第93話 密命①
(一体何のようだろう……)
アルガスの心は限り無く重かった。その理由はジオルグによりザーフィング邸へ来るように命令を受けたからである。
アルガスにとってはジオルグは従兄である。だが、一般的な従兄と情をアルガスは持っていない。もちろん軽蔑などの軽く見るような感情とは無縁でありアルガスがジオルグに感じているのは圧倒的な恐怖である。
それは子爵家と侯爵家などという家格の違いからくるものではない。家の爵位が逆であってもアルガスはジオルグへの恐怖を消すことなど出来ない。いや、ジオルグがたとえ平民であってもジオルグはアルガスを破滅させる事が出来るという確信があるのだ。
ザーフィング邸に着いたアルガスは家人に訪問を告げる。応対をした家人の反応は限り無く冷ややかであった。もちろん、無礼な対応をするわけではない。表面上は丁寧であるが、心がこもっておらず、敬意がまったく感じられない。
(この刺すような感覚……カルマイス家のものだからか…)
今さらながらガーゼルとアルマダのやったことの意味を突き付けられている気分である。
「ご案内いたします」
ロイがアルガスへと一礼し、そのままアルガスをジオルグの元へと案内する。その間、両者に一切会話はない。
「ジオルグ様、カルマイス卿が参りました」
「入れ」
ジオルグとロイの短い会話にアルガスの心臓は大きく跳ね上がった。理由はもちろんジオルグの声を聞いたからである。
「どうぞ」
ロイの言葉にアルガスは歯の根が鳴りかけるのを必死におさえる。勇気を総動員して室内に入ると正面の執務机にジオルグがいるのが目に入る。
(ひ……)
勇気を総動員してもなおアルガスは悲鳴を上げそうになってしまう。
アルガスはそのままジオルグの前に歩を進めた。執務机の前まで十五歩程度であるのだがアルガスにとっては無限の距離のように感じた。
「お久しぶりでございます。ザーフィング侯。カルマイス子爵アルガス参りました」
アルガスはジオルグへ挨拶を行うと一礼する。
「アルガス、仕事だ」
ジオルグの簡潔な言葉にアルガスは顔を上げる。
「お、お任せください」
アルガスの返答は上ずっていたものであったが、ジオルグは咎めるような事はせずに口を開いた。
「よい心がけだ」
「はっ!!」
ジオルグの言葉に自分の返答が正しかったことを確信した。
(あ、危なかった…疑問を呈していれば殺されていた)
アルガスは心の中で安堵する。もちろんこの場で殺すような事はしない事くらいはアルガスも理解しているのだが、あくまでこの場でと言う話であり、自分の命が終わることが確定するという話である。
「そ、それで……私に与えられた仕事とは?」
アルガスの声は震えている。ジオルグが自分に振る仕事がどれほど困難なものか考えただけでも恐ろしいというものである。
「お前はカーヴァー=ローキンスという男を知っているか?」
「カーヴァー……もしかして、ローキンス
「そうだ。その大司教
「そのローキンス大司教が何か?」
アルガスは恐る恐るという体でジオルグに尋ねる。
「カーヴァー=ローキンスを手始めにカーライル=セインハル一派を
ジオルグの言葉にアルガスは声を出すことはできない。ジオルグの口から発せられたカーライル=セインハルはグランゼル教の二大宗派の一つである『リゼルトス教会』の枢機卿であった。
ガルヴェイト王国の9割以上がリゼルトス教会の信者である事を考えると枢機卿の権威は並の貴族では足下にも及ばない。
その枢機卿であるカーライルを殺すというジオルグの発言に戦慄するなという方が難しい。
「ジオルグ様、質問をよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「セインハル枢機卿は何をしたのです?」
アルガスの問いかけにはジオルグの本質を理解している事の表れであった。ジオルグは無益な殺生を行う事は決してない。逆に言えば有益な殺生ならば躊躇なく行うと言うことである。それ故にアルガスはジオルグがカーライルのやったことを知りたかったのだ。
「お前は最近国内で出回っている『エアルド』というものを知っているか?」
「は、はい。危険な麻薬と言うことは…」
「やつが
「な……」
ジオルグの言葉にアルガスは驚きを隠せない。さすがに枢機卿ともあろうものが麻薬の元締めとは思っていなかったのだ。
「次期教皇を狙うセインハルとすれば金はいくらあっても良いだろう?」
「は、はい」
「だが、その金は我が国の法に背いて得たものだ。それにエアルドは極めて中毒性が高く、使用者の9割は廃人か死ぬかのどちらかだ」
「……」
「これは我がガルヴェイトへの敵対行為であろう?民を害し、富を掠め取っているのだからな」
「はい……」
アルガスはジオルグの冷たい殺意を感じ取ると再び震え出した。
「お前の仕事はローキンスとエアルドの取引を行う事だ」
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