第72話 最凶国王の疑問

「ふぅ……」


 ジオルグとの会談を終えたジルヴォルは自分の執務室に戻ると同時に自席に座り込んだ。


「陛下、お疲れ様でございました」


 秘書官のエルヴィスが労わるようにジルヴォルへと声をかける。


「ああ、斬りむすんだわけでもないのに、これほど疲労するとはな」

「お言葉ですが、ザーフィング特使との交渉はそれだけ危険であったと言う事でございましょう。背後に控えていただけの私でさえ疲労を感じております」

「なんとか四分まで取り戻すことができた」

「お見事でございます。これで、エクトル様とユアン様がフラスタル軍を撃破しなかったらと思うと恐ろしい限りです」


 エルヴィスはそう言うとブルリと身を震わせた。エルヴィスの言った通り、もしフラスタル軍に敗北したとしたらガルヴェイトにどのような条件を出されるかわかったものではない。


「ああ、さすがは父上とユアンだ。勝利することも難しいのに、その上開戦後即撃破するとはな」

「陛下の一手も効果があったと思っております」

「私の一手などなくとも父上とユアンの功績に比べれば何ほどのことはないさ」


 ジルヴォルはそう言って苦笑を浮かべる。ジルヴォルの言葉は謙遜でもなく本心からくるものである。前線で命をかけると言うのは相当な覚悟がいる。そのことに比べれば自分の一手など誇るほどのことではないと思っているのである。


「陛下、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「ジオルグ=ザーフィングはどうやってデミトルにあのような書状を書かせたのでしょうか?」


 エルヴィスの問いかけにジルヴォルは苦笑を浮かべながら返答する。


「デミトルは書いていない」

「え?」

「ジオルグ=ザーフィングとの会話を覚えているか? あの男はルクルトとソシュアに出す書状を添削したと言ったろう?」

「あ、はい。でもそれは何の返答にもなっておりませんが」

「ジオルグ=ザーフィングはデミトルの書状を手に入れるのが目的だった。正確に言えば筆跡・・を手に入れたかったと言うことだ」

「筆跡……? まさか!? デミトルの書状を偽造したのですか!?」


 エルヴィスはジルヴォルの言葉を受けて一つの可能性に行き着いたのである。


「そう言うことだ。偽造したのはジオルグ本人かジオルグの配下か……それはわからん。だがあそこで出された書状はジオルグ=ザーフィングの手によって偽造されたものだ」

「しかし、あの会談の場で……偽造したものを出してくるとは……」


 エルヴィスの声には驚きの感情が大いに含まれている。公式の会談の場で偽造したものを出すと言うのは並大抵の胆力の持ち主ではない。


「俺がミスをしたからな。その失敗を見て奴は偽造書類を公式の場に出したのだ」

「陛下がミス?」

「ああ、デミトルを送り込んだ事を認めたろう?」

「あ!!」

「アーゼインの存在がおさえられている以上、とぼけることは無意味と思ったのだがな。それを逆手にとってデミトルの書状が問題となった場合にザーベイルの責任へと転嫁するように仕向けられた」


 ジルヴォルの苦笑まじりの言葉にエルヴィスはゴクリと喉を鳴らした。


「ではひょっとして……デミトルを会談の場から追い出させたのは……」

「あの男の仕込みだったのだろうな。あの男はデミトルに助命嘆願をエサに書状を書かせ、その証拠を消すためにこの場に連れてきた。……まんまと俺はそれに引っかかってデミトルを排除してしまったのだよ」

「確かにデミトルは『書いていない』と喚いていました……」

「今にして思えば短慮だった。アホウの知恵は後から出るとはよく言ったものだ」


 ジルヴォルは自嘲気味に言うが、エルヴィスはそうは思わない。ジオルグが偽造した書類を出してきたのはデミトルを排除した後である。それを予測することなど不可能だ。


「それでは……陛下がガルヴェイトと不可侵条約を結ばなかったのは?」

「ああ、ジオルグ=ザーフィングという男がいる以上、不可侵条約は安全保障になんら寄与しないばかりか足枷になる可能性がある」

「確かに……ジオルグ=ザーフィングという男は恐ろしい。偽造した書状をこの国交樹立の会談の場に堂々と出す胆力……不可侵条約を結んだことで、いつ行動に移すかと思えば……安心できるものではございません」

「ああ、あの男は決して悪辣な人間ではない。だが、手段を選ばない男であることは間違いない。そのような男が所属する国家相手に油断の原因となる不可侵条約など結ぶのは避けるべきと判断したのだ」

「なるほど……やっとわかりました。陛下とザーフィングの間ではそのようなやりとりがあったとは……先ほどはわかったような事を申しましたが、どうやら表面上のことしか見えてなかったようでございます」

「今後もあの男と相対することもあるだろうが、厄介な相手だ」

(おや? これは珍しい……陛下がここまで楽しそうな様子を見せるとは)


 ジルヴォルの言葉には楽しそうな響きが含まれており、それがエルヴィスにはなぜか嬉しいものであった。


「しかし……ジオルグ=ザーフィングのやつ、俺が不可侵条約を結ばないことを宣言したときに何も反論せずに認めたのかな?」


 ジルヴォルはそう言って考え込んだ。


「は? 陛下はお分かりになられないので?」


 エルヴィスがジルヴォルの疑問に対しやや呆れたような表情で尋ねた。エルヴィスの問いかけに対し、ジルヴォルはやや不機嫌な表情を浮かべた。


「お前にはわかるのか?」

「もちろんです」

「な、そうなのか?」

「はい。お教え致しましょうか?」


 エルヴィスの言葉に一瞬だがジルヴォルは答えを求めるような表情を見せたが、すぐに首を横に振った。


「いや、もう少し考えてみよう」


 ジルヴォルはそういうと考え込んだ。それを見てエルヴィスは笑いを噛み殺しながら一礼する。


(陛下がジオルグ=ザーフィングを恐れているように相手もそうなのだろうな。陛下の好敵手……ジオルグ=ザーフィングか)


 エルヴィスは悩むジルヴォルを執務室に残し、お茶の用意をすることにした。


(陛下にも執務以外で悩む時間があっても良いはずだ)


 悩むジルヴォルはどことなく楽しそうであり、その様子を見てエルヴィスはその考えが正しいことを確信していた。

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