第22話 いつか

 船が港へ着いた。


 高校二年生の俺は、学校へと歩いていく。


 俺と同じ学校の制服を着た女子が、こちらの存在に気付いて大きく手を振り、軽快

な足取りで近づく。


 「おっはー」


 「よう」


 中学の時からの知り合い、日輪茜が俺の隣に並んだ。


 浜風を嗅ぎながら深呼吸する。『陽の子』である俺よりも朝から元気な様子でにこ

やかに笑う。


 「今日も暑いねー。九月中旬だってのに、もう一年中この暑さが続くのかって思う

くらい長いんですけど」


 「ああ、鬱陶しいよな」


 「ま、あんたは活動時間増えるからいいんでしょうけど」


 学校で唯一、『陽の子』の真実を知る日輪。


 4年前、福ちゃんが開いたイベントで島を招いた時に漏洩してしまった俺の秘密。


 「ちゃんと勉強しとかないとね。冬になったら日没なんてすぐなんだから」


 「わーってるよ。自分の身体のことは俺がよく分かってる」


 日輪はクラスの中でも比較的明るい方のグループにいて教室の中でもトップクラス

で口数が多い。だから、こいつが俺の秘密をうっかり話してしまうのではないかと思

っていたけど、地頭の良さだろうか、上手く隠しているみたいで学校の連中にはバレ

ていないらしい。俺と接するやつらは特別、興味を持ったり怪訝な目をするわけでも

なく、自然に話しかけてくる。ただ、なぜだか知らないが日輪と一緒にいる時には何

かと不自然な視線を送ってきたり、ニヤリと意味ありげに笑われたりするのは、中学

の時から変わらない。


 しかし、俺は彼女に大きな借りを作ってしまった。


 「受験の時は世話になったからな。これから一人で頑張らねえと」


 そう、勉強時間が限られている俺は、特別要領がいいわけでもないから、中学を卒

業したら島で就職しようと思っていた。親や福ちゃんにも相談して、一人になった時

も熟考した。


 『そうなんだ。自分で考えて進路を選べるのは、すごいな』


 結月は止めなかった。多分、優しい彼女は俺の考えを肯定してくれたし、すごいと

も言ってくれた。


 で、目の前のこいつはというと…。


 『目指すだけ目指してみなよ』


 こちらが引くくらいの猛烈な熱量で俺に勉強を教えてきた。それはもう、スパルタ

だった。俺の家にまで泊まりこんで、早朝、日が昇り俺が目を覚ました時にはすでに

テキストを開いて目をこする俺の手を急かすように引っ張り、机に着座させた。


 交換日記を通じての結月の採点や、結月の教育係である凛さんの協力もあって、優

等生の日輪が行くような高校に補欠合格することが出来た。


 入学してから一年。


 高校は、思った以上に楽しかった。


同級生たちの人間性と、食堂などの充実した設備。新入生歓迎会や文化祭などの行事

が中学なんか比にならないほど大規模だった。


 思わず結月に自慢してしまうほどに楽しくて、時間が経つのがあっという間だっ

た。相変わらず部活も寄り道もできないけど。


 「お前には感謝してるよ」


 「受験はあんたの力でしょ。私は勉強の仕方をちょっと手助けしただけよ」


 照れくさそうに視線を逸らす日輪。

 中学の時よりも圧倒的に港から近い校舎。グラウンドを囲い込むネットが見えた。






 「ごちそうさま」


 食べ終わった食器たちを台所のシンクに置き、水を流す。


 「今日は数学か?」とお父さんがにこやかに尋ねてくる。


 「うん。後は化学もあったっけ」


 「そっか。お父さんも理系は苦労したからな」


 特に目的のない会話をしていると、インターホンが鳴る。


 「はい」と答えると、「よっ」と軽快な返事が返ってくる。


 凛ちゃんを部屋に通して、勉強を始める。


 お父さんの方に遺伝したのだろうか、理系科目は苦手で、文系の時と同じ時間勉強しているのに、こちらの方が長く感じる。英語をする時の一時間と化学をする時の一時間は驚くほどに長さの感じ方が違う。


 でも、今となってはどちらも変わらない。


 4年前、あの光景を目にしてからは、時間の経過が遅かった。


 今だって、演習問題の文章に目を通しながら、頭の中では他のことを考えている。


 まだ中学生だった彼の寝顔に、唇を合わせる女の子。いつか夢でも見た最悪な光景

が被害妄想として脳裏に映し出される。


 ふとしたきっかけで突発的に現れるそれは、常に私の思考と集中をかき消す。


 「お菓子食べよっか。今日は本土のケーキ屋でシュークリーム買って来たよん」


 先ほどから持っていた白い立方体の箱を開き、私に促す。


 「ほら、食べよ!」


 にこやかに笑う凛ちゃん。


 「でも、まだ20分しか経ってないよ」


 4年前なら喜んで飛びついていただろうに。


 「いいじゃないの。息抜きも必要よ」


 「…うん」


 あの日からずっと、私は満足に笑えないでいた。


 凛ちゃんも、最初は私に違和感を持ちながら接していたけれど、呆れたのだろう

か、もうそのことについて何も感じる様子もなく、ただ淡々とこの家での時間を過ご

す。


 あの日だけじゃない。光くんの受験の時だって、不愉快だった。


 『日輪のやつ。家まで泊まりこんできてさ。起きた瞬間からスパルタ指導の始まり

で。ホントに堪えるぜ』


 堪えるのは私の方だ。


 なんでそこに茜ちゃんが出てくるのか。二人の関係が嫌というほどに伝わってく

る。その上、私には交換日記を通じて間接的に問題を出題させ、採点をさせただけ。

必要異常なものは、何もない。


 あの子にはあって、私にはない。


 逆だったらいいのに、と思ってしまう私だが、果たして、逆だったとしても、あの

子の方が『宵の子』だったとしても、私は光くんを振り向かせることができるだろう

か。


 きっとその場合は、私ではない。見た目が良くて、面白い冗談が言えて、たくさん

の人が寄ってくるような、茜ちゃんみたいな女の子と一緒になるんだ。今ここにいる

凛ちゃんだって、私じゃなくて茜ちゃんみたいな子の方が接しやすいはずだ。


 呪いのせいにはできない。


 『宵の子』が命落とせば、呪いは解かれる。


 8年前に聞いた文言が意識に現れた。


 私が死んだら、光くんが夜にも目を開けられるようになる。


 17歳。高校二年生。


 大学は、どうするんだろう。


 いつか島を出て仕事をしたいと言ったら。


 私が死んだら…。


 「ひっ!?」


 変な声が出た。急に脇腹をくすぐられたから。


 「ほーら、勉強始めるよー」


 「う、うん」


 私はまた苦笑を浮かべて、机に向かった。


 この十分後、お母さんが部屋に来て、私だけをリビングへ連れて行く。


 それが、行き止まりのように感じていた四年間が急激に動き出すことになる。


 良い意味でも、悪い意味でも。

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