第91話 第3部序章②

「またか……」


 カルマイス子爵であるアルガスは暗い声を発するとともに項垂れた。


 カルマイス子爵家は現在、どこの貴族からも交流を絶たれている状況である。その理由は叔父であるガーゼルが前ザーフィング侯爵を暗殺し、簒奪を企み息子であるジオルグに処刑された事である。


 ザーフィング侯爵を暗殺し、代侯の立場でありながら侯爵家を簒奪しようとするような大罪を犯した者を出した家と縁を保ちたい家など存在しない。貴族にとって簒奪ほど忌むべき行為はない。それを良しとする者は自分もまた簒奪を認めることとなり自分の家も同じ目に遭うからである。


(どうすれば良いんだ……)


 アルガスは深いため息をつく。


 男爵どころか准貴族ともいうべき騎士爵にまで縁談を持ちかけたというのに婚約には至らず、今回は商家の娘に縁談を申し込んだにも関わらず断られたのだ。

 縁談を申し込んだ商家からは非常に丁寧な文面で断りがあったが、本心は透けて見えた。貴族どころか商家にまで断られたということにアルガスの心は抉りに抉られている。

 この点アルマダの実家であるエディオル子爵家も同様であり、現当主のカーマインも婚約者が決まっていないという状況である。


「また駄目だったのか」


 父親のアントンの声も硬い。


「父上……もう諦めましょう。すでに子爵家、男爵家、騎士爵のみならず商家にまで断られる始末です。カルマイス子爵家はもう終わりです」

「弱気になるな!!」


 アルガスの弱々しい声を打ち消そうとアントンが声を荒げるがその声にはどこか諦めの感情の響きがあった。アントンも心のどこかでどうしようもないという思いがあったのである。


「ジオルグ様がどうしてガーゼルとともに我らを断罪しなかったのがやっと理解しましたよ」


 アルガスの声には人生を投げている者特有の空虚な響きがある。アントンは息子の声に申し訳なさで仕方がない。


「ジオルグ様は我々が今日こんにちの窮状になるのはわかっていたはずです。それを理解しているからこそ我々を放置し、苦しませる事を選んだのでしょう。これこそがジオルグ様の報復なのですよ」


 アルガスの力のない声がアントンの心に突き刺さる。


「商家からの縁談すら断られるという現状……おそらく今後も婚姻が結ばれることはないでしょう。単に血を繋ぐというだけならばその辺りの領民の娘に子を産ませれば良いでしょうが、その子は間違いなく私以上に立場が悪い事でしょう。貴族社会に絶対に受け入れられることはないし、困窮しても支援は受けることはできないでしょう」

「……」


 アントンの返答がないことにアルガスは自分の言葉が事実であることを改めて突きつけられた気分である。


「母上の実家の方でも叔母上が離縁されましたし、もはやそういう段階なのです」

「アルガス……」

「カルマイス子爵家の幕引きが私の仕事だということをやっと理解しました」

「……」


 アルガスの力無き声にアントンは何もいうことができない。


 バン!!


 そこに扉が開け放たれ一人の男が入ってきた。当主の執務室にノックもせずに入って来ることができる人間など限られている。


 アルガスとアントンは開け放たれた扉を見て予想通りの人物であることを知るとため息をつきそうになるのをなんとか堪えた。


「アルガス、どうだった?」

「お祖父様」

「父上、ここは…」


 扉を開け放った人物はアルガスの祖父であるエイヴリーであった。そしてアルガスから数えて二代前のカルマイス子爵である。


「いいから、首尾はどうじゃ?」


 エイヴリーはやや声を弾ませてアルガス達に尋ねる。ここでいう首尾とはもちろんアルガスの縁談の事である。

 アントンはやや気まずそうに首を横に振った。それを見たエイヴリーは瞬間的に怒気を発した。


「なんだと!?商人風情がこの縁談を断ったというのか!!」


 エイヴリーの声にアルガスとアントンは首をすくめた。


「ジオルグか!!またもあの小僧か!!」


 エイヴリーの矛先はこの場にいないジオルグへと向かう。


 現在のカルマイス子爵家にはジオルグの手の者が相当入り込んでいる。そのことをエイヴリーはもちろん知っているが、怒りのためにジオルグへの口撃が始まってしまったのである。


「お祖父様!!お止めください!!」


 アルガスは鋭い声でエイヴリーを止める。


「ジオルグごとき、何を恐れるか!所詮はザーフィングの名がなければ何もできぬ小僧ではないか!!」

「お祖父様はジオルグ様の恐ろしさをわかっていないのです!!」

「何だと」

「あの方は侯爵だから恐ろしいのではありません!!地位や立場など関係ないジオルグ=ザーフィングという男自体が恐ろしいのです!!」

「ふ、ふざ」

「ふざけてなどいません!!お祖父様はジオルグ様の本当の恐ろしさを理解していないのです!!」


 アルガスの剣幕にエイヴリーは流石に言葉を飲み込む。これほどの剣幕でアルガスが怒気を発することなどなかったのだ。


「ジオルグ様がなぜ我らを処分・・しないのかわかりませんか?」

「処分……だと?」


 アルガスの処分という言葉にエイヴリーもアントンも顔を引き攣らせた。それはアルガスの声色から処分が人間に対するものではなく屠殺される家畜に対し行う処分であることを察したのだ。


「単に我らを処分するほどの価値がない。あの方は我らになんら価値を見ておりません。しかし、お祖父様の今のジオルグ様への言葉により、ジオルグ様が煩わしさを感じられれば我らはそこで終わりです」

「い、いくら侯爵といえど我らも子爵……そ、そのような無法が」

「いえ、ジオルグ様は合法的・・・に我らを確実に処刑台に送ります」


 アルガスの断言にエイヴリーは言葉を失う。


「価値がないからこそ、我らは生きていけるのです。その事をゆめゆめお忘れなきよう……」


 アルガスの言葉にエイヴリーは静かに頷いた。


「カルマイス家は私の代で終わります。ですが少なくとも価値がなければ殺されずにはすみます」


 アルガスの声が重々しくエイヴリーとアントンの耳に響いた。

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