第97話 取引②

 ローキンス大司教は妙に人に不快感を与える男である。


 身なりはいいし、40代半ばという年齢を考えれば体形は崩れていないし、不潔な印象も一切ないのに不快な印象を与える。


「お待たせいたして申し訳ございません」


 アルガスは恭しくローキンスに一礼する。大司教の権威は子爵などよりも遙かにまさる。そのため、アルガスの下手にでた挨拶は奇異な印象を与えるものではない。


「気にするな。それでは早速取引に入ろうか」


 ローキンスは横柄な態度でアルガスに言い放った。アルガスごとき小者と話をするつもりはないという意思表示であろう。アルガスはローキンスの意図を察し屈辱を感じたが、それを表面に出すような事はしない。


「はい。今回のエアルドの量は50㎏という話ですが、料金は後払いという形にしていただけないでしょうか?」

「何?」


 アルガスの提案を聞いたローキンスは不快気な表情を浮かべた。


「貴様……私を舐めているのか?」

「ひっ、そんなつもりは……」


 この時のアルガスの怯えの声は演技から来るものではない。別の理由からである。だがそれゆえにローキンスは脅しが上手くいったとして内心ほくそ笑んでいたのだ。


「ローキンス大司教様もご存じのことかと思いますが、我が家は家人が……その…」

「持ち逃げされたのだろう?」


 ローキンスの嘲りの声にアルガスはぐっと唇を噛みしめた。


「く…はい」

「ふん、家人に背かれた能なしの分際で後払いだと?」

「し、しかし…50㎏ものエアルドの料金を支払うことが出来ないのです。エアルドを売りさばきその売上金から…3200万ドラードを支払います」

「3200……それでは足りぬな」

「え?」


 ローキンスの言葉にアルガスは驚きの表情を浮かべた。その様子にローキンスの嘲りの表情はさらに醜く不快なものへとなる。もはや直視するのも困難なレベルの醜悪さである。


(ジオルグ様の指示通りの展開だ…)


 だが、アルガスは心の中で戦慄していた。ここまでの展開は事前にジオルグから言われていたのである。


(ジオルグ様は…ローキンスという人間の為人を把握してこの展開を読んでいたというのか…次は値をつり上げ、前金を要求する…そして残りの支払いはかなりの無茶な期日で来ると…)


「当然だろう。後払いを要求するのだ。4000万だ」

「よ」


 アルガスの驚きの声にローキンスはニヤリと嗤う。


「しかし、それではこの取引は成り立たぬな」

「は、はい」

「お前の横の男が持っているのは金だろう?」

「はい」

「いくらある?」

「1200万になります」

「そうか……前金としては十分だな」


 前金という言葉を聞いたときにアルガスは戦慄する。冷たい汗が頬を流れた。それを見てローキンスはまたも不快そのもののみを浮かべた。


「前金としてその1200万を渡せ、残りは十日後に支払うのだな」

「と…十日」

「何だ?不服か?」

「いえ」

「十日で捌けるかどうかはお前次第だ」

「……やります」

「わかればいいんだ。ああ、口答えしたから4500万だ」

「はい…」


 ローキンスはニヤニヤしながらさらに値をつり上げてきたが、アルガスはそのままそれを受け入れたことに満足したようである。


(ば、化け物だ…)


 アルガスは心の中でジオルグの予想通りに展開したことに戦慄せざるを得ない。まるでローキンスはジオルグの傀儡ではないのかと思ってしまう。いや、そうであってほしいと思わざるをえない。もはやアルガスにとってジオルグは人外の化け物にしか思えない。


「おい、ローキンス大司教に前金を」


 アルガスは金を持つ男に指示するとローキンスの横に立つ男に手渡した。アルガスは知らないがこの男は司教の地位にあり、この教会の責任者である。司教は金を乱暴に取ると中を数え始めた。しばらくして司教は顔を上げた。


「ローキンス大司教、確かに1200万あります」

「そうか。おい」


 ローキンスは他の二人に指示すると二人はそそくさと礼拝堂を出て行く。数分後に男二人が木箱を運んでくるとアルガス達の前においた。


「中を確認しろ」


 ローキンスの横柄な言葉にアルガスは黙って木箱の蓋を開けた。中には紙に包まれた固形物が入っている。


「おい」

「は、はい」


 アルガスの命令を受けた男が上ずった声で紙を開けると白い固形物が姿を見せる。男はその固形物のにおいを嗅ぐと静かに頷いた。


「いいな、十日だ。逃げようなど思うなよ。貴様がエアルドの取引に応じた以上、このことが露見すればカルマイス家の者共は皆処刑だ」

「は、はい」


 アルガスが震える声で返答した瞬間にローキンスの背後でドサリという何かが崩れ落ちる音が響いた。


 ローキンスを始め全員の視線がそちらに向くと部下の一人が倒れ込んでいるのが目に入る。


「お。おい、どうし」


 倒れ込んだ男の背後にローキンスの部下でない男が立っているのが目に入った。


「な、なにも」


 声を上げようとした男は一瞬で背後に回られると即座に頸動脈を締め上げられ一瞬で意識を失った。

 自分達が襲われているという事に気づくまでにわずか数秒の時間しかなかったが、だがその数秒で襲撃者達には十分であった。


 ローキンス達は何の抵抗も出来ずに即座に締め落とされてしまったのだ。襲撃者達はそのままアルガス達も同様に締め落とす。


「加減を間違えるなよ」

「分かってるって」


 アルガスの部下を装っていた闇の魔人衆ルベルゼイスがそう呟いて締め落とされた。


「さて、これで全員だな」

「ああ、取り逃がすような事はしてないさ」


 カインの言葉に同僚の闇の魔人衆ルベルゼイスが応える。


「さて、屋形様に良い報告ができるな」


 カインの言葉に闇の魔人衆ルベルゼイス達は頷くと、この教会にいた者全員を運び出した。



 忽然と消えた教会関係者達に大騒ぎとなったがその消息を掴むことはできなかった。

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