第71話 最凶侯爵の疑問

 ジルヴォルとの会談を終えて宿舎に戻ってきたジオルグはそのまま机に座り込んだ。ジオルグの様子はかつてないほど疲労しているのが四人の配下から見れば明らかであった。


「お疲れ様でした」


 カインが疲労の色濃いジオルグへ言葉をかける。


「ああ、紙一重だったよ……」


 ジオルグはそういうとふぅ〜と大きく息を吐き出した。その様子に四人は視線を交わした。ジオルグがこれほど疲労しているのは珍しい光景であった。


「お屋形やかた様、ジルヴォル王はそこまでの相手でしたか?」


 ライドの問いかけにジオルグは頷いた。


「ああ、アルゼイス王やイルザム王太子並みだな。末恐ろしい相手だ」


 ジオルグの言葉に配下達はゴクリと喉を鳴らした。ジオルグの配下達にとってもアルゼイスとイルザムは凄まじく能力の高い人物達であり、ジオルグが仕えるに相応しいと思っているのである。


「ジオルグ様、お聞きしてよろしいですか?」


 そこにアイシャがおずおずと切り出した。ジオルグの疲労が激しいので後日にすべきか迷ったのである。にも関わらず声をかけたと言うことはそれだけ聞きたいことがあると言うことなのだ。


「なんだ?」

「あ、はい。ジオルグ様はザーベイルとの不可侵条約の締結を最終目標とされていました。しかし、今回の件ではそれを取りやめたのが不思議で……」

「確かにな。ではアイシャ……相互不可侵条約を締結する意義はなんだ?」

「え?それはもちろん……安全保障ですよね?」


 ジオルグの質問に対し、アイシャの返答はやや歯切れが悪い。あまりにも常識的すぎて逆に返答に困ってしまうというパターンであった。


「それが理由だ」


 ジオルグの返答は端的すぎるものであったため、四人はジオルグの意図を図りかねて視線を交わした。

 ジオルグは四人の反応を見て自分の言葉が足りないことに気づくと補足説明のために口を開く。


「相互不可侵条約は安全保障のために行う。だが、ことジルヴォル=ザーベイルに対しては無意味だ。いや、無意味どころか禍根・・となるな」

「禍根……ですか?」


 アイシャの戸惑いの声は他の三人の気持ちを代弁したものであるのは間違いない。相互不可侵条約が禍根というのは明らかに言い過ぎであるように思えたのだ。


「ああ、間違いなく禍根となる。普通に考えて相互不可侵条約を結んだ国が条約を破って侵攻してきた場合、ほとんどのものが『まさか』と思うだろう?」

「は、はい」

「侵攻の予兆を我々が掴み上奏したところで、それは『考え過ぎだ』という意見が出るのは容易に想像できる」

「確かに……」

「それだけ対処の時間が削られることを考えれば非常にまずいことになりかねん」


 ジオルグの答えに四人は納得の表情を浮かべ始めた。


「お前達から見てジルヴォル=ザーベイルという男は信頼に値するか?」

「え?」

「彼は決して悪辣な人物ではない。いや、むしろ他者のために献身できる聖者の風格すらある」

「聖者ですか? それなら信頼に値するのでは?」

「それがザーベイルに属するものに対するものならばこれ以上ない信頼できる君主だろう。だがガルヴェイトにとってはそうではない」

「あっ!!」


 ジオルグの言葉にアイシャが納得した声を出した。他の三人も同様であった。


「わかったか? ジルヴォル=ザーベイルという男はザーベイル以外のものに対しては手段を選ばない。今回のフラスタル撃破はおそらく正攻法での撃破ではないことはお前達も察しているだろう?」


 ジオルグの言葉に四人は頷いた。今日開戦というのは情報で共有していたが、まさか会談が始まってすぐに勝利の報が届けられるとは思いもよらなかった。フラスタル帝国を率いていたコードランス将軍は名将であり、いくらエクトル=ザーベイルであってもこの短期間に勝利を収めることは不可能だ。


「もちろん、汚いなどと発言するつもりはない。負ければ滅亡するような状況で正攻法にこだわった挙句滅亡などそちらの方がよほど問題だからな。問題は手段を選ばないような相手に不可侵条約で制限がつけれるかということだ」

「はい」

「ジルヴォル=ザーベイルならば、むしろこれ幸いと相手の油断・・のために不可侵条約を利用する。不可侵条約を結ぶことは相手にとっては策略の道具、こちらにとっては足枷ということにしかならない」


 ジオルグの言葉に四人は納得の表情を浮かべた。ジオルグの意見はジルヴォル=ザーベイルという人物を理解していることの裏付けである。ジオルグがギルドルク王国動乱の気配を察してからザーベイル家の情報を執拗に集め始めたことがここで活きたと言えるだろう。


「しかし……」


 ここでジオルグが発した言葉には疑問の感情が含まれている事を四人は察した。


「なぜ……ジルヴォル=ザーベイルは自分から不可侵条約を結ばないと発言したのだろうな? 俺は少なくとも話題にするつもりはなかった。向こうとすれば不可侵条約を持ちかけたほうが利益はあったはず。後々に活かすことができたはずだ」


 ジオルグの疑問に四人は苦笑を浮かべる。


「なんだ? お前達にはその理由がわかっているのか?」


 ジオルグの声にまたしても四人は笑う。


「お屋形様もわからないことがあるとわかり安心しました」

「ええ、全くです」

「いや〜まさかジオルグ様がこんな簡単な事に気づかない方とは、これは我々が必要である何よりの証拠ですな」

「ロイ!! ジオルグ様に馴れ馴れしいわよ」

「なんだよ。アイシャだってジオルグ様が気づかなくてよかったと思ってるだろ?」

「そ、それは……そうだけど」


 四人は楽しそうに笑いながら言う。それを見てジオルグは不機嫌な表情を浮かべたが四人は答えを教えるつもりはなさそうだ。


「お屋形様には申し訳ございませんが、これを教えると我々の存在意義がなくなってしまいますのでご容赦ください」


 ライドが苦笑を浮かべつつ言うとジオルグは不機嫌な表情のまま首を傾げた。


 ジルヴォルが不可侵条約を結ばない事を切り出した理由は、ジオルグがジルヴォルを最上級に評価し、警戒したように、ジルヴォルもまたジオルグを高く評価し、警戒したからに他ならない。

 別にジオルグは自分を卑下するような性格ではないのだが、ジルヴォルを高く評価するジオルグにしてみれば、相手が自分を警戒しているとは思えなかったのである。


(ひょっとしたら相手の方もジオルグ様があっさりと引いたことに対して疑問に思っていたりするのかもしれないな)


 四人のそう考えると相手の部下の方達と意見を交わしたい気持ちになると愉快そうな表情を浮かべた。


「全く……なんなんだ?」


 ジオルグは憮然とした表情で不機嫌な声を吐き出した。

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