第3戦 イスカVSリン

開幕のブザーが響いている。

モニターが今日の試合を掲示する。

『イスカ・クラウネス ボーダーコリー』

ボーダーコリーは牧羊犬だ。

賢く従順で、主人の命令通りに羊を誘導する姿が有名だろう。

客席から試合会場を眺めていたラスクには、イスカとボーダーコリーは結び付かないような気がしていた。

口調は強く、相手を挑発する態度を崩さない。

従うべき政府にたてついてこんな場所にいるのだから、犬種としての性質を兼ね備えていないことは明白だ。

「嫌々ここにいるって感じもねぇんだよなぁ」

ラスクは先ほどのイスカとリンの対話を思い出す。

リンは軽く受け流してはいたが、イスカの態度は高圧的で、リンを煽るものだった。

それは、罪人として強制的に試合をさせられているというよりは、望んで試合に参加しているようにも取れる。

罪を犯すような犬なのだ。

好戦的であっても不思議ではないが、それならば、殺すことは許されないこの試合は、彼女にとって物足りないのではないだろうか。

ラスクがいろいろと巡らせていると、モニターの表示が変わった。

『シア・リン ボルゾイ』

あぁ、と、声が漏れた。

彼の容姿から、納得がいく犬種だ。

大型で、四肢が長いその犬種には見覚えがあった。

外で活動している時に、何人かボルゾイに出会ったが、一様に手足が長く、長身で、ラスクは見上げるばかりだった。

歩幅が大きいためか、走るのも早く、持久力もある。

一対一の試合となると、イスカの方が不利であるのは初心者でもわかるだろう。

「どうするつもりなんだ」

あれほど挑発しておいて、あっさり負けるようでは話にならない。

何か、策でもあるというのだろうか。


ぐっと背伸びをしながら、イスカが場内に入ってきた。

その目は先ほどと同様に好戦的でギラギラと光っている。

視線の先は対角線上のゲートだ。

そこに、背の高い男が不敵な笑みで立っている。

「今日の白星は私がもらうわ。それと、順位も入れ替わりを覚悟して置くことね」

「怖いこわい。それじゃぁ、今日は逃げに徹しようかな」

飄々とした態度は相変わらずで、イスカの言葉も真に受けているようには見えない。

その言葉が嘘である証拠は、その手に握られた槍にある。

勝ちを重ねていけば武器の選択肢が増えると聞いていたが、種類はかなり多いらしい。

対して、イスカが手にしているのはダガーだろう。

短剣の類ではあるが初心者用の物だ。

軽く細い刀身はとても攻撃力が高いとは言えない。

それでどうやってリンに立ち向かうつもりなのだろうか。

「槍に短剣って…間合いに入ることもできないんじゃ…」

長身のリンが槍を持つことで、彼の間合いは広くなる。

大して、女性であり特別背丈が高いわけではないイスカの手に短剣だ。

武器が入れ替わっていたとしても、彼女のリーチがリンを超えるとは難しいかもしれない。

開始のブザーが鳴る。

先に仕掛けたのはイスカだ。

地面を蹴り上げ、姿勢を低くしリンへと走る。

その姿は本物のイヌの様だ。

今にも首元へと噛みつきそうなほどに深く笑っている。

手に握られたダガーが砂埃の中でギラリと光った。

「いつもと、同じ?」

リンが笑った。

ダガーの切っ先がリンの槍とぶつかる。

その交点を支点に、ぐるりと柄が回る。

刃は滑りイスカは前のめりになる。

大きく足を踏み出し、その場にとどまるが、後方からは槍の柄が迫っている。

頭部を沈め、さらに低く姿勢を保つ。

イスカの頭上を槍が振り切った頃、空いた手でイスカが掴んだのはリンの裾だ。

バランスは重心が下にあるイスカの方が安定している。

姿勢を崩せばイスカにもチャンスが回ってくるはずだ。

ぐんと引っ張られ、リンの体が揺れ、倒されると思った。

「意外な動きだね」

イスカの動きが止まる。

目の前に突き刺さったリンの槍が行く手を阻んだ。

「つまらないよ、イスカ」

槍を支えにイスカが掴んでいた足が蹴り上げる。

細身に似合わない、重い蹴りだった。

数メートルほど蹴り飛ばされたイスカは、それでもまだ闘志を燃やしている。

「えぇ、楽しいわね。生きてるって、感じがするもの」

笑っている。

ラスクの目に映る彼女は劣勢にも関わらず、確かに笑っている。

観覧席のラスクに言葉までは聞こえない。

だが、二匹の犬がこの試合を楽しんでいることは、確かな事だった。



攻防はしばらく続いた。

時間にすれば十分ほどの事だが、イスカが飛び掛かり、リンがそれをいなす。

かと思えば、リンがイスカの隙を突き攻撃を仕掛けることもある。

たった数分の攻防は、一切の迷いすら許さない緊迫したものだった。

ラスクはなるほどと、息を吐いた。

イスカの勝算は、相手を知っているからこその物だろう。

彼女の攻撃は単純に見えるが的確に急所を狙っている。

そして、リンの攻撃パターンを読み取っている。

始めの一撃以外、まともに攻撃を受けていない。

攻撃に移るモーション、手の位置、表情の変化まで分析しているようだった。

そのため、リンが仕掛けようにも交わされ、カウンターを許してしまう。

もちろん、彼も簡単にイスカの攻撃範囲に入るようなことはしない

槍という武器の長所を理解し、イスカが潜りこむ隙を限定し、そこ以外は距離を取る。

互いに戦い方を知っているからこそのやりにくさがあるようだ。

「つまんないなぁ。イスカ、まだまだだろう?」

リンが槍を構えながら問いかける。

肩で息をしているイスカは、その言葉の意味を理解したようだ。

「まだ、やれるわよ」

威勢よく走り出すイスカだが、ラスクには勝敗が見えていた。

「体力の、限界か…」

モーションが大きくなる槍は、振り回すだけでも多くの体力を使うだろう。

だが、それ以上に、リンの間合いの外から飛び込まなくてはならないイスカが消耗するエネルギーは大きくなる。

何度も決定打になるような攻撃はできている。

それも並のイヌ相手ならば的確に打ち込めていたはずだ。

「ランキングは、適当ってわけじゃないのか」

勝率によって決まるランキングはそれなりに正確なものらしい。

二人は上位のイヌだ。

たった一つのランキングの差がこうして目の前に示されている。

「あいつ、外でも何かやってたのか?」

いくらセクター331での生活が長くとも、独学で戦闘スキルを磨くのには限界がある。

ラスク自身も自分の目的のために外にいる間、ある程度の武術は人から教わった。

リンの動きも、イスカの動きも、独学で得ているようには見えなかった。

全てのイヌがとは思わないが、ランキングの上位にいるイヌは元々戦闘スキルを持った者だと考えた方が良さそうだった。

「だったら、なんであいつがNo.1なんだよ」

つい零れた言葉は、歓声にかき消された。

ハッとして場内を見ると、イスカの腹部に槍の柄が叩きつけられている。

たった一瞬の出来事だった。

イスカはそのまま振り切られ、壁へと叩きつける。

砂煙に飲み込まれ、咳き込んだ。

体勢をすぐに立て直さなければいけないことはわかっていた。

しかし、疲労と衝撃で足は思うように踏ん張ってくれない。

そうこうしている間に、リンの槍がイスカの頬を掠めて壁に突き刺さった。

砂が落ち着き、クリアになった視界に、細目の笑みが映る。

「僕はもう少し楽しみたいんだけどさぁ」

どろりと血が落ちた。

汗が傷に染みて、じくじくと痛む。

息は落ち着きを取り戻しそうにない。

奥歯を噛み締めて、心底悔しそうに、イスカが両手を上げた。

「降参よ」

途端に、ブザーが激しく鳴る。

モニターにリンの名前が映し出され、いっそう大きな歓声が上がった。

ランキングに変動はない。

「いやぁ、流石に強いよね、イスカ。僕、必死だったよ」

へらへらと笑いながら差し出されたリンの手をイスカが掴むことはなかった。

ゆっくりと、自力で立ち上がるイスカは、負けた身であるにも関わらずリンを睨んでいた。

「おーこわいこわい」

「次は勝つから」

血を拭い、赤くなった指でリンを指さす。

その挑戦的な姿勢に、リンは満足そうだった。

ゆっくり、それぞれの出口へと向かう。

試合中はリンも苦戦しているかのように見えた。

けれど、退場の足取りを見ると、やはりイスカは格下らしい。

よろよろと歩くイスカに対して、リンの足取りは実に堂々としている。

それは、入場時と変わらないようにも見える。

試合中の動きが少なかったわけでもなければ、むしろ隙を許さない緊迫したものだったはずだ。

それでいてここまでの差があるというのなら、ランキングの1つの差というのは、拮抗しているわけではないらしい。



試合を終えた二人の様子を見ようと、ラスクは会場入り口付近を歩いていた。

門番から、ラスク自身の今日の試合はないと言われている。

「およそ週三回、か。健康状態を見ての判断って言ってたけど…連投もあるんだな」

イスカは昨日も試合があった。

ただ、昨日の試合は完全に主導権がイスカにあった。

試合後につまらなかったと文句を言いに行くほどに簡単なものだったため、今日も試合を組まれたのだろう。

「あれれ?ラスくん、ヒーローインタビューかな?」

難しい顔をしているところに、涼しい顔をしたリンが声をかけてくる。

その姿は先ほどまで試合をしていたとは思わせないほどに落ち着いている。

「試合を見ていたが、余裕だったんだな」

「そんなことないよ。イスカは厄介だからね。こう見えて、結構疲れてるんだから」

おそらく、これらの言葉の嘘なのだろう。

そうでなければ、こんなにも早く控室から出てこない。

「イスカは?」

「イスカはいつも遅いよ。人に会いたくないんじゃないかな?」

それは、負けたからだという意味なのだろうか。

確かに、彼女の強気な性格では、負けた直後は人に会いたくはないだろう。

そう考えたラスクは、仕方なく彼女の控室に近づくことを諦めた。

「女の子を追い回すもんじゃないよ、ラスくん」

リンの言葉にラスクはハッとした。

そうだ、イスカは女性だ。

強気な態度と好戦的な姿勢ばかり見ていて忘れかけていたが、女性なのだ。

「……いや、別に、そういうつもりじゃ…」

意識してしまえば、自分の行動がどう見えていたのか気になってしまう。

わざわざ試合後に声をかけようとするのは不自然ではないだろうか。

親しい仲ならともかく、試合直前まで言い争いをしていたのだ。

それどころか、会って数日じゃないか。

様々な言い訳が次から次へと飛び出しては消えていく。

まとまらない思考に口を金魚のように開閉していると、リンは至極面白気に笑うのだ。

「あれれ?ラスくん、もしかして、女の子慣れしてないのかなぁ?」

「慣れてないとか、そういうもんじゃなくて…」

もごもごと言い訳を口にするラスクをからかいながら、リンが笑う。

実際、女性と話をする機会は少なかった。

そういう環境で随分長い事過ごしてきたのだ。

「いい男になりたかったらさぁ、女の子の扱いくらいちゃーんと学んでおくべきだよ?」

ニタニタと見下してくるリンに対して、ラスクは顔を真っ赤にして怒っていた。

手を出したいところだが、どこで監視をされているかわからない。

強く握られた拳がむなしく震えていた。

「そういうお前は、女の扱いになれているっていうのか?」

どうせろくでもないイヌの集まりなのだ。

ここに長くいる者ほど、出会いの機会は限られてくる。

リンも、例外ではないはずだ。

ラスクの問いに、一瞬の間が生まれた。

リンの口が、再び孤を画いた時に出た言葉は

「そりゃぁ、人並みにね」

といった、曖昧な表現だった。

確かに口元は笑っていたが、その人が纏う感情はどこか切なくて、ラスクは握りしめた拳の行方に戸惑った。



そんなやり取りをしている間、イスカは控室で傷を確認していた。

リンとは何戦も交えている。

不要な攻撃をしないこともわかっていた。

それは、お互いこの施設での生活が長い為に出来る取引だ。

試合の前半は本気で攻撃を仕掛けるが、後半は違う。

合間を見て、一撃を入れた側を勝者とする。

タイマーが後半を指し示す数字になって、先に武器を触れさせたのはリンだった。

その時点で二人の勝敗は決まっても、これは一つの見世物なのだ。

最後まで演じ切る必要がある。

「頬っぺた、傷残るじゃない…」

戦意を喪失させる演出とはいえ、血が流れるほどに切られた頬は痛むし、しばらく傷は残るだろう。

ガーゼの上から傷を撫で、深くため息を吐いた。

また、黒星が付いてしまった。

観客は楽しませただろうか。

そんな不安がよぎる。

カチカチと響く秒針の音が、やけに大きく聞こえ、耳をつついてくるようだ。

荷物を手に取り、控室を出るころには、次の試合が終わりの合図を知らせていた。

控室の先の廊下に人はいない。

試合に出るイヌ以外利用しないのだから、当たり前だった。

今のイスカにとって、それは喜ばしいことだ。

彼女の足は、ゆっくりと前に進む。

向かう先は、自室でも、受付でもない。

医務室の横を伸びるのは、薄暗い廊下だった。

その先には、厳重に幾重にも鍵がかけられている管理局がある。

どうせ進めない道の為、ここを通るイヌなどいなかった。

管理局への扉の前に、薄暗くてよく見えないが、左へ道が続いている。

重たい足を動かして、イスカはその暗闇へと進んでいく。

足元に、うっすらと光る蛍光塗料が点々としており、それが唯一の目印だった。

真っ暗な道を進むと、一つの扉が現れる。

重く、冷たいその扉を、ゆっくりと開く。

先は相変わらず薄暗く、まともな光源は存在しない。

小さな部屋だ。

特に物のない、ただ真四角な部屋だ。

突き当りに、小さな小窓がある。

その前にイスカはたった。

窓は手のひらほどしかなく、その先も相変わらず暗く、そこに穴があるというくらいにしか認識できないものだ。

「負けちゃった」

ポツリと、イスカが口にした。

暗闇が言葉を飲み込んでいくように、静寂が訪れる。

「また、あなたに会えるのが先になっちゃった。」

小窓には暗闇しか映らない。

けれど、その先から、確かな返事が返ってきた。

「けが、して、ない?」

弱弱しいその声は、少年のようなあどけなさが窺えた。

「平気よ。ちょっとかすっちゃったけど、引き際をわかっているから、酷い怪我なんてしないわ」

「そっか、よか、った」

イスカの手が、小窓に触れる。

ガラスが行く手を阻み、冷たい温度だけが、手に触れた。

「トーワ、もう少し、待っててくれる?」

沈黙が流れる。

その先の言葉を、イスカは待ち続けた。

不意に、手のひらに温もりを感じる。

薄いガラス越しに、確かに温度を感じた。

「いつ、まで、も、きみ、を、まつ、よ」

苦し気に発せられた言葉に、奥歯を噛み締め、それでもイスカは笑った。

この暗闇で、その笑みは見えないが、形だけでも笑っていたかった。

「必ず、あなたに会いにいくから」

ガラス越しの体温を一秒でも長く、その手に覚えさせるように、二つの手は重なり続けた。



リンと別れ、イスカを待つことも諦めたラスクは、行く当てもなく施設内を歩いていた。

地図を頼りに漠然と地理を把握しておく狙いがある。

「広いな…」

改めて歩いてみると、この施設はかなりの広さがあった。

観戦しているイヌの数から、100人以上は収監されていると推測できる。

そのイヌたちがそこそこ不自由なく生活はできているのだ。

被害者の人間が知ったら、激怒などという言葉では到底終わらないだろう。

いくら望まない試合をさせられるといっても、一試合ごとに命の危険があるわけでもない。

事務施設も、購買施設もそろっている。

5畳ほどの個室も与えられている。

野良の生活をしてきたラスクは、外よりも優遇されている錯覚に陥ることがあるほどだった。

「差別のない、世界か…」

外の世界で、イヌは犬でしかない。

どんなに姿や思考が人に近づこうとも、所詮、獣なのだ。

生れた時から種の差別を受け、さらには血統による優劣をつけられる。

それが、この国のイヌの運命なのだ。

セクター331には、その差別がない。

誰もが罪人で、まともな生涯を送っていないが、皆がイヌであり、ろくでなしだ。

慣れ合いもないだろうが、殺伐とした空気もない。

ただ、個々がそこに存在しているという、不思議な心地よさがある。

もし、この状況を外のイヌが知ったら、自ら罪を犯し、ここに入ることを望むものもあらわれるだろう。

衣食住に関しては、不自由が無さそうだ。

ラスクはふと、天井を見上げた。

ここに空はない。

全てが封鎖され、冷たい壁に覆われている。

申し訳程度に天井に描かれた空には、微動だにしない雲が張り付いている。

管理された空調のせいで、季節もわからない。

太陽の代わりに天井を這う電球は、確かに温もりを持ち合わせているが、どうにもぎこちない。

そもそも、時間通りに動いているのかも確かめる術はない。

「箱庭、か」

人間によってつくられた箱に押し込められて、人間に義務付けられた試合をする。

理不尽で身勝手な場所のはずなのに、外よりも快適さがあるのは、人の側で生き続けた犬という生き物の性なのだろうか。

複雑な心境で歩いていると、前方から走ってきた少女にぶつかった。

彼女は動転し、ラスクを見ると怯えた様子を見せた。

「ご、ごめんなさい」

「…別に、なんともねぇよ」

ぶっきらぼうに吐き捨てて、少女と別れる。

こんなに幼い子まで試合をさせるのかと、眉をひそめた。

ラスクよりもずっと小さく、あどけない子だった。

走り去る少女の背を見送って、深く息を吐く。

見上げた天井は、先ほどと一ミリも変わりがなかった。

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