第8話
何気に一番風呂を譲ってくれた、紳士的な灰音ちゃんにお礼を言いながらお風呂から出る。
ベッドに横になり頬杖をついてテレビを見ていた灰音ちゃんはそれを無視した。なんだかイラッとして彼に近付くと真上から見下ろす。髪から垂れた雫が灰音ちゃんの頬に落ちて彼は鬱陶しそうに顔を歪めた。
「髪ぐらい乾かせや」
舌打ちをしながら起き上がった灰音ちゃんに「面倒だもん」と答える。すぐに「あ?」と物騒な低い声が返ってきて、本能的に逃げようと距離を取った。
「……はよ来い」
ゴソゴソと動いた彼がベッドに座って自分の脚の間をポンとたたく。
言われるがまま灰音ちゃんの脚の間、ベッドの上に座る。首にかけていたタオルを奪い取られ、振り向こうとすれば頭を鷲掴みにして前を向くように固定された。
タオルを私の頭にかけると、彼の両手もその上に乗せてゆっくりと動かす。髪の毛に含んだ水分を取って乾かしてくれているようだ。
予想外の優しい手つきはやはり器用な灰音ちゃんらしい。
タオルドライをしてから、灰音ちゃんは一度立ち上がってどこかへ行ったかと思うとすぐに戻ってくる。後ろでカチッと音がしたと思ったら温風が首筋を掠めて驚いた。ドライヤーでも乾かしてくれるなんて、至れり尽くせりだ。
「灰音ちゃんはスパダリだねぇ」
「うるせ」
髪を乾かし終えると、灰音ちゃんはドライヤーやタオルを片付けた。
「ありがとう」
「……寝んぞ」
私をベッドに転がすと自分はカーペットの上に寝転んでタオルケットを被ろうとしている。
「え、灰音ちゃん床で寝るの?」
ガバッと起き上がって灰音ちゃんをベッドから見下ろした。頭の後ろで手を組んだ彼が目を瞑ったまま答える。
「当たり前だろーが」
電気消せ、と言われるがさすがにそこまで非情ではない。
「それは流石に申し訳ないよ。一緒に寝よう」
1人分のスペースをつくると布団をめくってこちらに来るよう促す。しかし灰音ちゃんがカッと目を見開いたかと思うと怒鳴り出した。
「できるわけねーだろーが!!テメェ女だぞ。危機管理どーにかしろ」
こんな根暗な年上に君が欲情なんてするものか。
そう思うが、灰音ちゃんが言いたいのはそういうことじゃないのだろう。
「灰音ちゃんは私が嫌がることしないもん。絶対」
唇を尖らせて抗議すれば、彼はまた爆音の舌打ちをして起き上がった。
「……なんもしねーわ、テメェ相手じゃそんな気にもなんねぇしな」
「それはそれで酷い」
電気を消すと、ベッドに乗り上げて私の隣で横になる。そんな灰音ちゃんに思わず笑ってしまった。
暗闇の中で薄らと灰音ちゃんの影が見える。
「……灰音ちゃん」
なんとなく声をかけると彼は一度無視をした。それでも何度か名前を呼べば、仰向けのまま身じろぎせず「寝ろ」とだけ言った。
「……灰音ちゃんって優しいね」
彼の方を向き直せば顔を鷲掴みにされる。「痛い痛い……!」と声を上げるが、本当は全然痛くなんてなかった。
「優しくねェ」
反抗期真っ最中の男の子は素直に受け入れてくれるわけもなくて、私の誉め言葉はすぐに跳ね返される。でも不快にはならなかった。
「だいすきだよ〜」
うふふ、と漏れ出る声を両手で抑えればため息をついた灰音ちゃんにデコピンをされる。これはまあまあ痛かった。
「……先生が好きなんじゃねェのかよ」
「ファンだもん。灰音ちゃんは人として好き」
「そーか」
その声色には嬉しさなんて1ミリも含まれていなかったし、心底“どうでもいい”というのが分かるようなものだったけれど。
「明日も灰音ちゃんにくっついてると思うけど、許してね」
「めんどくせェ」
憎まれ口ばかりでちっとも優しい言葉なんてかけてくれないけれど。
「やだ。くっついとく」
「……ま、俺が拾ってきたからな」
「ん?」
「はよ寝ろ」
なんだかとても可愛い人だ。
漫画で読んでいた時より、実際に見て分かる。その表情から、雰囲気から、頭に触れた手つきから──君の優しさが身に染み渡っていくようだった。
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