第3話 上賀茂さん (神山号の日課は)

 矢文やぶみが届いた翌日の昼下がり、旅支度を終えた下鴨しもがもただしは鳥居前の休憩処「さるや」で床几しょうぎに腰掛け、かき氷を食べながらつかいが来るのを待っていた。


 昨日、意気揚々と戻ってきた烏によると、「明日の午後、遣いを行かせるから境内で待て」とのことだった。待ち合わせの指定がざっくり過ぎる気もするが、境内の中ならどこにいても良いのだから、それほど気にすることではない。しかし、今日は38度の猛暑日。こうも暑いと何もする気になれないから、結局茶屋でのんびり待っている。


 旅支度といっても、荷物は風呂敷包みがひとつだけ。装いも普段と変わらない。白地の浴衣に描かれているのは幾羽もの烏。朱色の帯を矢の字に締めて、束ねた髪には葵桂あおいかつらを挿している。


「かき氷は美味しいねぇ。こんなに暑い夏でも氷を作ってしまうなんて、文明恐るべしだね」

 誰に言うでもなくつぶやきながら氷を口に含む。舌に触れると、初雪のようにふわりと溶けてゆく。


 そのうち、遠くからひづめの音が聞こえてきた。


 一頭の馬がこちらに向かって駆けてくる。馬は段々と速度を落とし、下鴨の前で立ち止まった。雪のように真っ白な馬だ。


 ただし、王子様が乗っていそうなスレンダーな白馬ではない。ずんぐりとしていて、脚は太く短い。垂れ目気味の瞳は黒豆のように艶やかで、たっぷりのまつ毛が優しげな表情を作っている。銀白色のたてがみは日の光を受けて輝き、ずんぐり体型など気にならないほど、どの馬にも負けない神々しさを放っていた。それもそのはず、この馬が先刻から下鴨が待っていた遣いであった。


「お迎えにあがりました」

「待っていたよ、神山号こうやまごう。わざわざ悪いね」


 神山号というのが彼の名前である。ずんぐりむっくりの白馬は、ふん、と鼻を鳴らした。

「まったくだ。何故この俺様があいつの指示を受けてあんたを迎えに行かなければならんのだ。あいつが直接行けばいいではないか。あるいは、お前が来い」

 温厚な見た目からはおよそ想像できない荒々しい言葉が返ってきた。


 神山号は上賀茂神社の御祭神、賀茂別雷大神かもわけいかづちのおおかみ神馬しんめである。彼は正真正銘の神の遣い、つまり霊的な存在だが、人間界にも同じく神馬の神山号がいる。生きている神山号は当然世代交代があり、現在は七代目神山号と呼ばれているのだが、ややこしいから、界隈では神山号と七代目で呼び分けている。


 七代目をはじめ、人間界の神山号は歴代みな穏やかな性格である。それが神馬の選考基準の一つだからなのだが、よく人間の言うことに従い、参拝客からのおやつを美味しそうに食べている。こちらの神山号とは正反対だ。


 ちなみに、七代目は競馬場からスカウトされたサラブレッドなので、大変見目麗しい。


「相変わらずだね。でも、なんだかんだ言いつつも来てくれる神山号のこと、私は好きだよ」

「はっ。あんたに好かれても嬉しくないね」

 満更でもない表情なのが彼の愛すべきところである。下鴨は、待ってて、と言い置いて茶屋の中へ入って行く。しばらくして、コロンと丸い餅が2つ乗った皿を持ってきた。

「さあさあ、迎えのお礼にこちらをどうぞ」

「む、申餅さるもちか。いただこう」

 神山号がパカリと口を開ける。下鴨は、うっすらと小豆のような赤みのさした申餅を、開いた口の中に投げ入れる。


「うまいな」

「お、馬だけに?」

「うっせえ。早くもう一つも寄越せ」

「もう、本当に口が悪いね君は」

 呆れながら残りの餅も放り込んでやる。神山号は満足そうに飲み込むと、げぷっと息を吐いた。

「そろそろ行くぞ」

「ところで、今日はどこに行くのかな」

「すぐそこだ」

 下鴨を乗せた神山号は高らかにいななき、駆け出して行った。









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