第2話

 祈夜 月の説教は放課後まで続いた。朝から放課後まで、生徒指導室から怒声が聞こえない時がないくらいに、生徒指導の隠崎から怒鳴られ続けていた。しかし、部屋の中からは一度も、あの時のヒス声が聞こえてくることは一度もなかった。



「おお、陽向」


「……うっす」

 


 ようやく中から出てきた二人。教室の外で待っていた俺の顔を見るや、隠崎は驚いた表情を見せた。



「春日なら別室だぞ」


「知ってるよ。そいつに用があるから」



 隠崎の背後で存在を消す祈夜の顔には、湿布が貼られていた。その下からは隠しきれていない痛々しい青紫色の痣が見えていた。



「陽向」


「なに」


「あんな出来事があった後だ。シキコー教師として被害者と加害者を二人きりにできるか」


「じゃあ何? 生徒のプライベートにも教師は口出すのか」


「そう殺気立つな。まあお前は?問題児の春日を手懐ける程の頭脳派だ。他の野蛮な奴らとは違い、馬鹿なことはしないと信じている。だから教師としてこれだけは言っておく」



隠崎は近づき、祈夜に聞こえないように小さく耳打ちした。



「裏山なら人通りが少ない。お礼参りならそこでやれ」


「違ーわ」


「また校内で問題を起こされると今度は俺が怒られる。教頭の説教は俺の比じゃない。人事評価と給料を盾に言い訳の隙を与えない。出来ない仕事をさせる仕事に変える天才だ。せめて問題を明日に繰り越せ! アリバイ作りの時間を稼ぐんだ!」


「教師が生徒の片棒を進んで担いでんじゃねーよ」


「とにかく頼むぞ!」



__________________



 鬱陶しい隠崎が消えた後、俺たちは一先ず一階にある生徒指導室から三階の空き教室へと場所を変えた。

 移動の間、祈夜は言わずとも俺の後ろを黙ってついてきた。

 ただ、首を絞めた事への報復か、この後俺に何をされるか分からない恐怖か、将又場所が分からないから無心でついてきているだけなのか……彼女が今、何を考えているのかは分からなかった。気まずい素振りを見せるわけでもなければ、あの時の恨めしさも今は感じない。



「ここでいっか」



 教室に入り、俺が振り返り向き合った瞬間、彼女は俺から視線を逸らした。気まずいなどの可愛げは微塵もなく、「嫌悪感」をもろに身体で表現された感じだった。



「そんなあからさまに態度に出すなよ。一応俺達……初対面?なんだし、まずは気楽に状況整理とでもいこーや」



「……はっ! バッカじゃねーの?」



 バカにしたように祈夜は小さく呟いた。



「今のお名前は?」


「……陽向 真昼」


「陽向 真昼。話さなくても何が起こったかくらい分かんだろ?」


「……」



 ……分かってるよ、俺の目の前で何が起きてるかなんて。

 基本的に俺は面倒事が嫌いだ。だから喧嘩なんて自分からは絶対に吹っかけねーし、自分に害為す人間は手段を選ばず叩き潰し、面倒事を起こさせないための労力を惜しまなかった。

 シキコーに入学してからもそのスタンスを変わらず守っていたら、いつの間にか桜樹に目をつけられて副番を張っていた。

 人脈を広げることに興味はなかったが、OBに気に入られていた桜樹といるとそれなりにメリットがあった。桜樹と繋がっているOBの影を恐れて、不要な喧嘩を売ってくる奴らが激減した。それだけじゃなく、元々喧嘩好きな桜樹は、俺の喧嘩も進んで勝手に処理してくれた。

 結果、桜樹と連むことによって、俺は平穏な学生生活を手に入れ、悠々自適に過ごしてきた。


 それなのに、何故今になってこんな目に……。しかも、こんな非現実的なことなんかに巻き込まれて、超絶面倒くせぇことこの上なしじゃねーか!



「『気楽に状況整理』? どの口が言ってんの? 自分の立場弁えろよ」


「は? お前こそ新入りのクセに生意気な口叩いてんじゃねーよ。人がせっかく穏便に済ませてやろうと思ってたのに喧嘩腰になりやがって」


「てめぇの勝手を恩着せがましく言ってんじゃねーよ、この≪人殺し≫」


「オイ‼︎」



『人殺し』

彼女から言われたその言葉に、俺は自分でも驚くほど過敏に反応していた。



「あんま調子に乗ってんじゃねぇよ。首を絞めたのはそっちだろうが!」



 彼女の服の襟を掴み、俺は祈夜の言葉を力づくで否定していた。

 力で押されよろめきつつも、祈夜は俺に怯む事はなかった。むしろ嘲笑った表情で、この瞬間初めて俺と目を合わせてきた。



「あんた生きてんじゃん。私は。いくら憎くても、アンタと違って殺しはしてない!」


「俺はの話をしてんだよ! が何をしたかなんざ今の俺には関係ねぇ!!」


「ッ‼︎」



 すると次の瞬間、俺の視界がぐるりと歪んだ。次に目を開くと、俺は近くの机を吹き飛ばして、床に尻餅をついていた。

 背中と左の頬が痛い。口には微かに血の味がする。



「ふざけんな!!!!」



 甲高い怒号に、俺は祈夜を見上げた。拳を握る右手を震わせる彼女の顔は怒りに満ち、その頬には一筋の涙が流れていた。





 

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