嬉しいんだよ!

 深夜二時。静かに、病室の扉が開く音を聞いた。


 あれだけ偉そうなことを言った僕だけど、目を瞑っても緊張で眠りにつけなかった。

 誰一人、目に止めなかったらどうしよう。

 逆に、感想が山ほど届いたら? 自分は冷静でいられるだろうか?

 天井を見上げること二時間。ちょうど暇になってきた頃間だった。

「サクラノ……?」

 わずかに開いた扉の隙間から、人影はスススと入り込んでくる。

 まあ、こんな突飛なことをする人物に、僕は一人しか心あたりがない。

 もしかして、投稿した漫画に何かあったのだろうか?

 それとも、投稿した漫画がもうすでに一万『いいね』を獲得したか。

「いいや、まさかね」

 フォロワーゼロ。

 無名アカウントが、こんな短時間で一万はいかないだろ。

「なんだよ、こんな時間に」

 足元に、たった人影に声をかける。

「………………」

 返事はなかった。

 そのかわり、マラソンをした後か何かみたいにスー、ハ―と、片を上下させる。

「なんだよ、寝ぼけてんのか?」

「――――まんっ!」

「え、は? 聞こえない!」

「だから、行ったんだって!」

「だから、何が?」

 本当は、この時すでにサクラノが何を言ったかわかっていた。

 でも、僕はそれを信じられなかった。

 僕の妄想、期待、そんなものを通り越した現実に。


「十万っ! 十万『いいね』いったんだよっ!」

「は?」

 

 何を言われたのか、わからなかった。

 頭のなかは真っ白。

 十秒、いや一分くらい、ただ息を吸って、吐いて。それだけ繰り返して。

 それから、ようやく返事をする。

「なんだって?」

「現実を受け入れてっ! 十万『いいね』いったの! 私たちの佐藤ちゃんが!」

「わかった。……お前、人が寝ぼける時間帯だからって、ドッキリは性質がわるいぞ」

「ぜんっぜんわかってない! いくら私でも、こんな性格の悪いドッキリはしないよ! そんなに疑うんだったら、自分で確認して!」

「お、おう」

 サクラノに気圧されて、ツイッターを開く。

 ぼんやりとしていた。

 耳では確かに聞いたんだけど、どうにも理解できない。

 夢心地って、ちょうどこんな気分なんだと思う。

 大して頭を使わないまま、文字を入力し、検索をかける。

表示されたページのてっぺんに僕らの『佐藤ちゃん』はあった。

 そして、

「ほんと、だ」

 情報が、遅れて脳みそに飛び込んでくる。

 十万いいね。

 ハートマークの隣には、間違いなく十万という数字が刻まれていた。

「夢、じゃないよな」

「わかんないよ。だって私も、今だに信じられないもん」

 思わず伸びた手が頬をつまむけど、ちゃんと鈍い痛みが広がった。

「だって、俺たちつい数時間前まで、一万が目標とか言ってたもんな?」

「そうだよ、一万が現実的! とか、ナツも言ってたしね」

「それはサクラノだって一緒だろ!」

 なんだか変な笑いが零れてくる。

 

「これじゃ何が現実で、何が夢かわかんねえよ」

「ほんとにね!」

 いまだに頭の中はふわふわしたまんま。

 震える指で、画面をなぞる。

 百と並ぶ感想の数々。

『おもしろかった!』

『めっちゃエモい!』

 そんな簡素なものから、ネタ画像、百四十字の限界まで詰め込んだちょっと長めの感想文。

 ひとつ、ひとつ、丁寧に目を通していく。

「あれ、ナツ……泣いてる?」

「え?」

 サクラノの声で初めて気づいた。

 喉が震えている。熱い涙が頬をなぞる。押し寄せる感情が止まらない。

「そっか、僕、泣いてるんだ……」

 ずっと認められなかった。

 文章を学び、脚本の作り方を学ぶ。

 文庫本がパンパンになるほど付箋を貼った。

 慣れないパソコンを使ってネット小説の読者傾向を調べてみた。

 何がなんでも、原稿用紙に文字をつづった。

 でも、小説賞の評価シートに並ぶのは辛辣な評価ばかり。

 ネットに投稿しても、感想なんて付けられたことはない。

 別に他の誰かをせめるつもりはない。評価を受けないのは単純に僕の作品が面白くないからだ。心に湧いたモヤモヤは無理矢理飲み込んだ。

 認められたくて始めた努力じゃない。でも、誰からも相手にされない現状は、やっぱりどこか辛かった。

 だからだと思う。

 今まで押し殺して、目を逸らしてきたもの。寄せられたたくさんの『おもしろい』を目にして、それはいっぺんにこみ上げてくる。

「嬉しいんだよ」

「あーっ! ずるい! 私だってナツの話、面白いっていったじゃん!」

「違うんだ、そうじゃ、ないんだ」

 自信をもって送りだした作品たち。

 でも、その誰もが、枝にも葉にもかからず『おもしろくない』その烙印を押し付けられた。

「やっと、やっとなんだ」

「何がって、聞くのは、野暮かな?」

「面白い、胸を張って送りだしたものが、ちゃんと認められたの……」

 もう止まらない。

 ひっくひっくと喉がなる。鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだ。

 子供みたいに泣きじゃくる僕に、サクラノは、ただ耳を傾けてくれていた。


「落ち着いた?」

「……ああ」

「まだ、ちょっとだけ声震えてる」

「わざわざ言わなくていい」

 まだ少しだけ嗚咽は漏れるけど、なんだか気持ちがさっぱりした。

「でもこれからどうしよっか? 届かない目標かと思ってたけど、十万だったら門山大賞、獲れちゃうかもよ」

「いや、無理だろ。大賞を取るなら低くても五十万は欲しい」

「そういう現実的な話はいいじゃん。こういう時くらい浮かれてもいいじゃん。……ストイックばか」

「いや、僕も内心すごく浮かれてる」

 正直、大賞なんて夢のまた夢、そう思っていた。

 半年後に一万『いいね』くらい貰えたらラッキー。ほんのちょっぴり知名度を獲得して、次につなげられたらいい。そんな風に考えていた。

でも、サクラノとなら、『かしおぺあ』でなら獲れるかもしれない。

「本気で目指すか、大賞!」

「やる気になった?」

「ああ。死に物狂いでやる。……とりあえず今必要なのは、ファンを増やすことだな」

「ファン?」

「具体的にはフォロワー。そこを増やしとけば、安定した数字、拡散力が手に入る」

 現在のフォロワーは一気に六万まで増えている。

 目標としては三十万、欲しいところだ。

「で、どうやって増やすの?」

「そこはシンプルイズベストだ。とにかく面白い作品を作る、それだけだ」

「なるほど、回りくどくなくていいね」

 捻りはないけれど、正攻法にして最強のアプローチだ。

「『このアカウントは面白い漫画しか出さないアカウント』そう思ってもらえたら、最強だな」

「じゃあしばらくは病院に缶詰めだね!」

「病院をホテルみたいに言うな! それに僕には学校がある」

「あ――――そっか、ナツ、明後日に退院だもんね」

「そっか。退院、三日後だったね」

 退院したら、僕にはこれまで通りの日常がまっている。こうして一緒にいる時間も少なくなってしまうわけだ。

 小さな声はほんの少しだけ、寂しそうだった。

「安心しろ、佐藤ちゃんはフォロワーを増やすためにシリーズ化する。新作も書かなくちゃいけないし、ここには、小まめにくるようにするから」

「これから漫画を描いてく中で、思うように伸びなかったり、失敗しても、急に来なくなったりしない?」

「努力はする」

「そこは黙って首を縦にふるところでしょ!」

「不満か?」

「不満! 努力はするって、行く気が無い約束をしちゃった時の言い草じゃん」

 頬を膨らますサクラノ。

 でもそれは、感じてしまった寂しさを誤魔化しているように思えた。

「できるだけここには来るようにはするさ」

「ほんと?」

「まあ、漫画に影響が出ないように、な」

「それなら許す」

 ふくれっ面はそのままだったけど、サクラノは少し楽しそうだった。

だから今は、これでよしということにしよう。

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