第1戦 セントバーナードVSラスク

朝日が顔にかかって、暖かさに目が覚めた。

見慣れない部屋に一瞬戸惑うもののここがセクター331だと思い出す。

その後連れて行かれた自室はそれこそ収容所のようで、シンプルな部屋にはベッドと簡易キッチンしかなかった。

板にシーツを引いただけのような硬さに身体がミシミシと音を立てていた。

牢屋の鉄筋の床よりはましだと言い聞かせたが、やはり堪える。

バキバキと音を立てる体を伸ばし、深いため息をつきながら、同じく昨日ラッセから受け取った着替えに腕を通す。

決闘に勝てば賞金が出て買い物もできるらしい。

決闘の義務以外は対して外と変わりがないということも聞いている。

ただ、変わりがあると言えば、ここに人間はいないということだ。

セクター331は、“イヌ”の為の収容所なのだ。

ラッセから受け取った衣服は、ラスクにとっては大きいようで、袖を捲らなければ手が隠れてしまう。

160cmほどの身長は犬に比べたらもちろんだが、人間の中に紛れても小さく、いつまででも悩みの種となっている。

いつか伸びると思っていたが、この歳になればもうあきらめるしかなかった。

「嫌がらせかよ」

ラッセに散々からかわれた後にこのサイズだ。

あからさまな嫌がらせに今後が不安になる。

決闘の受け付けは彼がしているらしく、出場と賞金の受け渡し、そしてわずかだが外部との接触の監視も仕事らしい。

故に、ラッセはセクターの狗から“門番”と呼ばれていた。

セクター331の狗には赤い首輪がつけられるのだが、ラッセの首にはめられていたのは黒のものだった。

どうやら、囚人として決闘を行うイヌは赤い首輪を、政府側で管理をしているイヌは黒い首輪をしてるらしい。

首輪は何度も外そうと試みたが、無駄な抵抗に終わった。

ベルト部分は飾りに過ぎず、内側でしっかりと固定されていた。

皮の中に特殊合金でも入っているのかびくともしない。

しばらくは言うことを聞いて逃げ出すチャンスを待つしかなさそうだ。

「っていうか、時計もねぇし」

時刻を確認しようとしたが時計らしいものは見当たらなかった。

部屋には最低限の物しかなく、鉄筋がむき出しの簡素なものだ。

10時に来いとラッセに言われたのだが、これでは時間の確認の仕様がない。

面倒ではあるが時計のある場所まで出るしかないようだ。


「お?まだ9時過ぎだぜ?せっかちだなぁ」

「時間通りに来てほしかったら時計くらい置いとけ」

「おー。威勢のいいこと」

火のついていない煙草を銜えながら書類に目を通しているラッセを前にラスクは不機嫌だった。

早く来たからと言って決闘の時間は変わらないらしい。

それまで待てと言われてしまえばラスクにはどうすることもできない。

どこかへ出向いて遅れては何を言われるか分からない。

そもそも、どんなペナルティーがあるのかすらも把握していない。

命を投げ出して罪を犯したものの、それが未遂に終わってしまっている以上、生きてここを出ることが最優先だった。

カウンターにもたれて時間が経つのを待つしかない。

モニターには相変わらず砂の舞う会場が映されていたが、試合は行われていない。

ラッセが書類をめくる音のみが耳に聞こえていた。

しばらく静かな時間が過ぎた。

雑音の少ない、不本意ではあるが心地のいい時間だった。

その穏やかな時間は僅かではあったが、確かに“心地よい”と感じていた。


「門番!今日の試合相手どういうこと?こんなカス相手にしないでよね!」

突然女がカウンターに手を叩き付けて一枚の書類を突きつけ怒鳴り込む。

ラスクは彼女の視界に入っていないようだ。

「あ?しかたねぇだろ。組み合わせは上が決めてんだから、俺のせいじゃない」

「一言くらい言えるでしょ?こんな奴10分も持たないわよ」

「手加減くらいできるだろ?お前の試合は評判がいいんだ」

「だったらもうちょっとマシな奴にしてくれないかしら?退屈しのぎにもならないわ」

胸倉を掴む勢いで文句を言う女性に、ラスクは言葉も出なかった。

剣幕にのまれていると、その首にも赤い首輪が嵌められていることに気付く。

「…“イヌ”?」

「だから……。誰?」

ようやくラスクに気付いた女は眉間に皺を寄せて見下ろしてきた。

ラッセが女の手を払いながら新人だと告げると、興味が湧いたのか顔を近づけてきた。

「こんなおチビさんが犯罪者なんて、世も末ね」

「ち…うっせぇな!さっきからぎゃんぎゃん言いやがって、静かにしろ」

後ろでラッセが顔を隠して肩を震わせている。

威勢のいいラスクに女はさらに面白がっていた。

「チビはチビでしょ?死にたくないならせいぜい逃げまどうことね」

「っせぇな、ババァ」

「は?」

バチバチとにらみ合う二人を横目にラッセの笑いは止まらない。

初対面の二人は相性最悪のようだ。

「イスカ、そこまでにしといてやれよ。一応新人なんだ」

「だからって、ババァはないでしょ?」

指を指して指摘するイスカの怒りは収まらないらしい。

ラスクはふんと顔をそらしていた。

「次の相手はそれなりのやつを回すよう掛け合ってやるから、な?」

ラッセの提案にしぶしぶ承諾するイスカは仕方なしに書類を掴み直した。

「そうだ、お前も時間まで暇なんだろ?こいつ10時まで案内してやってくれないか?」

「はぁ?冗談言わないでよ。お子様の世話をするほど優しくないわよ」

「俺もババァの世話になりたくねぇよ」

再び火花を散らす二人にラッセは笑いすぎて呼吸困難気味だ。

「お前ら、二つしか違わねぇのに…」

「は?」

二人の言葉が被る。

どちらが上でも二歳しか違わないということは驚きだった。

獣の犬であれば二歳の差は大きいが、あいにく彼らはそれとは違う。

二歳の差は人間と同じくらいしか違いがないのだ。

「あぁ、そう。伸びなかったの」

あからさまな同情の眼で見てくるイスカに返す言葉が見当たらない。

嘲笑っているのも確かなのに、反論できる要素が無かった。

実際、ラスクは同年代のイヌに比べて背は低いし、幼く見える。

外で動いていた頃は都合のいい容姿だったが、コンプレックスであることに変わりはない。

「暇なのは事実だし、案内してあげるわよ、おチビさん」

「いらねぇよ、テメェについていくか」

イスカが折れても食い下がるラスクは吠える犬のようだ。

「素直についていった方が良いぜ。一戦は試合を見ておいた方がいい」

煙草を銜えたラッセがにやにやと笑う。

モニターはすぐ側にある。

昨日見た試合は終わりのみで、通して全てを見たわけではない。

モニターで見るよりは実際に、ということだろう。

そして、そこへ行くには、案内が必要だ。

「見てこいよ。これからお前が演じる演目ぐらい知っておかなきゃならねぇだろ?」

その言葉はひどく重たく、それまで穏やかに見えたラッセの表情が恐ろしく冷たく見えた。



砂ぼこりが舞う試合場を取り囲むように客席が設けられている。

まばらに観客が座っているが、そのすべての首には同じ赤が巻かれている。

「一試合は30分。制限時間まで勝敗が決まらなかったら引き分けね」

「一試合目が9時30分からなら、間にあわねぇじゃねぇか」

イスカが入口に近い席に座って会場を眺める。

ラスクは近くで立ち尽くしていた。

頬杖をついて今日のスケジュールを確認しているイスカに焦りはない。

「大丈夫よ。今日の一番はココのNo.2だから」

相手が可愛そうだとぼやきながらもその表情は楽しそうだ。

「順位があるのか?」

「勝率で出てるのよ。ここ一年、変わってないけどね」

はいと渡された紙には『本日の試合』と書かれ、下には対戦の組み合わせが載っている。

イスカに指された一試合目の名前だ。

「フィロ・モナルカ?4年前に無差別殺人で捕まった?」

「へぇ、そんなことしてたんだ。外の情報なんて入ってこないから知らなかったわ」

その名前が知れ渡ったのは随分前だが、世間に“イヌ”が危ないものだと決定づけた“イヌ”でもある。

その犯人がこのセクターでのうのうと生きているというのか。

「まぁ、異常者であることは間違いないけど、結構人気な狗なのよねぇ」

気怠そうに話すイスカが会場を指差した。

「主役の登場よ」

相手の狗は扉から普通に入ってきたのに対して、ガシャガシャと大げさな音を立てて入ってきたのは以前テレビで見た殺人犯そのものだった。

手足に枷をつけられたその男は獲物を捕らえると舌をゆっくりと唇に這わす。

相手の男は割と小柄で、相手にならないことは一目瞭然だった。

「ここでは狗が一つの武器を使うことが許されているけど、彼は例外。武器なんて持たせたら手加減なんてしないからね」

相手の男がフィロの威嚇に後ずさる。

勝負はついているようなものだが、非情にも開始のベルが鳴る。

そのあとは、見ていることが出来ないくらいに一方的な試合だった。

フィロに突きつけられるはずだったナイフは無残に砕け、大きな拳が相手の胸倉を掴む。

肉ごと引き上げられ、フィロが掴んだ部分がジワリと赤く染まっていった。

泣き喚く相手をフィロの凶悪な目が見つめ、次の瞬間には地面を割るような勢いでその体が叩き付けられていた。

「今日は機嫌がいいのかしら。追わないわね」

息をのんで試合を見ていたラスクの隣でイスカがクスリと笑う。

知らぬ間にラスクの首筋を汗が伝っている。

「試合って、あの、相手、生きてるのか?」

「死んではいないでしょうね。フィロも、殺せば罰があることくらいわかってるから」

サイレンが鳴る。

これが終わりの合図らしい。

フィロが空に向かって吠える。

その声すらも現実味がなかった。

相手の犬は大の字に倒れたまま動かない。

胸から血が溢れている。

僅かに呼吸はしているようだが、赤く、生温い、命の色が零れていくようだ。

白い防護服に身を包んだ数人が、彼を担架に乗せて運んでいく。

「ビビっちゃった?」

心臓が急かしている。

何を?

恐いのか、逃げ出したいのか、泣き喚きたいのか?

いや、違う。

これは本能の咆哮だ。

血が熱い。

早く、そこに連れて行けと叫んでいる。

ラスクの青い目は会場から離れない。

その表情は不思議と輝いて見えた。





サイレンが鳴る。

赤いランプがチカチカと光った。

左手に握るナイフは先ほど渡されたものだ。

回を重ねるごとに武器の選択肢が増えていくらしい。

しかし、ラスクはナイフを手にして小さく笑った。

彼が外で使用していた武器がナイフだったのだ。

得意の武器が初めからあるのは心強い。

小柄な体には小回りの利く小さめの武器が馴染む。

ついさっき見たフィロ・モナルカの試合が離れない。

一瞬で決着の決まった試合に起こるブーイングはこの場所の異常さを示している。

明日は自分が彼の獲物になっているかもしれないという恐怖が無いのがおかしい。

それとも、殺されることはないという安心感があるというのか。

砂ぼこりが舞う中で、新人とわかる囚人服のラスクはじっと観客席を見渡した。

いくつか見覚えのある顔がある。

それらはおそらく指名手配を受けた犬だろう。

どれもこれもが、いつか当たる相手を見定めている。

モニターに名前が浮かぶ。

〖ラスク・ナイプス


ハイブリッド』

その瞬間、観客席がざわつく。

「っち、ここでもか」

ハイブリッドは雑種を示す言葉だ。

ラスクは、純潔の雑種だ。

父親も、母親も、血統を持ってはいなかった。

セクター331でなくとも、“イヌ”に求められるのは血統だ。

純潔であればあるほどその血の価値は高くなる。

つまり、ラスクのようなハイブリッドは生まれたその時から価値のないものとみなされる。

そのために受けた仕打ちは数知れず、それでも、ラスクは這い上がってきた。

「あぁぁぁぁあぁぁぁっ!!!」

ラスクの咆哮に客席が静まる。

空色の目が、前方の相手を睨む。

セントバーナードと表記された相手の体格は大柄で、ラスクとは正反対の強靭な筋肉を纏っている。

だが、それが何だ。

くるりと回したナイフが相手を指し、ラスクは不敵に笑ってみせた。

「図体だけが、勝敗を決める要素じゃねぇ」

ラスクの小柄な体格は一種の武器だ。

相手の腕が振り上げられると同時に懐へと潜り込む。

セクターの外で、彼は一般には縁のないような酷な生活をしてきた。

そこで身に着けたのは知恵ばかりではない。

より早く進むための走り方も、生きぬくための戦術も、獲物を逃さないための致命傷の与え方も、全て、自身で学んできたものだ。

一筋の赤が相手の腕に刻まれる。

身をかがめるラスクの青は宝石のように輝いていた。

滴る血を見て、セントバーナードは笑った。

見下ろされた目はおぞましい狂気にのまれていた。

再び懐に潜り込もうとしたラスクだったが、その体に衝撃が走る。

強靭な腕が胸に叩き付けられ、後方に吹き飛ばされていた。

砂ぼこりを巻き上げながら壁際まで追い込まれ、痛みに呼吸ができずに膝をつく。

観客席から歓声が上がる。

これが新人への歓迎の儀式なのだろうか。

「簡単に、負けて、やるかよ」

敗北は、死ぬこと以外にありえない。

体中の血が湧き上がるようだ。

握り直したナイフを相手に向けて、ラスクは笑ってみせた。

その表情は、犬よりももっと獣に近い、オオカミのようだ。

砂塵から覗いたラスクの表情に、相手はもちろん、観客までもが息をのむ。

地面を蹴り、加速する体を、相手はただ茫然と見ているしかできなかった。

芯から湧き上がる恐怖に足が、手が震え、気付いた時には、目の前にラスクが迫っていた。

銀色の光が横切ったかと思えば、顔に激痛が走った。

叫び、うろたえる巨体を蹴り飛ばし、地に伏せるセントバーナードに対し、ラスクはナイフについた血液を振り飛ばす。

「殺しは、なしなんだろ?さっさと降伏してくれないか?ルールを忘れそうだ」

震える相手は、血に濡れる顔を抑えてゆっくりと手を挙げた。

降伏を明示し、ラスクから距離をおこうと必死のようだ。

相手の降伏を認め、サイレンが鳴る。

勝者として、ラスクの名が挙げられる。

シンと静まり返った会場を背に、ラスクはさっさと退場する。

歩を進める度に、ドクドクと血がめぐっていく。

高揚感に口角が上がるのを抑えることが出来なかった。



控えの部屋まで戻ったラスクは両手で顔を覆う。

自身が、今、どんな表情をしているのかを探る。

手が下りるのと同時に、口角もまた、下がっていく。

ドアの壁を背にしてズルズルと座り込むと、急に手が震えてきた。

多くの目の前で、他人を傷つける行為をすることは、流石に抵抗がある。

捕まったときだって、人目につかないように慎重に行動していたのだ。

「情けねぇ。腰、抜けたのかよ」

自分の頭を抱えて、目を閉じた。

先の自分の姿はフィロと同じように見えていたのだろうか。

だとすれば、結局、自身も狂犬と呼ばれることを否定できないのではないか。

興奮を抑えることはできなかった。

相手を目の前にして、その喉元に牙をかけたくなった。

そうして、湧き上がる赤に浸る自信を想像して、背筋が凍るような快感を覚えた。

狂気ともいえるその感情がねっとりとまとわりついて離れない。

「こんな、試合、何の意味があるんだよ」

先ほどの胸の高鳴りが嘘のようだ。

「俺は、守る為に、戦うんじゃなかったのか?」

小さくうなるラスクの声は、次の試合のサイレンにかき消されていった。





少しの休息を終えて、ラッセの元へ戻ったラスクは白色のカードを一枚渡された。

「ここで使えるカードだ。試合内容によって支給される金額は変わる。

裏に金額が出るようになってるから、小まめに確認しておけよ。

お、結構評判は良かったみたいだな」

裏に表記されている数字をみてラッセは楽しそうに笑う。

「一試合で、こんなに出るのか?」

「ま、貴族の戯れだからな。派手な方がいい」

煙草に火をつけるラッセはモニターを背に今日の試合の一覧を眺めている。

どうやら、門番の役目は上からの指令をココの狗に伝えることであって、決定権はないらしい。

ラッセの目がゆっくり動く。

これ以上、情報は望めないと判断したラスクは、仕方なくその場を去ろうと体翻す。

直後、大きく息を吐く音が聞こえた。

「今日の最後の試合を見ておくといい。ここの一番だ」

「一番?」

今朝の試合、フィロは二番だと聞いた。

奴の試合は一方的で容赦がなかった。

力も体格も戦略も、全てが各上だと認めざるを得ない。

それを上回る奴が存在するというのだ。

一体、どんな残虐なイヌだというのか。

「そう、『赤目の番犬』。それが、ココの一番だ」

ラッセの漆黒の瞳は背筋を凍らせるほどに暗い色をしていた。

「『番犬』?」

それは、門番をしているラッセの事ではないのだろうか。

言葉の意味が分からずラスクが問えば、ラッセはゆっくりと煙を吐いた。

「俺はただの見張りだ。そいつは、中で処理を担当してんだよ」

「処理…」

「あいつはな、罪を犯してここにぶち込まれたんじゃない

ココでイヌを殺すために、そのためだけに生きてるんだよ」

書類に手をかけて背を向けたラッセがそれ以上は聞くなという。

間際に見た目は、どこか寂しそうで、向けられた背中は無力さを呪っているようだ。

「そいつの試合、何時からだ?」



ショップで時計を買う。

腕時計でも置時計でもなく懐中時計に決めた。

昔、首から下げて歩いていたものによく似たものを見つけたからだ。

あの時計は路地裏生活をしている間に失くした。

正しくは盗まれたのだが、取り戻しに行くことはできず、そのまま手放した。

その時計に、よく似た装飾が施されて、少しばかり思い出に浸ってしまった。

あの頃、ラスクにも守りたいものはたくさんあった。

「何も、守れなかったなぁ」

客席の最後尾に座ってパンをかじる。

ぱさぱさとして、最低限の味しかしないパンは支給されたものだ。

バターの味もしない。

思わずため息が出た。

「あら?まだ服を買っていないの?」

横から顔を出したイスカにラスクの眉間に皺が寄る。

あからさまな反応を楽しみながらイスカは隣の席に腰を下ろした。

彼女の試合は少し前に終わっていた。

今朝、ラッセと揉めていたが、相手は変わらなかったらしい。

彼女は随分手を抜いているようだった。

ワザと反撃の隙を与えたり、聴き手ではない方で武器を持ったり、ハンデを多く与えていた。

それでも、宣言どおり、10分以内に試合は終わった。

「あんた、5番らしいな」

「あら、情報が早いわね」

イスカの試合中に近くにいたイヌの話をきいたのだ。

今日は上位の試合が多いらしい。

「おチビさんの試合も面白かったわよ。

ハイブリッドが勝っちゃって、機嫌を悪くした子もいるみたいだけどね」

「別に、何言われようと関係ねぇし」

イスカはにやにやと笑いながら話を続ける。

「度胸のある子は好きよ。

あのセントバーナードはね、初心者の相手ばっかりしてるのよ。

図体ばかりでかくて、鈍いから、面白みに欠けるのよね。

だから、新人に当てて、度胸試しに使ってるわけ」

その話を聞いて、なるほどな、と思う。

ラスクのように初めから向かって行けるイヌは限られてくるだろう。

イヌの中でもセントバーナードは巨大だ。

あの巨体をみて、気の小さいイヌは動くことも叶わないだろう。

「で、せっかく勝ったのに、服はそのままなのね。気に入っちゃったの?」

白黒の囚人服をみてイスカは笑う。

センスが悪いと言われ、ラスクも黙ってはいられなかった。

「生活に必要なものが先だ。

服は後でも構わない」

「それで、懐中時計もどうかと思うけど?」

「うるさい」

残りのパンを口の中に放り込んで、試合場に目を向ける。

丁度、試合が終わったところだった。

次はいよいよ本日最後の試合、ナンバー1の登場だ。

ラスクの眼が真剣なものに変わったことを確認し、イスカがなるほどと頷いた。

「一番を見に来たわけか」

「門番に言われたんだよ」

「ま、見ておいた方が余計な希望は持たずに済むわね」

イスカの言葉の意味を尋ねる前に、サイレンが鳴る。

一気に熱を上げる会場から、地響きのような歓声が沸く。

砂の舞う会場に、片目を潰されたイヌが立つ。

焼けた肌に白髪の髪はどう見ても中年を過ぎていた。

目の色が黒であったことから、このイヌが“相手”であることがわかった。

ラッセは『赤目』と言った。

獲物は既に恐怖から息が上がっている。

ガチガチと身体を震わせて、剣を握り、そのイヌが現れるであろう扉に向けて構えていた。

砂が舞う。

歓声が一際大きくなる。

開いた扉から、ゆっくりと、人影が現れる。

ラスクの目に、イヌが映る。

真っ白なその姿は、獲物と正反対だった。

プラチナブロンドの長い髪が風に揺れていた。

剣を握る白腕は筋肉を連想させないほどに細い。

その赤い目は無表情に何を見つめるわけでなく、けだるそうに足を進めている。

「さぁ、始まるわよ、この試合は、特別だから…?」

イスカがラスクの異変に気付く。

ラスクはそのイヌから目を離せない。

青い目が捉えたそのイヌに心臓が止まりそうだった。

「でぃん、ぐ?」

赤い目がわずかにラスクを捕えたようにも思えたが、すぐに他へと移っていった。

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