第3話

「──で、テメェの世界ではここが漫画になってんのか」

「はい……」

 担がれているこの状況が恥ずかしくて、自分の両手で顔を覆ったままやり過ごす。どこに連れて行かれるかは何となく分かるとして、その道のりで今に至った経緯を説明した。


「じゃあテメェは俺らの未来が分かるってのか」

「……まあ、ある程度は」

 また盛大に舌打ちをして「めんどくせェな」と呟く。するりと彼の温もりが離れ、身体が浮いたような感覚がすると私の足は地についていた。

「灰音ちゃん……」

 向かい合って私の顔を覗き込んだ灰音ちゃんはピクリと眉を上げる。


「その呼び方やめろ」

 凄んで見せるけれど、私には怖くない。

 ……だって、乱暴な言動の奥には必ず優しさがあると知っているから。


「やです」

「テメェ……」

 唇を尖らせれば頭を叩かれる。一般人である私が倒れてしまうことのない、あまりにも小さな力だった。


 舌打ちをして背を向けた灰音ちゃんが歩き出す。その後ろをついて行くが、その速度だって私に合わせてくれている。



 目の前にはもう、大きな建物がそびえ立っていた。

「ここ、知ってるか」

「はい、灰音ちゃんたちが通ってる学校の寮ですよね」

 小さく頷いて灰音ちゃんは立ち止まる。綺麗な建物や立派な扉には見覚えがあった。それはもう、ため息が出るほどに。


「入んぞ」

 灰音ちゃんの一言で突然緊張が高まる。身体がガチガチに固まってしまった。

「……なにやってんだ」

 灰音ちゃんの背中の服を摘むと、彼は振り返って眉間に皺を寄せる。


 ──私は極度の人見知りだった。

 特に、同年代と話すことがどうしても苦手だ。

 この扉を開けばそこに広がるのは“ザ・青春”であることは間違いない。人見知り隠キャの私にはハードルが高いのだ。


 ……灰音ちゃんは大丈夫。何故かは分からないけれど。


「……お願い、こうしててください」

 ダメ元でお願いする私をじっと見つめて、彼は数秒何かを考えた後──。

「……チッ」

 もう何度目か分からない舌打ちで許可してくれたのだった。




 重そうな扉をなんてことないように軽々と開けてみせる灰音ちゃん。

 彼が踏み出した足に引き摺られるように私も脚を動かした。


「おかえり、柳楽く……」

 賑やかな会話の中から、柔らかい声が出迎えてくれる。灰音ちゃんはその声をスルーしていた。なんて酷いやつだ。

 その優しげな雰囲気の少年──この物語の主人公、橘一路たちばな いちろ


 彼の途切れた声に不思議に思った私は、何気なく灰音ちゃんの背中から目を覗かせた。

「──えええ!?あの柳楽が女連れ込んでる!!!」

「びぇっ!?」

「うっせェ……」

 多数の大きな声にびっくりしてすぐに頭を引っ込めると、ぎゅっと握った服に顔を押し付けた。


「ビビってんなよ」

 背中にピッタリとくっついているせいで声が間近に聞こえる。小さく「うるさい」と呟いて、ぐりぐりと顔を擦り付けると怒られてしまった。

「なんで隠れた!?」

 また大きな声が聞こえてきてビクッと体を揺らす。すると灰音ちゃんが「うっせェっつってんだろ!!」と怒鳴りながらその声の主を蹴りつけていた。



「……とりあえず先生呼んでくるか」

 私をソファに座らせると、灰音ちゃんは背を向けてどこかへ行こうとする。

「……やだ」

 慌てて彼に腰に抱きつけば、彼もどこか慌てだした。


「おま……!フザケんな!!」

 私の腕から逃れようと暴れるから更に力を込める。すると灰音ちゃんは大人しくなった。

「灰音ちゃん、一緒にいてください」

「クソが……!」

 見上げた彼の顔は恐ろしかった。目も眉も吊り上がっているし、怒りで顔を真っ赤にしている。


「……“灰音ちゃん”?」

 遠巻きに見ていた彼のクラスメイトであろう男子の声がシンとした室内に響いた。

 視線が自分に集まっていると自覚して血の気が引く。喉が詰まって表情が引き攣った。


「灰音ちゃん……」

 今度は灰音ちゃんのお腹に顔を埋めれば周りが騒めく。

「……わーったよ。テメェも来い」

 ブルブルと震える私を見かねてか、ため息をついた彼が私を抱きかかえた。今度は担ぐのではなく。


「まじか。アレ本当に柳楽?」

 灰音ちゃんの肩に顔を沈めて視界を塞いだら、周りの様子を知るために頼りになるのは聴力だけ。


 またあのクラスメイトの声がして、灰音ちゃんの怒声が耳を貫くのを覚悟したが──彼は舌打ちをしただけだった。

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