第5話 上賀茂さん(3) (家で飲むときは)

「だからぁ、ぼくはぁ、このままじゃぁダメなんですよぅ」


 目を真っ赤に充血させた上賀茂かみがも雷馬らいまが上半身をぐわんぐわんと前後左右に揺らしている。顔面を料理に突っ込みそうな勢いだが、すんでのところで回避しているし、左手に持つお猪口ちょこは先ほどからしっかりと水平を保ち一滴もこぼしていない。彼はどんなに酔っ払っても食べものを粗末にしない男なのである。


 一方、向かいに座る下鴨しもがもただしくだを巻く上賀茂に対して適当に相槌を打ちながら、平八茶屋の料理を味わうのに集中していた。


 ここの料理の何と美味いことか。


 今日ははも会席ということで、鱧料理が手を替え品を替え次々と出てくる。鱧落とし、鱧しゃぶ、鱧ご飯。骨の存在を一切感じさせないふんわり食感は筆舌に尽くしがたく、下鴨にはもう落とすほっぺたが残っていなかった。


「兄者ぁ。ぼくはどうすればいいんですかぁ」

 いよいよ上賀茂が目に涙を浮かべ始める。

 上賀茂は下戸げこであるが、彼自身それをよく承知しており、失態を晒して周囲に迷惑をかけるなど言語道断、切腹ものと考えている。だから、これまで酒を酌み交わしてもこのような状態になったことは一度もなかった。それほど溜め込み、思い詰めていたらしい。そう思い至って、ようやく下鴨は話を聞く姿勢に入った。


「ぼくはぁ、もう、自分の存在意義がわからないんですよぅ」


 下鴨や上賀茂たちは神と人間とをつなぐ、人間以上、神未満の存在である。人間の姿も取れるが、直接神と話をすることもできるし、寿命もない。


 彼らが人の姿で現れて人々に神の御言みことを伝えられれば話は早いのだが、正体を明かそうとしても誰も信じないどころか不届き者として追い払われる。そのため、人として生活に溶け込みながらきっかけを作ったり、夢枕ゆめまくらに立ってみたり、何とか御神託ごしんたくを伝えるべく駆け回ってきた。


 熱心に祈る者があれば、その者の素性を調べ、日頃の行いを観察し、願いを叶えるに値するか否かを判断できるよう検討材料を揃えた。悪さをしている者がいると聞けば、見廻って真偽を確かめた。


 さらに神の身の回りの世話も大切な役目である。供えられた品を本殿に運び入れ、御神酒おみきを注ぎ、神同士の会議が開かれるとなれば日程を調整して場所を用意し、伝達係も請け負った。全国の神々が一堂に会する出雲大会議の季節になれば、神が不在となる神無月の一ヶ月間、神の代行業務を行った。


 つまり、人間にとっても神にとってもなくてはならない存在であったし、彼らも己の存在と役割に誇りを持っていた。


 それが、昨今の科学技術の進歩、とりわけデジタル化によって大きく変わることになる。


 神職や崇敬すうけい者は今でも神を敬い儀式を行ってくれるが、あらゆることが科学で解明されてしまうため、それとなく教示する必要も減り、心の底から信じ願う者も減ってきた。神事も多くの人にとってはただの観光行事に過ぎなくなった。


 時折り切なる願いがあっても、その者の情報は<神界のデータベース>で検索すればすぐに出てくるし、無数に張り巡らされた<神界のライブカメラ>によって神が直接日々の行いを確認できるようになった。神々の会合も<神界のトークアプリ>で当事者同士で連絡を取って調整できるし、<神界会議オンライン会議>につなげば移動せずとも意見を交わすことができるようになった。


 つまり、人間にとっても神にとってもなくても障りない存在になってしまったし、彼らも己の存在と役割に疑問を持つようになった。


「神の身の回りのお世話って言うけどぉ、デジタル社会になってどれくらい?会議の場の手配ならわかりますよ、用意しますよ。だけどねぇ。オンライン会議くらい自分で準備して参加してよって思いませんか、ねえ兄者」


 上賀茂は焦点の定まらない目つきで虚空を睨みつけ、ぐいと酒を飲み干した。下鴨が酌をするまでもなく、手酌で並々と注ぎ入れる。悲しみが次第に怒りに変わってきたのか、語気が荒くなってゆく。


「神だからっていつまでもあぐらかいてちゃあダメでしょう。もう大抵のことはオンラインで済ませられる時代になったんだ。いつまでも数百年前の感覚でいられても困るんだ。ぼくは雑用係じゃないんだ!」


 でも、と今度は項垂うなだれる。


「でも、そうしたら、僕は何のために存在しているのですか」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る