門山ツイッター漫画大賞

「ここで良いんだよな」

 指さすネームプレート。

 五号室、桜木。

 毒舌ナースからの情報に誤りがなければ、間違いない。

 日は、とっくの昔に沈んでいた。

 悩んだ時間は少しのつもりだったのに、日はすでに落ちてしまっていた。

「っと、まずはノックか」

 慌てて思い出し、ゆっくりと、扉を二度叩いた。

 返事はすぐに聞こえた。

「こんな夜中に……誰かな?」

 部屋の中から、あの陽気な声が聞こえてくる。

「いや、僕だ。僕って言うのは、ええと」

 そう言えば、まだ彼女には名乗っていなかった。

 どう名乗れば良いかと迷っていると、扉の向こうから声がした。

「もしかしてオレオレ詐欺の人?」

「扉越しなんて随分斬新だな!」

声を張り上げると、クスクスと声が扉の向こうから漏れた。

そしてその笑い声が消える直前、扉が開いた。

慌てて飛び退ると、そこには朗らかな笑顔があった。

「こんばんは、田子夏場くん!」

「名前知ってたのかよ」

「だってノートの裏に書いてあったもの」

 生真面目なんだね。少女は言った。

 どうやら僕はからかわれていたみたいだ。おもしろくない。

「あ、ちなみに、私の名前は桜木初野。ブタ野シンジュは本名じゃないからね」

「そこは間違わねえよ」

「みんなはサクラノって呼ぶよ。君のことはなんて呼べばいい?」

「僕は……普通で良い。苗字とか、名前とか。好きに呼んでくれ」

「オッケー、なっくんって呼ぼう!」

「それは恥ずかしいから止めろ」

 少女――――サクラノは、えぇ、と唇を尖らせる。

「それじゃあナツにしよう」

「苗字とか名前で良いって言ってんだろ」

「あだ名っていいじゃん。特別みたいでさ」

 ひとり満足気に笑みを浮かべたサクラノ。

それから、僕の裾を掴んで部屋に招き入れた。

「凄いな」

「でしょ」

 ビップルームっていうのだろうか。

 僕の個室より二倍くらい広い部屋だ。

 それと、枕元に積まれた雑誌。ケーブルに繋がれたタブレットがニ、三。それと、布団の上に乱雑に散らかされたお菓子のごみ。

 なんだか生活感が染みついている。

「ここ、長いのか?」

「最後に家に帰ったのが五年前だからね。もう家みたいな感じ」

「あんた、いくつなんだよ」

「十七か……十九のどれか、かな?」

「なんで自分の年齢が曖昧なんだよ」

「誕生日なんて、祝ってもらったこと無いからさ、年齢なんてどうでも良くなっちゃって」

 物悲しいことをなんでもないことのように口にする。

 反応に困る僕を、サクラノはまた笑顔で見つめた。

「あ、可哀そうとかは思わないで。変に身構えられちゃうと、やりにくくなっちゃうし」

 それからサクラノは僕の裾から手を離し、ベットにポスリと腰かけた。

「ここに来てくれたってことは、お願い、聞いてくれるってことだよね」

サクラノは首を傾げる。

「ああ」

僕は決めた。

 あの約束を叶えるために、手段は選ばない。

「僕の話に、絵をつけてくれ。たのむ」

「驚いた。てっきり『いいだろう、お前の望み通り、漫画の原作をかいてやる』くらい言うと思ってた」

「ブタ野シンジュにそれをやる度胸はない」

「フーン、じゃ、私が底辺イラストレイターだったら、もうちょっと強気にでるんだ?」

「相手は関係ない。書いた話に絵を付けてもらうんだ、頭をさげるのはあたりまえだろ」

「思ったよりも良いヤツだね、ナツ」

「良いヤツかは知らん。よく薄情とも言われる」

「でも、それって譲れないものがあるからでしょ。格好いいと思う」

 顔を上げると、立ち上がったサクラノは手を差し出しだしていた。

「なに不思議そうな顔してるの? 握手だよ、握手!」

「ん? ああ」

 学生をやっていると握手をする機会なんてないもんで、反応に遅れてしまった。

おそるおそる、彼女の小さな手を取る。

「こういう、いかにも友情ってやつ、やってみたかったんだよね」

「そりゃよかった。やってみたいこと多いんだな」

「今日はたくさん叶ったよ!」


 そんなこんなで、その日はお開きとなった。

 ベットに横になった時、明日が待ち遠しくなるのは、随分久しぶりの感覚だった。

「く…………あ…………!」

 なにか、鼻をくすぐる甘い匂いに目を覚ました。

 ぴちゅぴちゅと鳥の鳴き声が聞こえ、窓からは優しい朝日が差し込む。

 初夏なんて名前がついてるクセに、この時期の朝はまだまだ肌寒い。起きると決めたのに、ついつい布団を首元に引き上げてしまう。

「ん?」

 違和感を感じた。

「人でもいるんかな」

 寝ぼけた頭で適当な冗談を呟いた。

 でも、わき腹にかすかに当たる、ほんのりとした温かみは人のものに近い。

 よくよく考えもせずに布団を持ち上げた、その瞬間、

「うわああああああああああああああああああああ!」

 そりゃ叫ぶ。

 ほんとに人がいたんだから。

「ふ……あ……」

 眠気も吹き飛ぶ絶叫に、侵入者は目をこする。

 それから、青い瞳がとろんと開く。

「あ、おはよ」

「お、お、おっ、おま、おまっ――――――」

「ナツ、壊れたビデオデッキみたいになってるよ。一回深呼吸しよ」

 ふう、はあ。よし、深呼吸完了。

「お前、頭おかしいんじゃねえのっ!」

「そうかも」

 返ってきたのが、晴れやかな笑顔で、思わず頭を抱えた。

 なんなんだこいつ……。

「この罵倒で、さっぱりした返事してきたの、お前が初めてだよ」

「男の子の布団に潜り込むのは、ちょっと際どいかなって思ったんだよ」

「だったらその時点で思いとどまれよ!」

「だって一回やって見たかったんだもん」

 はにかむような笑みを浮かべるサクラノ。

「お前、好奇心と行動力が直列つなぎになってんのな」

「言ったじゃん。やりたいって思ったら即行動。人生いつ終わるかわかんないしさ」

 どこかの格言みたいなことを言う。

 それからサクラノは欠伸をしながら、両手を上げて伸びをした。猫みたいな仕草だ。

その背をつたい、掛布団がポスリと落ちる。

「あ、人生って聞いて思い出しちゃった。これから長い付き合いになりそうだからさ、先に言っておくね」

「入院している理由か? だったら無理に言わなくたって――――」

「ナツは優しいんだね。でも言うよ。病気の話がさ、ちょっと匂うたびにこんな気まずい空気になるの嫌だもん」

 すこしだけ強引に、僕の言葉を遮った。

 それから息を吐くように、サクラノはそれを口にした。

「私、死ぬんだ」

 重かったり、悲しかったりするはずなのに、サクラノの調子は晴れやかだ。

 僕はなんて言ったら良いかわからなかった。

「こんなこと言われても困るよね。生まれつきの虚弱体質でね。心臓に欠陥があって長生きはできないって、それだけの話」

「心臓の欠陥」

「この白髪と青目もその影響。体の色素にエラーが起きてるんだってさ」

 青い瞳がきょろりと動く。

 長髪の白色と合わせて、くすんだ部分が見当たらない。

「だからね、人生が今日終わってもおかしくないし、チャンスが巡ってきたらとりあえず飛び込むことにしてるんだ!」

「布団潜り込んだのも?」

「そう! 少女漫画で読んだシチュエーション。実際にドキドキするか、やってみたかったの!」

「ドキドキしたか?」

「ううん、ナツの驚く顔、想像してわくわくした」

 一切悪びれない笑顔で、サクラノはブイサインを作る。でこピンの一発でもお見舞いしてやろうか? そう思ったけど、やめた。

 こんなバックボーンを語られては怒るに怒れない。

「その、なんだ、薄幸系のヒロインみたいだな」

「それ、あんま好きじゃないかな。薄幸って決めつけるの。だって、私はいつでも全力で、迷わず生きてるから。いまだって幸せ全開だもの!」

 臭いセリフを、微塵の照れもなく言いきる。

 それから、サクラノは僕の顔を、両手でパチリと挟んできた。

「以上。私の話、おわり!」

「……お前、強いな」

「ま、そこそこね」

 得意気に言って、はにかむように笑う。

 つられて僕も笑ってしまう。

 あれほど鼻についた得意顔は、もう気にならなくなっていた。

 ちょうどそんな時、トントンとノック音が聞こえた。

「田子さん、あなたに面会者がきているんですが」

 突然聞こえてきた上遠野さんの声に固まる僕たち。

 扉の向こうでは、誰かが揉みあう音が聞こえる。

「ねえナツ。思ったんだけどさ。言っても良いかな?」

「ああ。多分僕も同じこと考えてる」

「今の私たち、見られたらまずいよね?」

 自分で言うのもなんだけど、年若き少年少女が、ベットの上で向き合っている。

 断じてやましいことは無いけど、誤解を招く状況なのも間違ってない。

「ちょ、ちょっと準備するので待ってください!」

「いいえ、待てません!」

 あまりに無慈悲な返事が聞こえる。

 そして、次の瞬間、個室の扉は勢いよく引きあけられた。

「このお客様、田子さんの知人ですよね? さっきからずっと扉の前でうろうろされて、正直邪魔なんですけ――――」

 部屋の空気が凍り付いた。

病室の前で呆然と立ち尽くすのは、冬見あやせ、その人だった。

「……最悪だ」

 あやせの視線は、僕を見、サクラノを見、そしてまた僕に戻って来る。

「あ、あのっ! 私、ナツバに謝りたくて。それで、勇気を振り絞って、ここまで来て……」

 あやせの白い顔が、赤くなり、青くなる。

そしてジワリと瞳には涙が浮かんできて――――――いけない、感情が大渋滞をおこしている。

「あ、あやせ。違うんだ、これには理由があって!」

 まあ当然、そんなもので引き留められるわけがなく、あやせは踵を返す。

「お、お、お幸せにいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 十年近い付き合いの中で、ずば抜けて速いスタートダッシュだった。

「あぁ……」

 その足音は、ものすごい速度で離れていき、とうとう聞こえなくなった。

「もしかして、彼女さんとか?」

 おそるおそる伺うサクラノ。

「いいや」

「じゃあ、セーフ?」

「バキバキ……アウト」

「なんか……ごめんね」

「いや、サクラノのせいじゃない。ありゃ事故だ」

 病室がどんよりとした空気に包まれる。

 そんな中、わけ知り顔のナースがひとり、

「汚れたシーツ、変えておきますね」

「あんたは待て、盛大な勘違いをしている」

 今度ばかりは突っ込む気力もわかない。

 一度誤解したら、あやせは中々話も聞いてくれない。

 ほんと、これからどうしよう……。

 一応弁解のメッセージを送ってみたけど、既読はつかなかった。

「こりゃブロックされてるかもな」

 物言わぬディスプレイを睨み、ため息をついた。

 トラックに轢かれた日、つい八つ当たりをしてしまったこともまだ謝れてない。

「ここ出たら、メッゾフォルテの一番高いプリンを買いに行かなきゃな」

 お気に入りのお店のスイーツを持っていけば、せめて話くらいは聞いてくれるだろう。

「悪いことしちゃったね」

 僕のベットの隣。

 パイプ椅子に腰を下ろすサクラノは、シュンと肩を落としていた。

「お前みたいなやつにも罪悪感が存在したんだな」

「それどういう意味⁉」

「ま、さっきも言ったけど、気にするなよ。これまでの積み重ねもあるからな。自業自得ってやつだ」

 思えば『アヴァサマ』の連載が決まってから、差が開いていくことに焦って、あやせには冷たくあたるようになっていた。

 今回のこともそのツケが回ってきたようなものだ。

「やっぱり、プリンは三個だな」

 力なくため息をついた。

 まあ、それを考えるのは退院が近くなってからでいいだろう。

 今は気持ちを切り替えよう。

 朝の騒動のあと一時的に解散した僕とサクラノは、それぞれの検査を終え、もう一度僕の病室に集まっていた。

「ま、今はこれ以上どうしようもない。約束した話、聞く」

「そ、そうだね!」

無理矢理テンションを上げたサクラノ。

 僕の病室まで持ってきた、大きめのタブレットを取り出した。

「ナツにはね、私と一緒にウェブ漫画を描いて欲しいんだ」

「ウェブ漫画?」

「それ。ツイッターに投稿しようと思ってるんだけど見たことあるかな?」

「まあ、少しくらいなら。でも詳しいことは知らない」

「もったいないなぁ。今ウェブ漫画、特にツイッターは凄いんだよ!」

「そんなにか?」

「そんなに! ここで人気獲得してアニメ化までいっちゃった作品もあるからね!」

 無料、かつ手軽に読める。

 よくよく考えてみなくても、人気が出るのはなんとなく理解できる。

「でも簡単に投稿できる分、ライバルも多いだろ?」

「お兄さん。そこはクリエイターの世界なんだから、どこも一緒だよ。上手い人もいれば、下手な人もいる。十万人いたってアニメ化ってステージにたどり着けるのは、一人か二人だけ」

「まあ、そうだよな」

 年齢も性別も関係ない、『面白い』が絶対の基準。

 我ながら、恐ろしい場所に足を踏み入れてしまったものだ。

「そして目標もあるんだ!」

 タブレットを操作したサクラノは、画面を鼻元に突きつけてきた。

「ええと……『第八回 門山ツイッター漫画大賞』? 聞いたことあるな」

 SNSや漫画には詳しくないけれど、この名前は何度か目にしたことがあった。

「ここ数年の回はメチャクチャ盛り上がったからね!」

 画面に映るのは、あのドルゴンボールや、スリムダンクを産みだした国民的雑誌、週刊少年ストリート、その人気漫画のキャラクターたちが載ったページ。

『バズった奴が一番面白い!』と、見出しがあり、そこに応募詳細が記載されている。

期日は、半年後の十二月三十一日。

三百万円の賞金。

 ページは一ページから四十ページ。

 期間内に投稿し、指定のハッシュタグを付けるだけで参加可能。

『いいね』数で順位を競う。

「一番を獲ったやつは、連載とアニメ化が約束……。確かに魅力的だな」

「そうなの! 連載中の作家でなければ自由に参戦可能! ってことで、質の高い作品が集まってくるから毎年界隈ではお祭り騒ぎが起こるんだよ!」

 やや興奮気味に、解説するサクラノ。

 でも、僕は彼女ほど盛り上がれなかった。

「ルールがゆるいのが魅力かもしれないけど、裏を返せば穴だらけってことじゃないか?」

 アカウントを作るのは簡単だし、『いいね』を工作するのも、それ専門の会社があると聞く。

 その他にも、問題をあげればきりがない。

「盛り上がるのは勝手だけどさ、公平じゃないだろ、これ」

 眉間に皺を寄せていうと、サクラノはチッチッチと舌打ちした。

「勿論その指摘は大会が始まった時からあったよ。案の定、一回目の大会では不自然な伸びを見せた漫画が大賞を取った」

「まあ、そうなるよな」

「この時はアニメ化の話もうやむやになったね。あれ、明らかに面白くなかったし」

「二回目はどうだったんだ?」

「前回の大会のこともあって、不正者がポンポン出てきた」

「無法地帯だな。二連続、正直者が馬鹿を見る羽目になったか」

「まあそうなんだけどね。二回目の大会で大賞を獲ったのは、不正で『いいね』を稼いだ人たちじゃなかったの」

 サクラノは、首をよこに振る。

「じゃあ、誰が一番取ったんだ?」

「ファニーズって芸能事務所。そこの二舞雄太ってひと」

「ソイツは知ってる。紅白も出てたし」

「うん。二舞くんはファンに協力を呼び掛けたの。それであっという間に優勝」

「物議は、醸すよな」

 アイドルの人気で賞レースを制されたら、漫画家としてもたまらないだろう。

「一回目はガバガバのルールってことで期待されてなかったから、注目度が低かったんだけど、アイドルの参戦で人目に出ちゃってね。みごとに炎上。大会のルールも穴だらけって批判されたよね」

 ここまで一気に話し、サクラノはふうと息を吐いた。

「やっぱり全然ダメだろ。ここまで聞いた二つ。ことごとく失敗してんぞ」

「まあまあ、落ち着いてよお兄さん。話の本題はここからだから」

 胸を張って言い、サクラノはパチリとウインクをする。

「炎上も一年が過ぎる頃には忘れられて、掲示板サイトとかでネタにされるようになっていた。そして、第三回の開催が告知された」

「なんでまだ続けるんだよ、主催者はバカなのか」

「確かに騒動はあったけど有望な若手も拾えたんだよね。そのうちの何人かは今、前線で人気漫画を描いてる」

 リスクもあったがリターンも大きかったみたいだ。

 それに第二回の炎上もあって話題性も十分にある。

「悪い意味で注目されてたよね。さすがにアイドル事務所は、もう絡んでこなかったけど、芸能人は何人か参戦してた。投稿作の数も倍に膨れ上がったみたい」

「あー、もう無茶苦茶だな」

「前回の件もあって、プロは殆ど参加してなかったし、純粋な漫画の賞とは誰も見てなかったの。でもそんな状況を突如現れた一作がひっくり返した」

 三回目の大賞。つまり五年前のことだ。

 ここでようやく僕は思い出す。

――――あのね、ナツバ!

門山ツイッター漫画大賞。初耳じゃないのは有名な賞だからじゃない、

「アヴァロンズ・サマーって漫画なんだ。不正も、知名度もない一人のアマチュアが純粋な漫画の力で一位をかっさらった」

「そうか……」

 思わず引きつった笑みがバレないか、心配になった。

「昨日ハリウッドでの映画化が発表されたんだよね。社会現象になってるし。あ、もしかして読んだことなかった?」

「いや、読んだよ」

 というか全世界で一番最初に読んだ。

 僕の部屋に遊びにきたあやせが、恥ずかしそうに、タブレットを渡してきたのを今でも覚えてる。

 むちゃくちゃ面白かったのが悔しくて、『まあまあじゃない?』そうコメントしたことも。

 でもその後、あやせとは疎遠になってしまった。

 プロになったことは知っていた。でも情報は見ないようにしていた。僕の後ろで縮こまっていた背中が、見えなくなっていくのが辛かったから。

「ま、そういうわけで界隈は大騒ぎになった。アニメ化も知っての通り大ヒット。翌年からは有名なプロも参加することになったし、運営も本腰を入れた。明確な不正は失格にするとかね。ってわけで、それから門山大賞は大きく発展。人気作を大量に発掘していった」

 両手を握りしめ、前のめりになるサクラノ。

 彼女の熱が僕にも伝わって来る。

「『アヴァサマ・ドリーム』って言葉があるんだ!」

「ドリーム、ね」

 僕からすれば、すこし苦い言葉だ。

「そう! 大賞を取って一気に人生逆転する。アヴァサマの伝説から取られた言葉なんだ!」

「だからアンタはその賞をとるために、漫画を描くんだな?」

 それを聞いたとたん、青い瞳が丸くなる。それからちょっとだけ考え、整った顔がニヘラっと笑った。

「取れたら嬉しいんだけどね」

「おいおい、なんだか急に勢いが落ちたぞ」

「そりゃ門山大賞は憧れだよ。でも、欲しい物はその向こうにあるから」

 そう言うと、サクラノはどこか遠い景色でも見るみたいに、宙をあおいだ。

「私はね、運命の出会いになる物語を描きたいんだ」

「運命の出会い?」

「そ、唐突に目の前に現れて人生をごっそり変えちゃう。そんな感じの物語」

「まるで実際に出会ったみたいな言い方するな」

 そう聞くと、サクラノの視線がゆっくりと僕に向いた。

「出会ったよ。ちゃんと私の生き方を変えてくれた」

 夕暮れにさらされ、やさしいオレンジに染まる病室。

 彼女の浮かべる柔らかい笑みが、どうしてか、心に刻みついた。

「お、おう」

 もっといい返事はあったと思う。

 でも、どこか切ないその表情に気圧されて、雑な言葉しかでてこなかった。

「自分でも作ってみようと思ったんだけどさ、どうにも上手くいかなかった」

「そうか」

「運命の出会いって、当たり前みたいに転がってるものだと思うの。私の場合そうだったし。だから、雑誌よりもSNSがいいなって」

 そう言い、ふうとため息をはく。

「期日は半年後。だから、十一月までに、様子を見ながら何本か漫画を描いてこう! ペンネームももう決まってるんだ!」

「ペンネーム? ブタ野シンジュと僕、連名で出せばよくないか?」

「それはだめだよ!」

 食い入るように言うサクラノに、思わずのけぞってしまう。

「だってせっかくコンビ組んだんだもん! ブタ野シンジュの知名度でスタートしても面白くないじゃん!」

「お、おう」

「一から成りあがっていった方が話を書いてる方も凄いんだって証明できるでしょ?」

「そ、それもそうだな……」

 有無を言わせぬ勢いに、押し切られてしまった。

 そして、サクラノはまだまだ止まらない。

「ってことで、私たちのペンネームは……『かしおぺあ』っ! どう?」

 その名前に、心のどこかが引っ掛かった気がした。

 昔どこかで目にしたような少しだけ違和感。少し考えてみたけど答えはでてこなかった。

「もったいぶった割にはありきたりだな」

「いいんだもん! 既視感あっても私が好きだから、それでいいんだもんっ!」

 いやいやと首をふるサクラノ。

「ま、ペンネームくらいなんでもいいさ」

 そっけなく言ったけど、僕だって内心ワクワクしていた。

人生逆転。

伝説の賞レース。

これだけ並べたら、どうしたって胸は熱くなってくる。

 さて、どんな物語を描こう?

 頭の中はそれでいっぱいだった。

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