第5戦 VSガライカ

その試合は妙に観客が多かった。

 このセクターのイヌはあまり他者に興味を持たない。

 ここに来てからラスクはいくつかの試合を観覧したが、ここまで人が多いのは珍しい事だった。

 人気の試合なのだろうか。

 掲示板を見ずに立ち寄ったことを少し後悔する。

 狂犬フィロの試合ですら、ここまで人は入らなかった。

「フィロの試合がみたくないのは、わからなくはないが」

 ボソリと感想が漏れる。

 フィロ・モナルカの試合は無茶苦茶だ。

 彼自身に武器は許されていないはずなのに、圧倒的な力で相手を屈服させる。

 単純に筋力があるのも理由だが、フィロの戦闘センスの成せる技なのだろう。

 剣や槍などはただの棒切れで、その試合だけ木製に変られているのではないかと思う程、フィロに通じない。

 一方的な暴力を見るのは、ここにいるイヌでも多くが気分を悪くするらしく、観客は少ない。

 だからこそ、この人の多さが異常に映るのだ。

「ランキング上位のイヌか?」

 イスカとリンの試合はそれなりに観客が入っていた。

 それは試合をみた後なら納得が出来る。

 二人の試合は見せる試合だ。

 イスカが意図しているのか、リンの誘導が上手いのか、どちらの思惑なのかはわからないが、ある程度均衡した力関係を突然狂わせて、どちらに軍配が上がるか推測しにくい。

 賭け事とするなら、フィロの試合より二人の試合だ。

 そう考えると、やはりこの人の多さは上位のイヌなのかと思えてきた。

 

 ブザーがなって、理由が別のものだと知らされる。

 大きな歓声は、賞賛のものではない。

 フードを深く被った見るからに大柄なイヌが場内に現れると、飛び交うのは野次ばかりだった。

「隠れるな、半端者」

「お前みたいなのがいるから、俺たちまで畜生扱いなんだ」

「吠えてみろよ、イヌっころ」

 ブーイングを浴びても、そのイヌは動じなかった。

 静かに立っている。

 掲示板がチカチカと、そのイヌの名を告げる。

 ラスクの青い目に、黄色の蛍光が飛び込んだ。

『ガライカ ハスキー』

 同時に脳裏に浮かんだ姿は、ぬいぐるみのようにふさふさと柔らかい毛並みの兄弟だ。

 血の繋がりはない。

 けれども確かに、兄弟として過ごしたイヌだ。

 作り物のような空色の目で見上げ、愛らしいふわふわした丸い顔で笑う、無邪気な表情が、今でも鮮明に思い出される。

 ガライカは、獣人としても異質だったからかもしれない。

 近年の獣人は、完全な人型だ。

 世代が変わるにつれ元々の姿を失っていく。

 イヌに限ってか、その現象は顕著で、獣本来の毛深さや耳、尻尾も残らない。

 今を生きているイヌの多くは、獣の姿になったことがない程だ。

 それが、突然変異なのか、先祖還りなのかはわからない。

 ただ、ガライカは幼い頃から、完全な人型になることはできなかった。

 尾も耳も、そのとがった口も体毛も隠すことはできない。

 二足歩行ができる犬といった見た目は、同じイヌからも差別される扱いを受けてきた。

 誰よりも、ガライカ自身がその姿を恨んでいるのは明らかだが、記憶の中のガライカは、臆病で他のイヌや人間に危害を加えるなど考えられない程に、優しい子供だった。

「なんで、ここに?」

 セクター331は、犯罪に触れたイヌが送り込まれる闘犬場だ。

 他人を傷つけるどころか、花も踏まないようなガライカが、何故ここにいるのか想像ができなかった。

 フードの下からピンと空を指す三角の耳が飛び出した。

 一本一本がしっかりと外へ向かう毛が全身を包み、長い口からは牙が覗く。

 獣人と言うに相応しいその見た目は、まさに狼男だった。

 2メートルはあろうかという巨体に、記憶の愛らしさはないが、その体毛の色は淡い青灰のままだ。

 そして、ハッキリとラスクを捉えて睨んだ瞳は、懐かしい空色だった。


 飛び交う様々な声が一気に聞こえなくなる。

 バクバクと心拍数が上がり、嫌な汗が吹き出ていた。

 ガライカは数秒の間、ラスクを睨んだ後、その視線を試合相手に移した。

 相手はそれなりに体躯のいいイヌだった。

 それでも、ガライカと比べると小さく見える。

 手には短剣が握られていた。

 対して、ガライカの手には何もない。

 肉球のある大きな手は、毛深いものの器用に動くはずだ。

 シンプルな大きなパーカーの下に武器を隠している様子もない。

 武器など要らないのか、許されないのか、ラスクに判断はできなかった。

 相手はガライカに怯む様子はない。

 むしろやる気に満ちていて、開始のブザーがなる前に飛びかかって来そうな勢いだ。

 空色の目がギラリと光る。

 それは、まさしく獣の物だ。

 一瞬の静けさの後に、鳴り響くブザーを引き金に、衝突した二匹のイヌは、闘犬に相応しい。

 剣が触れる前にその腕を掴み取り、捻る。

 相手も負けじとガライカの鳩尾に蹴りを入れる。

 身体を動かす度に、わさわさと毛が靡いた。

 大きな口が開かれると、白く鋭い牙が並ぶ。

 何に使うかなどは明白だった。

 ガライカの牙が相手の肩に突き刺さる。

 悲鳴を上げた相手がガライカの顔を殴る。

 身体ごと突き飛ばしながら牙を抜いたガライカの口元はじわりと赤色が滲んでいた。

 噛まれた肩を庇いながら相手はそれでも、ガライカに敵意を向けている。

 姿勢を低くしたガライカは鼻筋に皺を寄せて相手を威嚇している。

 グツグツと何が煮えているようにみえた。

 変わり果てた彼を目の前にして、ラスクは目を背けたくなった。

 それでも、その試合を見続けたのは、罪悪感のせいかもしれない。

 周りは誰もガライカを応援していない。

 声援は相手に、罵声はガライカに向けられている。

 イヌは人に限り無く近い。

 その遺伝子は獣のものでも、外見も思考も獣ではなく人に近い。

 だから、イヌは人として生きることを望み、人と同じように暮らすことを求めている。

 半獣が現れては、獣寄りに思われてしまう。

 そういった心理がガライカを迫害してきたのだろう。

 愛らしく優しかった彼が、人に危害を与えなくてはならないようになったのは、

「俺の、せいかもな…」

 呟いた言葉は周りの声にかき消される。

 同時に思い出す熱く赤い光景は、ラスクにとってのスティグマだ。

 それがラスク自身だけではなく、周りにまで不幸をもたらすものだ。

 それが当時はわからなかった。

「ガライカ…」

 罵声は続く。

 相手の剣が、ガライカに向かう。

 振り下ろされた剣に、長い毛が舞う。

 傷付いた肩を狙い、大きな腕が相手に振り下ろされる。

 地面と手のひらに押し潰された肩から、鮮血が弾け飛ぶ。

 それでも、相手は闘志を絶やさない。

 痛みに顔をしかめながら、まだ動く腕でガライカに剣を突き立てる。

 その剣が偽物ではないことを明らかにした。

 緻密に敷き詰められた体毛を裂き、青白い身体を赤で染める。

 腹部に刺さった剣に血が伝い、獣の叫び声が場内に響いた。

 同時に沸き上がる歓声に、表現のし難い不快感を覚えた。

 心臓の奥がざわつき、外からどす黒い靄に押し潰されていくような、しとしとと降り注ぐ雨に濡れたわら半紙にインクを溶かすような、じわじわと侵食する不快感だ。

 試合をしているイヌはどちらも血だらけだった。

 けれども、終わりを告げるブザーはならない。

 殺しは御法度のはずなのに、人間ですらこの試合をまだ続けろという。

 よろりと後ずさるガライカを追う相手もまた、ボロボロになっている。

 出血を続ける腕を引きずって、それでも刃を向けている。

 その目はまだ、ガライカへの攻撃を諦めていない。

 対して、腹部からの出血を手で押さえているガライカは、唸り警戒しているものの、その行動は引き気味だ。

 空色の目までは見えないが、闘志は明らかに薄らいでいる。

 ジリジリと距離が詰められる。

 いくらガライカが大柄だといえ、負傷し、傷を庇いながら剣の相手をするのは難しい。

 完全にアウェイな空間で、この状況を打破する方法はあるのだろうか。

 諦めにもとれる距離の開け方は、ラスクに纏わりつくモヤモヤを助長させるものだった。

 隣で観覧していたイヌも、大きな声でヤジを飛ばしている。

 ガライカに向けられる罵倒を楽しげに口にする。

 彼が好きでその見た目を手にしたわけではない事を知っている。

 幼い頃から友達らしい友達も作れずに泣いていた事を知っている。

 誰よりも争い事を嫌い優しく笑う本質を知っている。

 恐らく、その性格を歪めてしまった一端はラスクにある。

 相手が今にも飛びかかろうと地を蹴り上げた時、ラスクは無意識に立ち上がっていた。

「負けるな!!」

 相手の応援にしては的はずれな台詞だった。

 周りが不審な目を向けた。

 ラスクの青い目は、ガライカだけを見ている。

 大きな耳がピクリと動いた。

 飛びかかってきた剣を鷲掴みにし、傷口から吹き出る血液を砂に撒きながら、甲高い音を立ててその刃を地面に叩きつける。

 剣を握っていた相手もろとも叩きつけ、その衝撃で剣は見事に折れた。

 反動で宙に飛び上がった刃に、獣の姿が映る。

 牙を剥き出し、瞳孔の開いた目は、まるで狼だ。

 勢いよく叩きつけられた衝撃で脳震盪を起こしたのか、相手はピクピクと痙攣をしたまま動かない。

 暫く場内が静まり返った。

 ガライカが全身を使って息をしている。

 数秒の間を置いて、空気を震わせるブザーが鳴った。

 大きく息を吐いたガライカは手に付いた血を払い、天井に向かって吼えた。

 観客席からは酷いブーイングが飛び交う。

 その声に耳を貸すことなく出口に向かうガライカだが、一度だけ、ほんの一瞬振り返る。

 バチリと視線が合う。

 空色の目は、確かにラスクを見ていた。

 ガライカの表情は険しいままだったが、無事を確信したラスクは身体中の力が抜けていくようだった。

 崩れるように椅子に座り込み、頭を抱える。

 懺悔をするような姿で今見た光景を思い返す。

 これまでの行いが返ってきたような気分だ。

 忘れたわけではない。

 一生、忘れられない記憶だ。

 忘れてはならない罪だ。

 しかし、それはこの身が朽ちるまで自分だけのものにするつもりの記憶だった。

 考えが浅はかな自分を悔いるように、奥歯を噛み締めた。

 


 その日の試合を見終わり、スッキリしない頭で施設を歩き回った。

 止まってしまっては過去が首を締める。

「後悔は、しないと思っていたのにな」

 トレーニングエリアの一角で足を止めた。

 並々と水が張られたプールがある。

 50メートル程泳げるコースが2つ伸びる細長いプールだ。

 水面がチカチカと輝いているが、蛍光灯に照らされているせいか、心の持ちようなのかセピアの物悲しい色にみえた。

 遅い時間でもあり、施設を利用しているイヌの姿はない。

 ただ、ゆらゆらと水面が照らされているだけだ。

 余談ではあるがラスクは水泳が苦手だ。

 泳げないわけではないが、全身を水に浸ける行為が苦手だった。

 それでいてシャワーで身体を洗うことは好きなのだから一貫性はない。

 水圧で身体を絞められるような感覚がどうにも苦手で、湯船に浸かるという事すら嫌がるほどだ。

 昔からそうだった。

 兄弟達が仲良く湯浴みをしていても、ラスクだけがそれを拒否した。

 一緒に入りたいと駄々を捏ねるガライカと、頑なに湯船に近寄らないラスクを宥めるのは母の役目だった。

 人間だった母は、聖母というのに相応しいような人格者だった。

 全てを赦し、全てを愛し、人もイヌも平等に扱ってくれる。

 柔らかく温かい抱擁を今でも覚えている。

 全ての人間が、母のようであればと何度夢を見たことか。

 そんなものはどんなに時を経ても叶わない夢物語と知るのに、さして時間はかからなかった。

「今、かあさんに会ったらひっぱたかれるんだろうな」

 ふっと、笑みが漏れた。

 優しくも厳しい人だった。

 あの時中のよかった三人が、そろってこのセクターにいるのだから、顔を真っ赤にして怒ることだろう。

「あんたが、死ぬからいけないんだ」

 水面に向けた視線は、驚くほど冷たくて、自身がこんな冷徹な生き物かと気を落とす程だった。


「相変わらず、怖い顔してるんだね、ラスク兄さん」

 声に振り向くと、今日の試合でみた大柄のイヌが立っていた。

 大きなフードを被り、ポケットに手を突っ込んでいる。

 上からラスクを見下ろす空色は、ガラスのように光り鋭く冷たい色をしていた。

「…でかくなったな、ガライカ」

 心臓が押し潰されそうだった。

 絞り出した声は震えていた。

 再会の喜びなどは微塵も感じられない。

 その冷たい空色に籠められたのは、恨み憎しみだからだ。

「兄さんは、変わらないね」

「…そう、だな」

「あの時と同じ、怖いイヌのままだ」

 ラスクは動けなかった。

 今すぐにでもその場を逃げ出したいというのに、目の前のイヌに背を向けるわけにはいかなかった。

 指先の感覚がなくなっていくようだ。

 血の気が引き、倒れそうだ。

 それでも、立って向き合っていなければならない。

 それが、あの時の覚悟であり、彼らに対する誠意だからだ。

「それが、普通の感覚だろう」

 変わったのは経験の量だけだ。

 そう思い込んできたが、どうやらそれは間違いのようだ。

「ここにいるってことは、お前も、何かしたのか?」

「ははっ。この見た目だよ?普通に生きていけるわけがないでしょ。」

 自嘲するように、大きく口を開いたガライカは、鼻筋に皺を寄せている。

 ラスクを見下ろす空色がギラリと光った。

「生きていくために、なんだってしたよ。そうじゃなくても、僕は外に出るだけで犯罪者扱いだ。

 ラスク兄さんみたいに、人に紛れられないんだもん。」

 嘲笑うような、悲しい顔だ。

 人を傷つけるようなイヌではないのに、その見た目はやはり迫害の対象なのだろう。

 ガライカの過去を思い、胸が苦しくなる。

 無意識に噛み締めた口の中で鉄の味がじわりと拡がる。

「…そうか」

 目を合わせられず、水面に視線をずらす。

 絞り出した言葉は間違っていたのだろうか。

 ピクリとガライカの表情が動く。

「そうか?分かってたんじゃないの?

 あそこで暮らしてたイヌは、みんな外れ者だった。

 知らない訳ないでしょ。

 それを壊したらどうなるかなんて、ラスク兄さんなら分かってたはずだよ」

 徐々に声を荒げるガライカの喉から低い唸り声が漏れている。

 前のめりになり、姿勢が低くなり、憎しみをたっぷりと満たした目がラスクにもよく見えた。

「…」

 ラスクは言葉を詰まらせる。

 謝って許されるものでもないし、自身の行いを否定できる程大人でもなかった。

 口を歪ませ、視線を右往左往させている。

 今でも鮮明に思い出せるその過去は、いつまでも胸の奥底でチリチリと痛みを発しているようだ。

 がむしゃらに生きることで忘れようともした。

 その程度では塗りつぶせない程に深く濃い色をしている。

「言い訳とか、ないの?」

 黙っているラスクにガライカが問う。

 全身の毛が逆立ち、苛立っているのがよく分かった。

 それでも、言葉がみつからない。

 何を言えば許されるのかではない。

 納得ができる言葉が何も出てこないのだ。

「なんとか言えよ」

 ポケットの内で震えていた大きな手が飛び出ると、瞬く間にラスクの喉元を捕らえる。

 そのままの勢いでプールサイドに叩きつけられたラスクは、咄嗟にその腕を掴んだ。

 丸太のように太く、頑丈で、ごわごわとした剛毛に守られた筋肉は、人のそれとは全く異なるものだ。

 馬乗りになるガライカの口から覗く鋭い牙も、獣特有の臭いも、目の前の相手が獣であることを知らしめる。

「や、めろよ。けもの、みたいだ」

 首が締められる。

 呼吸がままならなくなり、必死にガライカの腕をかきむしる。

「僕を獣にしたのは、ラスク兄さんじゃないか」

 牙を見せつけ怒鳴るガライカは、獣そのものだった。


 バチッと弾ける音がした。

 途端にガライカの腕は離れ、首輪に手を掛けもがいている。

 気道がようやく開いたラスクは必死に空気を取り込んだ。

 冷たい空気が肺に入る。

 踞り低く唸るガライカを少し霞む視界でとらえていた。

「だい、丈夫か?」

 襲われていた者の発言ではなかったかもしれない。

 端からみれば被害者はラスクだ。

 自身もまだ息が調っていないのにだ。

「やめろよ、偽善者面して。

 何したって、僕は兄さんを許さない」

 痛みに涙を湛えるその目には、変わらない憎悪が滲み出ている。

 ギロリと睨んだ後、ふらふらと立ち上がりラスクに背を向ける。

 ふさふさの尻尾が、だらりとついていく。

 その背を見送りラスクは目を伏せ、悲しそうに笑う。

「わかってる」

 ガライカには届いていないだろう。

 残されたラスクは一人、変わらずただ揺れる水面を眺めていた。


 フラフラと一人歩いていると、後ろから声をかけられた。

 聞き覚えのある声に振り向くと、ラッセが面倒くさそうな顔で立っている。

「何の用だ?」

「ガライカと揉めたろ?報告が入った。

 一応、怪我してねぇか確認するのが決まりなんだ」

 仕事を増やすなと言わんばかりのキツい言い方に、思わずため息が出る。

「怪我はしてねぇよ。」

 答えてから気づく。

 どこから報告があったのだろうか。

 ガライカの首輪が暴力を止めたのは確かだが、何故それがわかったのだろう。

「なんで、あんたが知ってんだ?」

「そりゃ、監視カメラには写ってるだろうし、首輪のセーフティ装置が作動したんだ。

 記録には残る。数が多くなれば懲罰対象だ」

「そんなこと、聞いてねぇぞ」

「ありゃ?言ってなかったか?」

 とぼけた顔をするラッセに眉をひそめる。

 適当な仕事をしてそうな彼の事だ。

 話したか話してないかなど、気にしてはいなさそうだ。

「俺が監視してるわけじゃねぇけど、そこら中にカメラはあるぞ。

 ここは収容所なんだから、当たり前の話だけどな」

 ラッセの指が指し示す方を見ると、赤いランプを点滅させながら小さなカメラが首を振りながら辺りを見渡している。

 よく見れば、数メートル間隔でカメラが設置されてるいる。

 監視カメラの存在は知っていたが、こんなにも狭い間隔で設置されてるとは思わなかった。

「誰が見てるんだよ」

 カメラがあると言うことはそれを見ている人がいるということだ。

 収容所内は広く、この間隔でカメラを取り付けていたら、その数は膨大になるだろう。

「誰がチェックしてるかは知らねぇけど、だいたいの揉め事は通知が来る。

 下手な動きはするんじゃねぇぞ」

 ラッセの手がラスクの頭にポンと乗せられる。

 受付や書類仕事ばかりしている割に、ゴツゴツと骨張り、大きく力強い手だった。

 子犬を宥めるように数回軽く乗せられ、妙にバカにされたような気分になる。

 ラスクは背の高いラッセを睨み、ムッとした顔をみせる。

「なんだよ、チビの頭は撫でやすくていいな」

 などと、ラッセはニヤニヤとしている。

 赤い髪をわしゃわしゃと撫で回しくちゃくちゃにした後、背を丸め、ラスクの視線に合わせた。

 何をするのかと警戒するラスクに、ラッセは低い声で警告した。

「問題行動は控えろよ?懲罰で済まなかったら、処分はディングの仕事だ」

 赤い、何も映さない虚ろな目を思い出す。

「だから…なんだ」

「殺しなんてさせたくないんだろ?」

「……」

 番犬の仕事をみた反応から、関係があることを勘繰っていたラッセは何かを確信して笑う。

 苦虫を潰したままのラスクは睨み付けることしかできなかった。

「わかりやすいな。素直なイヌは人間に喜ばれるぞ」

「俺は飼い犬じゃない」

「ここに来た時点で飼い犬だよ」

 ポンと肩を叩き去っていく。

 その背が少し丸くなってるような気がしたが、脳裏に焼き付いた赤い目が、ラスクを縛り付けていくようだった。

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