますからね、このコンビ」

「コンビ? 一人じゃないのか?」

「いいえ。この作者『かしおぺあ』はコンビっす。この絵、見覚えないっすか?」

 顔をしかめる熱三。

 数秒待ってから、仁藤はため息をついた。

「一時期編集部でも話題になってたじゃないすか、『ブタ野シンジュ』」

「『ブタ野シンジュ』……ああっ! 去年の暮れにメールで編集部に直接持ち込みしてきた、有名絵師か!」

「そうなんすよね。有名絵師だけあって、絵は無茶苦茶上手かったんすけど、ストーリーが全っ然ダメ。手放すのは惜しいから原作をこちらでつけようか打診したんすけど、それなら心に決めた人がいるって、拒否られたんすよ」

「もったいねぇ。それで、ヤバイ原作つけて帰ってきたわけか」

「いえ、この原作はそこまで凄いヤツじゃないっす」

 すかさず仁藤は首を横にふる。

「恐らくは作家志望といったところっす。セリフが臭くて硬い」

「そんなのわかるのかよ」

「ええ。先輩と違って、これでも編集者の端くれっすから」

 仁藤はそっけなく言いデスクに置いた缶コーヒーに手を伸ばす。

 それに反し、熱三は眉間に皺を寄せたままだ。

「いや、それはないだろ。俺はこの話、面白かったぞ」

「ええ、おそらくはタダの素人ではないでしょうから」

 思わぬ返事に熱三は顔をしかめる。

「どういう意味だ、それ?」

「そのままの意味っすよ。たしかに、この書き手のキャラクターは魅力が欠けている。これじゃあプロには届かないでしょう。要するにセンスの部分っす。でも、それ以外の点、ストーリー構成やその他の点に関しては別です。相当なレベルの勉強をしたんでしょうね。三十代から四十代、一般人ならその位の年月を賭けなきゃこのレベルには到達できない」

「でも、キャラクターの魅力は、欠けてるように見えなかったぞ」

「そこなんすよ、ブタ野シンジュの長所、生きたキャラクターが上手い具合に補っている」

 それから一息つき、仁藤は結論を口にする。

「ベストコンビってやつでしょう。お互いの短所を打ち消しあってる」

「くそ、ブタ野シンジュはどこでそんな原作見つけたんだよ」

「さあ、やっぱりネットとかじゃないすか?」

「俺が先にみつけてさえいれば」

「あー、無理っすよ、埋もれてくタイプの才能なんで、先輩の節穴じゃ千年かかって見つけられるわけないっす」

 頭を抱え込む熱三に、仁藤は呆れた視線を向けた。

「ナツ、なにかいいことでもあった?」

 夏休みが開けた。

 七時間にもわたる退屈な授業を乗り切り、足早に帰宅。ねっとり残った残暑の中、ひいひい言いながら自転車をこぐ。

 もうすっかり慣れた一日の流れをこなし、病室に飛び込むとサクラノにそんなことをいわれた。

「そうか、なんか嬉しそうに見えたか?」

「うん。病室に入るなり、顔に広がるニヤけ顔。悪いこと企んでるなら、止めといたほうが良いと思うなぁ」

 冗談めかした笑顔で、そんなことを言う。

 いつも通りベットに腰かけ、膝に乗せたペンタブと向き合うサクラノ。

 僕もまたいつも通りに、彼女の傍にあるのパイプ椅子に腰を下ろした。

「いや、『ノスタルジー・ボマーズ』の話さ、クラスメイトが話してたんだよ」

「なるほど、それは思わずニヤけるのも仕方ないね」

「だろ! 門山大賞の優勝候補とか、このキャラが格好いいとかさ。まったく、にやけ顔を我慢するのに苦労したよ――――って、なにがおかしいんだよ」

 僕の話の途中で、サクラノが思わずふき出した。

「なにかおかしかったかよ」

「いや、なにって……盛り上がるクラスで、ひとりクールな顔しながら、笑いを堪えるナツを想像したら……プッ、あはは!」

「だからからかうなよ」

「メントスコーラも役にたったしね」

「その件ももう勘弁してくれ……。そうだ、サクラノの絵も大絶賛だったぞ」

「ほんと!」

 サクラノは、ベットから身体をグイと乗り出した。

 前髪が揺れ、鼻先に消毒液の匂いが香る。心なしか、その匂いが以前よりも強くなった気がした。

 そう思ってみれば、身体も以前より一回りは小さくなった気がする。

「ナツ?」

「あ、いやっ! なんでもない。そうだったな、絵の感想だよな」

 思わず思考停止していたらしい。サクラノの呼びかけで、意識が呼び戻された。

「そうそう! はやく聞かせてよ、私の絵の感想」

「サクラノ、お前人のことあれだけ言っといて、めっちゃにやけてるぞ」

「だって、嬉しいんだもん! 仕方ない!」

「あのなぁ」

 心にほんの少しだけ湧いた不安を、確証の無い希望で塗りつぶす。

 大丈夫、僕らは『かしおぺあ』として漫画を描いていく。

 そう信じて、もうそれ以上考えるのはやめた。


「それじゃあな」

 別れの挨拶をし、病室の引き戸に手を掛ける。

「ね、ねえっ! ナツ」

「なんだ? なんか今日は、引き留めてばっかりだな」

 振り返ると、サクラノは珍しい表情をしていた。

 何か言いたそうに口を開いては、考えて、つぐむ。

 迷いなんて微塵もみせない。まっすぐな彼女の、初めて見る表情だった。

「なんか今日、サクラノ、おかしいぞ」

 元気がなかったり、話の途中にボーっと宙を見ていたり。

「そ、そうかな」

「で、何を話そうとしたんだ?」

「え、えとね……」

 ほんの少しだけ考えこんだサクラノ。

 でも、僕と目を合わせると、どこか誤魔化すように、あははと笑った。

「ちょっと不安になっちゃって。……『ノスタルジー・ボマーズ』、大賞とれるかな?」

「まあ、ネットでは一位予想されてるけどな」

 大方のサイトで、この『いいね』を超す作品はでないと言われてるし、実際、目立ったライバルはいない。

「そ、そうだよねっ!」

「でもまあ、最後まで何が起こるかはわかんねえからな。次作の準備も進めておく」

「はは……。ここで、油断しないところが、ナツらしいよね」

 また。誤魔化すようなから笑い。

 そのせいか、変な沈黙が病室を支配した。

「なあ、それだけか」

「う、うんっ! これだけだよっ! 帰るとこ邪魔しちゃってごめんね」

「いや、それなら良いんだ」

 もう一度、別れの挨拶をし、病室を後にする。

 なんとなく、胸になにかがつっかえた気分だった。


 後ろ髪を引かれたまま、廊下を歩きだそうとする。その時だった。

「止まりなさい、そこで萎れたアサガオみたいな顔してる少年」

 やたら冷たい声が背後から聞こえ、僕の足を止めた。

 できれば、みつかりたくなかったんだけどな。

背後に立つ人物に聞こえないよう、僕は小さくため息をはいた。

「上遠野さん、それって僕のことですか?」

「よく私とわかりましたね」

「出会い頭に、罵詈雑言投げつけてくる人、そうそういませんから」

 今度は聞こえるように大きくため息をつき、背後に振り返る。

 そこにはやっぱり、冷血ナースが立っていた。

「で、なんの用ですか」

 サクラノのおかしな態度もあって不機嫌を隠せない僕。

 でも、振り返って面食らう。

 上遠野さんはいつになく、真剣に表情を浮かべていたからだ。

「話があります。今週末の午後七時、今からいう場所に足を運んでください」

 有無を言わさぬ圧力に、ただただ頷くことしかできなかった。

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