第5話 直接対決
次の日の朝、沙紀は教室を入ると真っ先に音巴の席に目がいった。音巴は相変わらずたくさんの人に囲まれている。昨日沙紀を洋館に無理やり連れて行ったメンバーだ。中の一人が沙紀の存在に気づいて、何か音巴に耳打ちするようにしている。音巴は沙紀に気づいても不敵な笑いのようなものを浮かべただけだった。これでは、何か自分が音巴と対立してるみたいだ。親しげに駆け寄ってこいとまでは言わないけど沙紀は音巴の態度が気に入らなかった。
「昨日、大丈夫だった?」
席に着くと恵が心配そうな顔で尋ねてきた。
「別に平気だけど。何で?」
何を聞かれても音巴を意識しすぎているせいか言い方もぎこちなくなる。沙紀は音巴と再会した興奮がまだ残っていた。朝、起きて昨日の音巴とのやりとりが現実であることを確認してほっと一安心したぐらいだったのだ。
「円城寺さんのグループが何かしてこなきゃいいと思ってたんだけど」
恵が音巴の席のあたりを見ていった。音巴は再び何事もなかったかのように昨日沙紀を囲んだ連中と話している。
「音巴が?いや円城寺さんが何か言ってたの?」
「うん。昨日帰る時に沙紀を呼び出してどうのとか。聞いたから」
「ああ。それだったら。別に何もないよ」
「よかった」
恵も胸をなでおろした様子だった。
「あの、昨日はごめんなさい」
その時、背の低い女の子が沙紀の隣まできて言った。昨日の帰り道、自転車の沙紀を最初に止めた子だった。さっきまで音巴の席のそばにいた音巴グループの子だ。
「その、音巴からちょっとおどかすだけだって聞いてたからあんなにひどいことになるなんて思ってなくて。あの本当にごめんなさい」
泣きそうになってその子は言った。
「いいよ。全然気にしてないし」
沙紀は言った。
「ホントに?」
「いいよ。それに音巴なんでしょ?あんなこと考えたの」
相手がゆっくりとうなずくのを見て沙紀はやっぱりとでも言うように笑った。それでその子もつられて笑ってくれた。広瀬紀子という名前のその女の子は、音巴のオーケストラにいるオーボエ奏者だった。みんなからはヒロと呼ばれているこの子はきっといつも音巴の近くにいるのだろう。うまく仲良くなれば音巴についていろいろと聞けるかもしれない。沙紀の頭の中で密かにそんな計算が先走っていた。
「沙紀さ、やっぱり円城寺さんに何かされたんじゃないの?」
恵が後から言ってきた。
ここで恵に音巴とのことを話すべきか迷った。音巴とのことを誰かに話したくないという感情ももちろんあったが、それ以上に円城寺音巴という存在の危険さが健全な恵とは相容れないものに感じた。沙紀にとって、音巴との関係というのは自分の裏の顔であるような気がした。そうでなければ音巴とは絶対に相容れない犬猿の仲になっていたに違いなかった。。
考えてみれば音巴は沙紀にあれだけのひどいことをしておきながら一言も謝ってない。普通なら沙紀にとって音巴は絶対に許せない存在のはずだ。仕返しに音巴のバイオリン奏者としてのプライドをへし折ることなんて、今の沙紀にとってはいとも簡単なことだ。でも音巴の存在にはそうはさせない魅惑がある。音巴の姿は正当な沙紀の怒りを麻痺させて、甘美でより強い快楽のようなものに変えてしまうのだ。
「それよりさ、恵のピアノ聞かせてよ。この学校ピアノ専用の部屋あるんでしょ?」
沙紀は話題を変えるようにして言った。
放課後、沙紀と恵はピアノの個人レッスン用の教室にやってきた。ここは生徒に自由に解放されている教室で、2台のピアノが置かれている。最初は、恵のピアノをずっと聞いていたが途中で我慢しきれなくなって沙紀も伴奏に入り、しまいにはピアノ2台でモーツァルトのピアノソナタを弾き始めた。
「すごい、沙紀ってピアノも弾けるんだ」
恵が目を丸くして言った。
「うん。ピアノも小さいときからやってたから」
実際、沙紀はバイオリンだけではなくピアノもプロをうならせるぐらいの技術をもっていた。でも今は、技術云々より、きちんと調律されたピアノの音が響き渡るのが何より気持ちいい。つられて次々と指が勝手に動いていくようだ。
その時、突然乱暴にドアをあけられた。
「ちょっといいかなあ」
「柳沢みどり」だ。さっきヒロから名前を教えてもらった。音巴のグループで、男言葉を使う気性が荒そうなやつ。沙紀が洋館に連れ込まれたときもみどりが、強引に沙紀を羽交い絞めにして連れて行ったのだ。 「音巴がちょっと沙紀に用があるんだって」
留美が言った。ヴィオラを弾いている支倉留美。この子は背が高くてスレンダーな子だけど目が釣りあがっていて冷たい印象を受けた。奥には茶髪にしてるみどりと同じフルート奏者の倉橋五月。和風の名前なのに名前と格好があまりにもしっくりこない。しかし、どちらにせよ音巴のグループで好印象の人間なんているはずもない。 「沙紀、ごめんね。ちょっとつきあってくれるかな」
ヒロが一番奥にいたから気づかなかった。ヒロは沙紀を見て申し訳なさそうな表情をしている。
「ほら!早く来いよ」
みどりが沙紀の左腕をわしづかみにした。
「ちょっと何すんの?」
恵が止めに入ってくれた。
「おめーには関係ねーだろ。うちらにたてつくとどうなるかわかってんの?」
みどりが恵に顔を近づけて言った。
「そうそう、気をつけたほうがいいよ」
留美が笑いながら言った。沙紀にしたようにこの人たちはきっと音巴の力をバックにいろいろ無茶なことをしているのだろう。沙紀は強い憤りを感じたが、ここで喧嘩をしてもしょうがない。
「わかった。行くよ。音巴が呼んでるんでしょ?」
沙紀は言った。恵には大丈夫だからと小声で言った。
途中、ずっと4人に囲まれているから逃げることはできない。音巴は何故こんな手の込んだいやがらせみたいなことをするんだろうと沙紀は思った。沙紀は連れていかれたのは放送室だった。マイクと放送機械のある内部屋までさらに進むと室内に音巴が立っていた。沙紀を認めるとにこりと笑った。中には沙紀と音巴以外だれもいない。そして内部屋のドアは閉まるとカチリという音がした。咄嗟にドアをあけようとしたが、外から鍵がかかるらしくもう開かなかった。
「ここは、内側からはあかなくなってるの」
音巴の言い方は不気味だったが、それ以上に不思議だったのが沙紀の中で高鳴る胸の鼓動だった。音巴と二人でいることが沙紀にとてつもなく大きな影響を与えていることは間違いなかった。それは例えば初恋の人と偶然二人きりになれたような、どことなく初々しい純粋な喜びに似ていた。
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