第7話
私の声にこちらを一睨みして、どこからそんな音が出るのかというほど大きな舌打ちが響いた。そしてそのまま私の腕を掴む。
「行くぞ」
コテンと首を傾げると、灰音ちゃんは私の目にかかる髪の毛を雑な手つきで払い除けた。
「テメェ、その前髪どうにかしろ」
私は人の視線が少しでも気にならないように、前髪を伸ばしている。目が全て隠れるほどではないが、家族からは「鬱陶しい」と言われるくらいには長い。
──私は弱い。
この長く伸ばされた前髪は、私の最後の壁だ。
いじめられていたわけじゃない。ただ誰も私に興味がなかった。強いて言えば、少し気味悪がられていたくらい。話しかけてくれる子もいた。でも私がうまく返事ができないせいですぐに離れていった。
単なる“人見知り”では済まないくらいの他人に対する苦手意識は自分でもため息が出るほどだ。
「──そうだよ、可愛い顔が見えないじゃん!」
私と灰音ちゃんとの間にひょっこりと顔を見せたのは、私の苦手なキラキラ陽キャ女子だった。ツインテールの長い髪が揺れていい匂いがする。思わずまた灰音ちゃんの背中に隠れた。
「……可愛いというのはあなたのような人に使うのであって私には適用されません」
一息で言い切った私に「わお」と目を見開く。その大きな目がこぼれ落ちそうだ。
「佐奈が切ってあげよっか!」
「や、やめてください……」
グッと身を乗り出してこちらに顔を近付ける少女──
可愛らしい子だというのは話が進むにつれて分かっていくのだが、強引なのは変わらない。ぐいぐいと私の腕を引っ張る彼女に負けじと灰音ちゃんにしがみついた。
「灰音ちゃん……!」
その様子を鬱陶しそうに見ていた灰音ちゃんが、あろうことか佐奈を蹴って引き離す。
「ウゼェ」
「柳楽!!」
ぷんぷんと効果音がつく怒り方をする女子力の塊に白目を剥きながら、助けてくれた灰音ちゃんにお礼を言った。
「……じゃあ俺ならいーんか」
「え?」
灰音ちゃんが伸ばし放題の私の髪を掬う。そんな綺麗なものじゃないのに。
「俺が切ってやる」
彼を見上げると、ニヤリと片方の口角をあげていた。何でもこなす器用な灰音ちゃんのことだから、きっとうまく切ってくれるはずだ。私は曖昧に頷いた。
「切るのは決定事項なの?」
「嫌ならもうくっつくな」
「喜んで切ります……」
半ば脅されるように、私は降参した。よし、と頷く灰音ちゃんにまたしがみついて、私たちは歩き出した。行き先は灰音ちゃんの部屋。
「前髪短すぎない!?」
「フツーだろが」
部屋に入って早々お風呂場に連れ込まれて、あれよあれよといううちに準備が進んでいた。
そして戸惑う私なんて気にも止めず、灰音ちゃんは私の前髪に容赦なく鋏を入れた。はらりと哀愁漂う落ち方をした私の髪。そして鮮明になっていく視界に冷や汗が流れた。
ちなみに同意の上ではあるが……腰近くまで伸びていた後ろ髪も肩下まで切られていた。
「灰音ちゃんの意地悪……。外に出られないよ〜!」
鏡を見て自分の目がハッキリ見えるのを確認するとサァッと顔が青ざめる。鏡の中で目が合った灰音ちゃんに抗議すると、彼はハンッと鼻で笑った。
「俺がいんだろ。前髪があってもなくても俺の背中に隠れるくせに」
「んー!」
意地悪そうな顔を見て、なんとも言えないときめを覚える。きっと灰音ちゃんにとっては嫌味で、ときめくようなセリフじゃないのだろうけれど。
「ね、不細工じゃない?」
短くなった前髪を摘みながら灰音ちゃんに問いかける。「うるせェよブス」くらい言われるかなと思っていたが、返ってきたのは思ったより小さな声だった。
「……俺が切ったんだからブスなわけあるか」
予想外の言葉に思わず振り返って灰音ちゃんを見上げる。
「ほんと?よかったぁ」
彼の表情は嘘をついてはいなくて、嬉しくてふにゃりと頬が緩んでいた。
「……クソ可愛いな」
「え?」
「何もねェ。風呂入れ」
灰音ちゃんの呟いた声が浴室で変に反響して聞こえない。聞き返したが答えてくれなかったから、きっと大したことではないのだろう。
「灰音ちゃん一緒に……」
「死にてェか」
「嘘です」
……出来心の悪戯くらいは許して欲しいものだ。
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