EP2.1『怪物』

 宇宙船アフェリオス号は三層構造になっている。重力に近い引力を生み出すことができるグラン粒子によって、船内は完全に地球上と同じとは言えないまでも、それに近い生活環境が人工的に作り出されていた。よって船内は、水の上を走る船とそれほど大きくたがわない。一階は人々がリラックスするための施設が豊富に設けられており、シアタールーム、スポーツジム、バスケットコート、バー、ダーツ、ビリヤード場……とまさしく至れり尽くせりだ。先ほど天才ニアハの遺体があった居住区は二階。またクルーや船長などのスタッフのみが入室可能なコックピットや事務室等があるのも二階だ。三階にはその大部分を食堂が占めていて、あとは医務室。そのほかには輝く銀河を覗き見ることができるゲイジング・ルームがある。


 ロックダウンされていたのは、一階すべてだった。つまり、誰も一階から出られなかったし、一階に入ることもできなくなっていた。何かの理由があって、だ。


 横にいるメアが歩きながらのんきな声を出す。

「いったい全体、何があったんでしょうね~」

「まだ、天才ニアハが病死したことくらいしか、わかっていないからね」

「病死、病死……かあ」

 いまいち想像がつかない、とでも言うようにメアは唸った。無理もない。新暦2261年においては、病気で死ぬのは自殺で死ぬことより何倍も難しい。

「一応、当時としては最新の医療設備に加えて、医者も乗っていたはずなんだけど」

「じゃあ、お医者さんが最初に病気で死んじゃったんですかね」

「かもしれないね」

 そのあとも二人であーだこーだ言ってみたが、何かしらの答えを導くにはまだ、手がかりが少なすぎる。

 イヴとメアはそのまま一階へと向かった。自動階段をわざわざ歩いて降りていく。

「映画館、VRゲーム場……なんでもありますね。楽しそうです」

「旅路は一年間だから、その間退屈しないように、っていうことらしい」

 メアは突然立ち止まり、イヴを上目遣いでじっと見上げた。頬を赤らめ、もじもじとイヴの服の袖をつまんだ。そして、恥ずかしそうに目をそらす。


「……私、新婚旅行は月に行きたいな」


「ずいぶん唐突だね。いつ結婚することになった?」

「神さまが決めたんです。光の速度は秒速30万キロメートル、水素の陽子と電子は一つずつ、メア=ウィリスとイヴ=フローレンは結婚する」

「神聖な科学の定数に自分の欲望を混在させないでもらっていいかな」

「神聖な科学の神さまによると私たちはクーロン力で引き合いやがて共有結合するそうです。共有するのはもちろん二人で育む幸せですね。共有結合したカップルは永遠に別れないって聞きました。病めるときも健やかなるときも……」

「その時は誰かにプラズマ電解してもらうことにするよ」

 咄嗟にメアは目に涙を浮かべる。わざとらしい嗚咽を漏らしながら言う。

「もしかしてっ、すでに共有結合する相手が、いるんっ、ですか?」

 イヴは頭を掻いた。

「……そういう相手はいないけど」

「よかった~」

「あと、クーロン力は共有結合には関係ないね」

「てへ」

 イヴはロックされていた重い扉を開いた。二人は顔を見合わせる。

「……」

 二階では感じられなかった、死の臭いが漂っていた。だが、奇妙だ。

「……?」

「どうしたんですか?」

「大量に人が死んでいるのであれば、もっと凄まじい臭いがするはずだと身構えていたんだ。なのに、思ったよりも臭くない」

「たしかに、そう、ですね。……ひょっとしたら、三階が一番死体が多いのかも」

「けれど、一階はロックダウンされていたわけだ。何もないわけがない……よな」

 そう言うとイヴはさっさと歩き出した。それまでの宇宙船の内装というのはひどいものので、無機質でのっぺりした白い壁、硬い床、機械やダクトが露出した天井……だったのだが、このアフェリオス号は少し事情が違う。船内は著名な芸術家が設計したそうで、温かな印象を与える暖色をふんだんに用いることにより、居心地の良い空間が演出されていた。

 そしてイヴとメアはビリヤード場に入った。上品な間接照明がぶら下がっていて、部屋はふんわり薄暗かった。

「おしゃれな感じですね」

「だね」

「薄暗いからって、こっそりへんなとこ触らないでくださいね」

「は?」

「冗談です。やっぱり触ってもいいですよ」

「は?」

 レンズエアの自動明度補正が作動し、室内がより鮮明になっていく。

「……ふむ」

 イヴたちが入ってきた入口とは反対側にある扉が、ぐちゃぐちゃに破壊されていた。付近のビリヤード台は木っ端みじんにされ、折れた脚が散らかっている。

 そして、その横には——

「どうやら、二つ目の遺体を見つけたようだ」

 メアが目を丸くする。

「イヴさん、これは……」

 イヴはため息をついた。

「さっそく、とんでもないものを見つけてしまった」


 その遺体には上半身しかなかった。

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