第2話

「──あれ、私。なんでここに?」


 目を開ければ全く知らない場所。記憶を辿ってみれば、ある結論に至って背筋が凍った。

「……待って。私は完璧イケメン男子とピュアピュアな恋愛を楽しむはず……」

 ──だったのだが。


 私は王道ラブストーリーを読んで眠るつもりが、一時期ハマっていたバトルものの漫画を手に取ってしまった。まだ眠くならないだろうと読み始めたのが運のツキ。有り難く紅茶を頂戴した後、横になって漫画を読めば寝心地の良いソファのおかげであっという間に夢の中へ誘われていったのだった。


 そして、今現在。私はどこの街かもわからぬ裏路地で蹲っていた。東京の街と大して変わらぬ、ビルが立ち並ぶ風景は先ほど読んでいた漫画の中のものと全く同じだ。


 そして恐らく、じきに私の前に現れるのは──。

「──テメェ、こんなところで何やってんだ」

 そう、私が意識を失う前に読んでいた漫画の登場人物。予想は的中だった。

 ──が、この男が来てしまったなんて私はとことんツイていない。最悪の展開だ。


 目の前の強面男子は漫画で読むには申し分ない男前の少年。ツンデレな上天邪鬼で性格は良いとは言えないが、女子のときめきポイントはがっしり掴む、少年漫画で女子人気抜群のこの男。

 ──そして、最大のイケメンポイントは戦闘センスがあまりにも高いということだ。


 男はゆるく着こなされた制服のズボンのポケットに手を突っ込んでこちらを見下ろしている。

「ま、迷子ですが……お気になさらず」

 彼──柳楽灰音やぎら はいねとお近づきになれるなんて、二次元に憧れ、恋する乙女たちにとったらひどく羨ましいシチュエーションだろう。だが、私は彼とは一切の関わりを持つことなく通り過ぎてもらうことを祈った。


 もう一度言おう、これはバトル漫画の世界。登場人物と深く関われば、待っているのは死への恐怖。とてつもない危険しか待っていないのだから。


「……へえ、迷子ねェ」

 しまった、と思った。にやりと笑った目の前の男は興味しか含んでいない目でこちらの顔を覗き込む。

「お前、名前は」

「……未来」

 間近にある美少年の顔に、一度くらいは名前を呼んでもらいたいと欲が湧き出してしまった。素直に答えれば灰音はニヤリと笑う。

「ミク、な」


 薄いグレーの前髪が目にかかりそうだ。そんなことを思っていれば彼がぐっとさらに近づいてくる。

「どこから来たんだァ?」

「……言っても信じないです」

「いいから言えや!!」


 ……怒鳴られた。

 いや、これもファンからすれば失神ものだろうな。これが彼の代名詞でもあるのだから。


「……こことは、違う世界」

 一つ息を吐いて、私は観念した。信じてもらえないのは覚悟の上。頭のおかしい奴だと思われて、放置してくれることを願って小さく言葉を紡いだ。

「異世界から?それはまた、大層なことだなァ」

「笑いごとじゃないんですけど。信じてないでしょ」

 私の覚悟を鼻で笑って一蹴した彼をジロリと睨む。


「……灰音ちゃん」

 ぽつりと呟いたその名前に、一瞬で彼は顔を歪めた。

「テメェ──なんでオレの名前」

「だ、だから言ったでしょ。これで少しは信じてくれますか……」

 低く唸るような声にビビりながら私は後退りする。その呼び方はこの漫画のファンである私が実際に呼んでいたものだった。


「──わかった、ついてこい」

 ……何が“わかった”んだ?

 私に背を向けた灰音ちゃんに首を傾げて立ち竦んでいると、彼は勢いよく振り返り、睨まれる。

「早く来いやボケ!!」

 その圧に膝が震える私を見て舌打ちをすると──彼は軽々と私を担いだ。

「びぇぇぇぇ!!」

「うるせェ黙れ」

 私を米俵みたいに担いだ灰音ちゃんは、叫んだ私のお尻をぺちんと叩く。セクハラだ。


「大丈夫です放っておいてください……!」

「行くところねェんだろ。このまま野宿でもすんのか。それとも変なヤツに襲われてぇか」

「……ぐぅ」

 どんどんマズい状況に流されている気がして抵抗するが、呆気なく論破された。何も言えなくなった私にハンッと鼻で笑う。

「最初から黙ってついてくりゃいいんだよ」


 横暴な態度なのに……ちょっとだけ、かっこよかった。



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