EP2.2

 メアは上半身だけの遺体の頭部からキューブを発見し、人物認証を行った。イヴにデータのリンクが転送される。


『Name: Takako Himesaki 《タカコ=ヒメサキ》

 Sex: Female 《女性》

 Birth: 7/8/2116 《当時44歳》

 Occupation: Journalist 《職業:記者》』

《備考欄》

 ・ラグドレア人民労働共和国東部、サクラノ地区出身の難民。ラグドレアによるサクラノ族への迫害の実態を世界に向けて告発したことで知られる。

 ・新暦2151年に配偶者のコウヘイ=ヒメサキをラグドレアの弾圧により失っている。

 ・アフェリオス号には娘の《ナギ=ヒメサキ》も搭乗している。


 イヴはディスプレイを操作してナギ=ヒメサキのリンクへと飛んだ。


『Name: Nagi Himesaki 《ナギ=ヒメサキ》

 Sex: Female 《女性》

 Birth: 12/24/2144 《当時16歳》

 Occupation: Student 《職業:学生》』


「……」

 イヴはじっと、難民ナギの写真と面接時の動画を見つめていた。——大人びた、しかし凛とした意思を感じさせる美しい瞳の女性だ。つややかなロングヘアは肩のあたりで結ばれている。


『私たちは、未来の人々からすれば貴重な歴史の証言者になります。それも、当事者だけが語りうる、生身の真実の語り手として。私はその役目を全うしたい、そう思っています』


 16歳とは思えない、驚くほどに落ち着いた口ぶりだった。無理もない、迫害されてきた民族として、相当悲惨な過去を経験してきたはずだから……。

「……?」

 そこで、イヴは奇妙な感覚を覚える。どことなく、難民ナギの話し方や身振り、その一つに束ねられた黒い髪の揺れ方にも、既視感があるような気がしたのだ。

 この女性に似た知り合いがいただろうか? と考えてみるが、思いつかない。

「……」

 じゃあ、どうしてだろう? ただの……デジャヴだろうか。

「どうしました?」

 固まっていたイヴにメアが問いかける。

「いや、別に。乗客のプロファイルを眺めていただけだよ」

「浮気ですか?」

「?」

 イヴはディスプレイを閉じ、難民記者タカコ=ヒメサキの遺体の前にかがみこんだ。

「ていうか、イヴさん」

「どうしたの?」

 打って変わって心配そうな瞳で、メアは言う。

「イヴさんも、この人の記憶の中で、身体を真っ二つにされちゃうんですか?」

「そうだね」

「えええええ!?」

 メアの大げさな反応を見て、イヴは笑った。

「そんなに心配しなくても大丈夫。慣れてるし。それに特殊捜査官の痛覚はマスキングされてるから、普通の人の十分の一くらいしか痛くないんだ」

「そ、そうなんですね……」

 メアは大きな瞳を丸くしていた。

 新暦2261年において痛覚問題というのはホットな話題の一つだった。技術的に痛覚を消すことができるようになった今、我々は痛みから解放されるべきなのか? それは許されることなのか? なにかとんでもない問題が起こるのではないか? 専門家の間でも意見が分かれることだった。

 そういう風潮があったので、痛覚をマスキングするという行為にもいくつかの議論があった。

「……まあ、僕は痛覚論争に関しては中立的というか、どっちでもいいと思ってるんだけど。でも遺体にゲーティングするたびに、死ぬほど痛い思いをするのは嫌だし——文字通り、ね。仕事上仕方がないというか」

「特殊捜査官だと、そうかもしれないですね」

「メアはどう思っているの?」

「私は反対です。たしかに、ナノマシンが体の状態をいっつも見ててくれてますけど……痛みがなくなっちゃったら、どんな危ないこともやっちゃいそうな気がして」

「そういう意見は多いね。でも、こういう意見もある。——ひょっとしたら、古代から遺伝的に強化されてきた痛みというモジュールは、もう人類には必要なくなったのかもしれない、ということ。——回避するべき危険がなくなってしまった、とする考え方」

 メアはよくわかりません、と言いたげに細い眉をひそめた。

「……んー、そうだね。メアは甘いものが好きだよね」

 メアは子供みたいに笑う。

「はい。大好きです」

「人間が本能的に甘いものを求めてしまう——これは遺伝子に書き込まれた命令なんだ。原始時代、高カロリーな糖質はめったに得られない食べ物だった。だから、優先的に甘いものを摂取する個体が生き残った」

「なるほど……甘いものが嫌いな人たちは栄養不足でいなくなった、っていうことですか」

「そういうこと。そういうわけで、僕たちホモ=サピエンスの脳みそに『甘いものは美味しい』というプログラムが書き込まれた」

「ふむふむ。甘いものを食べたくなっちゃうのは、進化のせいなんですね」

「そう。ところが、大規模なサトウキビ畑で大量の砂糖が生産できるようになって、状況は変わってしまった」

「いつでも食べれちゃう、ってことですか」

「うん。……太るのは嫌でしょ」

「いやです」

 即答だった。イヴはあははと笑った。

「大量生産が成功して、人類は無制限に砂糖を食べることができるようになった。だけどその結果人類は糖質過多という健康被害に苦しんでいて、ありがたいことに、生存のために脳みそに刻み込まれたそのプログラミングによって死ぬ人のほうが多くなってしまった」

「なるほど~」

 そう言って、メアはきょとんとして首をかしげる。

「でも、砂糖の話が痛覚の話とどう繋がるんですか?」

 イヴは歩きながら言う。

「メアは、痛いの嫌でしょ?」

「もちろん。みんなそうですよ」

「つまり、人間には『痛いのは嫌』という至上命令が下されていて、それは危険をいち早く察知し、それを回避することを促すモジュールとして機能しているわけ」

「ふむふむ」

「特に……常に死と隣り合わせだった原始人類にとっては、必要不可欠なモジュールだった。だけど、今はナノマシンが発展して、身体の状況は彼らがいつも見ていてくれてる。つまり?」

「わざわざ痛いと思う必要性が、薄れてるってことですか?」

「そう。身体の不調は当人よりも機械が早く発見するから、自分で痛みを感じ、異常を検知する必要がなくなりつつあるわけだね」

 メアはぽんと手を叩いた。

「なるほど。なんとなくわかりました」

「……雑談はこれくらいにして」

 イヴは、もう一度上半身だけの死体——タカコ=ヒメサキに向き合った。

「さて」

 当然、百年前には痛覚を制限する技術は存在していなかった。だから、今から経験するのはこの難民記者タカコ=ヒメサキが直に経験した痛み、そして——恐怖。

 もちろん、十分の一ではあるのだけれども。




「バイタルゲーティング・オン——オブジェクト《タカコ=ヒメサキ》」

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