表情の魔術師

「まさかホントに一週間で仕上げて来るとは」

 昼の三時ごろ、病室にやってきたサクラノにタブレットを渡され、声を漏らした。

「当たり前じゃん。だって私、プロだし。期日を守るのなんて、当然だよ」

「まあ、そうは言うけどな」

 四ページとは言え、作画の負担は相当に大きいはずだ。

「一応聞くけど、無理とかしてないよな」

 心なしか、顔色が悪いようにも見える。

だけど、サクラノは首をブンブンと横に振った。

「ぜんっぜん! まあ、褒めるのは後でいくらでもできるからっ! 早く見てよ! 私たちの漫画!」

「それもそうだな」

 急かされるままに、僕はタブレットに視線を落とす。

 そして、


「すごいっ!」


 引きずり込まれた。

 佐藤さんと、山久くん。

 ただの文字列でしかなかった彼等が、怒って、泣いて、笑っていた。

「こ、これっ、僕が書いた原作だよな?」

「もちろん! 正真正銘、ナツが産みの親」

「でも、これ」

 少なくとも、僕が描いた彼等は生きていなかった。

 でも、今は違う。

 この白のページに引かれた、黒の線で描かれた彼等は間違いなく生きていた。

 目の動き、えくぼ、瞳にたまった涙。

 その表情のひとつひとつが、、輝いている。

「これが、ブタ野シンジュの……」

 誰が言ったか、『表情の魔術師』

 心が完全に囚われた。

 ページをめくる手がとまらない。

 自分でも知っている物語のはずなのに、彼等の行く先を見たいと心が叫ぶ。

 そして、最後のページ。

「惚れなおしてる」

 見せ場と言わんばかりに、大きく描かれた一コマ。

 そこで目を見開く佐藤さんが浮かべる表情は、僕が出した曖昧な指示を完全に再現していた。

「えへへ……。そこ、頑張ったんだ」

 サクラノはやたら上機嫌だった。

 漫画を読み終え、天井を仰ぐ。

 胸にこみ上げていた感情。その余韻に浸る。

 好きになっていた。彼ともっとイチャイチャしたい佐藤ちゃんも、彼女のことが大好きだけど、仏頂面の山久くんも。

「口、開いたままだったよ」

「ラブコメ、いいな」

「でしょでしょ?」

 あらためてサクラノを見つめる。

 彼女は、してやったりと笑顔を浮かべていた。

「僕は、とんでもない絵師に目をつけられたみたいだな」

「今さらぁ?」

「ああ。今さら噛みしめてる」

「直すとこ、ある?」

「いいや、少しでも直したら絶妙なバランスが崩れそうで怖い」

「了解! そうと決まればさっそく投稿しちゃおう!」

 もう少し余韻に浸かっていたかったけど、時間は刻一刻と迫っている。

 手を振り上げたサクラノは、こなれた手付きで、僕から取り上げたタブレットを操作しはじめた。

「準備できた!」

「大丈夫か? ページの順番間違えてないか?」

「そんなミスしないよ! ほら、確認して!」

「……大丈夫みたいだな」

「じゃあ、投稿しちゃうよっ!」

 サクラノにしては珍しく、少しだけ緊張した面持ちだった。

 数秒の投稿時間の後、『投稿が完了しました!』と、メッセージが表示される。

 僕らは同時に、ふうとため息をついた。

「ここからだね」

「そうだな」

 フォロワーゼロ。フォローもゼロ。タグには『#第八回門山大賞』のものを使った。

『かしおぺあ』はここから始まる。

「……このアイコン、なんだ?」

 よく見ると、アイコンの画像はすでに設定されていた。

 右耳が少しだけ欠けた、やたら目の潤んだ猫。

 なんだか子供の落書きみたいなタッチだ。

「可愛いでしょ? みみかけねこさん」

「名前はそのまんまだな……。なんかのキャラなのか?」

「私のキャラではないかな……描いたのは私なんだけどね」

 おかしな言い回しだった。

 ま、いいや。家に帰ってから検索でもかけてみよう。

「締め切りは十二月だっけな」

「あくまで締め切りってだけだからね。投稿自体は今からしてる人も多いよ」

 そう言うと、サクラノは投稿作のページを開いてくれた。

 ずらりと並ぶ漫画たち。

 絵の上手いもの、下手なもの。

 面白そうなもの、そして面白そうなもの。

 ピンからキリまで、たくさんの漫画が世に送りだされている。

「やっぱり、五万『いいね』レベルはいないんだな」

 五万となると結構なレベルだ。ワンちゃん企業の声がかかるし、そのレベルを安定して出せる人の漫画はかなり面白い。

 画面に映る漫画の『いいね』数は、十から百がほとんど。たまに千を超える作品が混じっているくらいだ。

「まだ本格的に始動してない時期だからね」

「なんか残酷だよな」

「どうして?」

「こうやって数字で区別されてさ」

 漫画の投稿。その下につけられたハートマーク。そこにある数字が、そのまま漫画のおもしろさとして査定される。

 つまり、この数字が少なければ、『お前の漫画は面白くない』そう突きつけられるってことだ。

「辛いんだぞ。『これは面白い!』って送りだした作品がボロボロになってる姿見るの」

 小説賞にだした。一次落選の手紙が返ってきた。

 サイトにアップした。ひとつもポイントつかなかった。

 襲ってくる現実はいつだって辛い。

 悔しくて、眠れなくて、喰いしばった奥歯がズキズキと痛んで、涙でパンパンに目を腫らす。

「でもさ、だからいいんじゃん」

 サクラノが僕を見上げる。

「良いって、どこがだよ」

「夢が手を伸ばすところに置いてあって。簡単に手に入る物なら、悔しくもないし辛くもならないんだよ。たくさんの苦しい夜を耐えきって、夢半ばに消えた同士の想いを胸に刻んで、見るに堪えないくらいボロボロになって、ようやく手に入る。だから私達は夢中になれるんじゃん」

「名言みたいだな」

「えへへ、ちょっぴり狙った」

 はにかむ笑顔にドキリと心臓が弾む。

 不覚にも、格好いいと思ってしまった。

「それで? 一発目はどれくらいの数字を狙うんだ?」

「ううん……。やっぱり、目標は大きい方が良いから、一万くらい! フォロワーゼロ、ブタ野シンジュのネームバリューも無し! この状態からどこまで行けるのかって話!」

「大きく出たな」

 改めて言われると、なんだか急に緊張してくる。

「ま、すべては原作のナツせんせいに懸かってるわけですよ」

「余計なプレッシャーかけんな」

 

 佐藤ちゃんの二話の打ち合わせを時間のギリギリまでし、病室から出ていくタイミングで、サクラノは振り返った。

「『いいね』が一万超えたら飛んでくるよ」

「まあ、期待せずに待ってるさ」

 よけいな期待をしておくと、現実を知った時のダメージがでかくなる。

「じゃあ、また明日」

 手を振るサクラノに答えて、手を振り返した。

「ナツと私が話してた時、チラチラ伺ってたでしょ」

 ナツの病室から自分の病室に戻って数分後、気配を感じて、私は扉の方へ声を掛けた。

すると、ドアの影からニュっと無表情のナースさんが出て来る。

 思ったとおり、ナースの上遠野ちゃん――――ツンちゃん(私がつけた)が立っていた。

「やっぱり、ツンちゃん、なにかもの言いたげな顔してる」

「だからその呼び方、やめて欲しいと何度も言ったはずです」

 ナツは気付いていなかったけど、私が彼の部屋にいる間、ツンちゃんは度々病室の中の様子を伺っていた。

「それで? ひと段落ついたのですか?」

「なんのこと?」

「あなたが深夜まで漫画を描いている件と、その顔色があまりにも悪い件です」

 ツンちゃんは、少しだけ厳しい表情を作っていた。どうやらちょっとだけ怒らせてしまったみたいだ。

「あちゃぁ、バレてたか。ナツは全然気づかなかったから、あれ、いける? って思ってた」

「あの物語を書くこと以外、脳なしニブちん腐れ野郎と一緒にしないでください」

「なんかツンちゃん、ナツには数倍あたりが強いよね」

 彼が現れてから、ツンちゃんはずっとご機嫌斜めだ。

「向けられた善意のひとつだって理解できてないくせに、なんでも知ってるような顔して、大人ぶった男が嫌いなんです。昔から」

 根に持っているけど、心の底から嫌ってるわけじゃない。ちょっと複雑な言い回しだ。

「なんだか難しいこと言うね」

「別に理解してもらいたくて言ったわけじゃありませんから」

 きっぱり言い、ツンちゃんは私のベットの脇のパイプ椅子に座る。

 そして、体温計を手渡してきた。

「ドクターストップは出てないから、ちょっとは無茶していいかなって」

「忘れたのですか? あなたの心臓は些細なことでも止まる可能性があるんですよ」

「あはは、そうだっけ」

 いつも通り、大きく口を開けて笑えば、釣られて笑ってくれるかな?

 そう思ったのに、いつまで笑っても、響くのは私の声だけだった。

 ツンちゃんは、ずっと辛そうな表情を浮かべていた。

「あと、五カ月だからさ」

「賭けるんですか、あの少年に?」

「うん」

「あなたの半年を賭けるだけの価値が彼に?」

「もちろん。だってナツの小説は私の恩人だもの!」

 タブレットに目を写す。

 そこにうつる漫画。

 私が飾り付けた最高の物語。

「結果は出せなかったみたいだけどさ。ナツが持って来てくれた話、そこに詰まってた。彼が物語に掛けた想い。これまで積み重ねてきた技術」

 彼の話は好きだ。世界で一番すきだ。

 でも、それと一緒に知っている。彼の物語の弱点。

 ノートを読んで、なんとなく理由はわかった。

 ナツは感情を表現するのが、なんとなく苦手みたいだ。

 でも、私ならそれを補える。

 そして弱点を全部なくしたら、みんながナツの物語の面白い部分だけを見てくれる。

 そしたらもう、怖いものなんてないはずだ。

「そんなにキラキラとした目をされては、口を出す隙はありませんね」

 ツンちゃんは深い、ため息をついた。

「ごめんね。……我儘な患者で」

「いいえ、その半年はあなたの時間です。それがあなたの判断なら、他の誰にだって止めるいわれはありません。ですが……彼には、伝えておくべきです」

「…………うん、そのうちにね」

 それから、病室には沈黙が広がった。

 脇に挟んだ体温計の電源は、付け忘れたみたいだ。

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