ラブコメでいく

「あれ、ラブコメでいくんだ?」

 翌日。いつも通り僕の部屋に訪れたサクラノ。

ストーリーの書かれたノートに目を通した彼女は、意外そうな声をあげた。

「おかしいか?」

「ううん、全然。あのノートに書いてあった設定はファンタジーが殆どだったから。そっちが得意ジャンルなのかと思ってた」

「それはたまたまだ」

「じゃあ何が得意なの?」

「得意だって言い切れるジャンルはない。自分にピッタリ嵌るジャンルがあると思って、いろいろ模索したんだけどなな」

 スポコン、SF、ラブコメ。麻雀小説。これでもかというほど迷走した。

「それで、見つかった?」

「見ての通りだ。気が付けば、王道のファンタジーに戻ってきてた」

 ちょうど、あやせの漫画が、週刊少年ストリートで連載し始めた頃だ。

 ぐんぐんと成長していく彼女に追いつくには、ど真ん中ストレートの、王道ストーリーしかないと思っていた。

「じゃあ、今回ラブコメを選んだのはどうして?」

「楽だったからだ」

 そう言ったとたん、サクラノの視線がじっとりとしたものに変わる。

「それ、少女漫画家と全国の夢見る乙女たちを敵に回すよ」

「いやいやいや! いまの発言は、別にラブコメが憎くて出たもんじゃねえよ!」

「ほんとぉ?」

「ほんとだ! ラブコメが楽な理由。まず、説明が少なくて済むところだ」

「説明が少ない? そうかなぁ。細かい心情とか、すれ違いとか、表現しだしたらきりがないと思うけど」

「他のと比べればって話な。例えばファンタジーだと、世界観、主人公たちの目的から始まって説明しなきゃいけない」

「なるほど、確かに多いね」

「その点ラブコメは強い。『これはラブコメです』って言うだけで、読者は大体のストーリーを理解してくれる。これは男と女が恋する話だってな」

 と、ここまで説明したものの、まだサクラノは不満げだった。

 雑な手つきで煎餅の袋を開け、バリボリと齧る。

「言いたいことはわかったよ。でも、それって要するに『ラブコメは頭使わなくても読める』ってことでしょ? やっぱりバカにしてるじゃん!」

「『頭使わなくても読める』ってツイッターに載せるなら、もの凄い武器だと思うけどな」

 休憩時間や、通学、通勤時間。

 暇つぶしに利用されることが多い理由上、流し読みでも理解できる漫画が強い。

「でもでも! そういう理由だったらラブコメじゃなくても、わかりやすい漫画ならいっぱいあるよ! それこそ、さっき言ってたファンタジーだって」

「それは、そうなんだが――――」

 ここで僕は少しばかり躊躇った。

 でも、迷いはすぐに投げ捨てる。不安な部分は今のうちに告白しておくべきだ。

「ごめん、これは僕の実力不足が原因だ」

「へ?」

 ベットに座ったままだけど、僕は頭を下げた。

「ファンタジーとかSFでも、冒頭からわかりやすい漫画はいくらでもある。でも今の僕じゃそれができない」

 読みやすい文章。

 わかりやすい設定。

 それらが、できない。

 今の僕では、壮大な設定を作ることができても、それを読ませる技術が足りない。

「足を引っ張るのが怖かったんだ。わかりづらいストーリーを作って、サクラノの作画が台無しになる。それが嫌だった。だから、ラブコメを選んだ」

 頭を下げる僕にサクラノはシュンとしてしまう。

「なるほど、ね」

「さっきサクラノも言ってたラブコメの一番面白い部分。感情の変化と、生きた表情。この二つは、作画に任せることができるから、僕の未熟さを補える」

 要するに結局僕は自信を持てなかったんだ。

 ズルい言い分だ。

 サクラノは、僕の描く物語が面白い、そう言って選んでくれたのに。

 けど、

「別に責めたりなんかしないよ。それって一番美味しい部分を任せてくれるってことになるじゃん」

 サクラノが見せたのは、とびっきりの笑顔だった。

「それは、そうなのか?」

「そうだよ、言い方を変えれば、作画に花を持たせる気の利いた原作なんじゃない?」

「サクラノ……」

「ブタ野シンジュの得意技、知ってるでしょ? 透明な世界観と、生きた表情。それをここ一番で振るわせてくれるんだから、作戦としては花丸じゃない?」

 そう言うと、サクラノは僅かばかり目を伏せる。

それから、でも……、そう呟いた。

「いつかナツの最高に面白いストーリー、描かせてよね! 大丈夫、不安な点があるなら、この私がトコトン付き合ってあげますから!」

 そう言い、両手を腰に置いたサクラノは胸を張る。

 どこまでも前向きで、暖かい言葉が心の底から嬉しかった。

「ありがとな」

「珍しく素直に礼を言うなんて、これはもしかしてナツさん、私に惚れちゃった?」

「寝言は寝て言え」

 軽口を交え、ホッとため息をつく。

 とまあ、色々話してきたけど、一番気になることを、まだ聞けていなかった。

「で、大分話はそれたけど、この話、どうだ?」

「そうだね、本題はこっちだった」

 そう呟き、サクラノはノートに目を落とす。

「ちょっと待ってね。ゆっくり読むから」

 金色の光が差し込み、暖かな雰囲気に包まれる病室。

 ゆったりと時が流れる空間に、ページをめくる音だけがパラパラと響く。

 僕の心臓はバクバクと鳴りっぱなしだった。

『おもしろくない』その一言でバッサリ切られたら、どうしよう?

 ラブコメがどうだの、設定がどうだの、あれだけ偉そうに言っていたクセに、もの凄く格好悪い。

 漫画にするなら四ページ分。

 キャラ、構成、セリフ。

 それらが書かれたページを、サクラノの細い指が、いったりきたりを繰り返す。

 ドキドキしたまま数分は、一瞬で過ぎた。

 ノートをパタリと閉じたサクラノは、ふぅ……と深呼吸をした。

「ど、どうだった?」

 サクラノの身体がゆっくりとこちらを向く。ギシ……と鳴るパイプ椅子の音。

 心臓の鼓動が最高速度に達し、息が詰まる。

 それから、

「すっっっっっごく、面白かった!」

 無邪気な子供みたいな笑顔が浮かんだ。

「本当か!」

「わざわざこんなところで嘘つかないって」

「どこがっ! 具体的にはどこが面白い⁉」

「はいはい慌てない。そこらへんもちゃんと説明するから」

 興奮で、つい前のめりの姿勢になってしまう。

 サクラノは再びノートを開き、目を落とした。

「キャラクターがすっごく好きになれるの! 付き合い立ての二人。クールだけど女ごころが読めない彼氏の山久くん。彼女の佐藤ちゃんは、そんな彼ともっとイチャつきたいと不満を持っている。それで積極的にアプローチを仕掛けていく姿がすっごく可愛いんだよね!」

「なんか、自分の考えたラブコメ解説されるの、恥ずかしいな」

 火照る頬をついつい抑えてしまう。

 そんな僕を見、サクラノはニマニマと気味の悪い笑みを浮かべていた。

「その顔で俺を見る」

「いやぁ、いつもはクール気取ってるのに、お顔がニヤけてますよ」

「うるさい! からかうな!」

「この二つ目の佐藤ちゃんのセリフ、最っ高に萌えるよね――――あ、またニヤけた。ナツってば、面白いんだから」

 僕は全然面白くない。

 からかわれると分かっているのに、作品のことを褒められると、口角が吊り上がってしまう。

「人の純情で遊ぶな!」

「とは言いつつも、ついついデレちゃうところ、ツンデレヒロインみたいで可愛い」

「だからもうこっちみるなああっ!」

 思わず枕を投げつけたけど、ひらりと躱されてしまう。

 それからひとしきり僕をからかったサクラノは、目尻の涙をふいた。

「まだちょっと足りないけど、今日はこのくらいで勘弁してあげる」

「二度と隙なんて見せないからな!」

「はいはい、わかったわかった」

 子供でもあしらうような適当な返事をし、サクラノはまたノートを覗く。

「最後のコマ、『惚れなおした表情』って、随分あいまいな指示だね。ふふっ! これ、作画に任せるってこと?」

「茶化すなよ……。わかりにくかったら直す」

「いいのいいの! ただの照れ顔じゃないってことでしょ? 腕の見せ所! 俄然やる気が湧いて来たよ!」

 ふんすと勇み立ったサクラノ。

 勢いよくタブレットを手に取り、病院着の腕をまくる。

「佐藤ちゃん、超々ちょ~う、かわいく仕上げるからねっ!」

 喜ぶサクラノの姿を見、恥ずかしいやら、嬉しいやらで感情の行き来が忙しい僕だった。

 でも、一番強い感情は、

「よかった」

 ぴんと張り詰めていた緊張がほどけた。

 でも、すぐにクビを横にふる。いかんいかん、まだ安心するときじゃない。

「完成まで、どれくらいかかる?」

「私の筆の速さは平均値くらいだからね。一週間かけて、細かいところまでじっくり描くよ!」

「すごいな、一週間で仕上がるのか」

「大体こんなもんだよ。ま、こっからは作画の仕事。ナツ先生は、原作担当としてドーンと構えててくださいよ!」

「その先生って呼び方やめろよ」

 一週間なら、退院直前に、完成した原稿を拝むことができる。

 いったい、どんな形に仕上がるのだろう。

 仏頂面を作りながらも、心は弾む。一週間後が待ち遠しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る