第66話 最凶と最凶 〜第三次フランギスク会戦(裏②)〜

 フラスタル軍には伝統がある。


 出陣前に士官・・達のみならず兵達にもフラスタルの伝統料理であるリュペンドルノが振る舞われるのである。リュペンドルノとは羊の香草焼きでフラスタル軍は敵軍を羊に見立てそれを食することで必勝を祈願するのである。


 フラスタル軍は開戦の日の朝にそのリュペンドルノがふるまわれる。それは兵達にこれから命をかけた戦いに臨む気構えを持たせるのに非常に効率的な方法であった。


 ジルヴォルは当然ながらそのフラスタル軍の慣習を知っている。


 ジルヴォルはこのことに目をつけてフラスタル軍にを盛ることを目論んだのである。


 もちろん、間者を料理人のなかに紛れ込ませるというのが分かりやすい方法ではあるのだが、薬を入れているところを誰かに見られては計画自体がおぼつかなくなる。


 そこでジルヴォルが目をつけたのは給水係である。それも、士官や兵員に水を注ぐ係ではない。料理人が料理に使う包丁を洗う水・・・・・睡眠薬・・・を混ぜたものを各料理人に渡したのである。


 リュペンドルノは焼き上がりを料理人が包丁でカットしてから振る舞われる。最初は切れ味が鋭くてもそのうちに脂により切れ味が落ちるので料理人達は手桶を脇に置いて切れ味が落ちると手桶の水につけ油を落とすのである。


 膨大な数の羊のステーキをカットするために料理人達は水のついた包丁を拭く手間すら惜しんでステーキをカットしていく。そして、包丁についた睡眠薬はカットによりリュペンドルノへと付着して将兵達の口に入っていくことになるのである。


 ジルヴォルの恐ろしいところは致死性の高い毒ではなく、睡眠薬を盛るところである。

 ジルヴォルにしてみれば、フラスタル軍が実力を発揮しないようにすれば良いのであり、それは命をこの段階・・・・で奪わなくとも良いのである。

 それに毒を盛り、命を数人の奪ったところで全体の戦況にはほとんど影響はない。総司令官や幕僚などの高級士官に対しては例外なく毒見役がつく。その毒見役を殺したところで大した意味もないのである。


 しかし、睡眠薬ならばどうか?


 睡眠薬ならば実際に毒見役のチェックをくぐり抜けられることもできた。実際にジルヴォルは自分の毒見役使って、自分に睡眠薬を盛れるかを実証してきたのである。


 経口して二時間ほどで効果が現れる睡眠薬をジルヴォルは研究しフラスタル軍に、睡眠薬入りのリュペンドルノを食させることに成功したのである。


 ただし、全員の口に入ることはないこともジルヴォルは知っていた。


 だが、軍隊というのは統一された意思により作戦行動がなされることが重要であり、睡眠薬を盛られた者とそうでない者が命令遂行能力に大きな差が出ればそれだけでフラスタル軍は大いに弱体化する。


 弱体化したフラスタル軍を精強なザーベイル軍が撃破することは十分に可能であることをジルヴォルは確信していたのである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「閣下、ザーベイル軍の陣形が整いつつあります」


 幕僚の一人がフラスタル軍総司令であるコードランスに報告を行った。


 コードランスは四十一歳、堂々たる体躯を持つ偉丈夫であり、頬に一筋の刀痕が入っており、彼の戦歴の激しさを物語っている。


「さすがはエクトル=ザーベイルだな。一部の隙もない見事な用兵だ」


 コードランスの言葉に幕僚達も同様の感想を持ったようであり、一様に頷いた。


「総員、今日の戦いは激しいものとなるであろう。ザーベイルは我が軍の半数とはいえ、指揮官はエクトル=ザーベイル、それに負ければ滅亡を意味する以上、死に物狂いでくる」


 コードランスは力を込めて言い放つと幕僚達も力を込めた再び頷く。


(ん?)


 コードランスはこの時、自身の状況に少しばかり違和感を持った。


 そう、僅かな眠気を感じたのである。幕僚達を見ると何人かが欠伸をしそうな表情を浮かべていた。


(なんだ?)


 コードランスは違和感と共に言いようもない不安を感じた。


「こちらの陣形はあとどれほどで整う?」


 コードランスの問いかけに幕僚達は自軍へ向ける。


「なんだ? 妙に遅いぞ?」

「ああ、確かに妙だ」

「何をしているんだ」


 幕僚達が自軍の陣形が整うのが妙に遅いことに対して苛立ちの声を上げる。しかし、本来であれば幕僚達が苛立つところなのにそうでもない者達がいることにコードランスは気づいた。


「レゴード、どうした?」

「え? あ、はい。も、申し訳ございません」


 コードランスに名指しされた幕僚は慌てて立ち上がった。


「謝罪は良い。それよりもどうしたかを聞いている」

「は、誠に恥ずかしきことですが……先ほどから妙に眠いのです」

「眠い?」

「はい。昨夜はきちんと睡眠を取りましたし、体調も悪くなかったはずなのですが、妙に眠いのです」

「それはどれくらい前からだ?」

「はい……大体十分ほど前からです」


 レゴードの返答にコードランスはゾクリとした感覚を覚えた。自分が眠気を感じ始めたのも大体その前後であったからである。


(ま、まさか……何か盛られた? だが毒見達は何も……)


 コードランスは自分の、いやフラスタル軍に何かが起こっていることに恐怖を覚えた。


「閣下?」

「ウィディス、お前はなんともないのか?」

「は? レゴードのように眠くないかということですか? はい、私は別に眠気など感じておりません」

「そうか……盛られている者とそうでない者がいるというわけか」

「盛られる?」


 コードランスの『盛られる』という不穏な言葉に幕僚達は顔を見合わせた。


「みな、聞け……我らは何かしらの薬物を盛られた」

「や、薬物を!?」

「どうやって!?」


 コードランスの言葉に幕僚達は明らかに動揺を示した。これから開戦という時に、薬物を盛られた状態で勝利することができるわけがない。


「我が軍の動きがいつもより鈍いのは……まずい!!」


 幕僚達が自軍の動きがいつもより遥かに鈍いことの理由に思い至った。薬を盛られた者とそうでない者の足を引っ張っているのだ。


「総司令閣下!! 大変です!!」


 そこに一人の士官が慌ててコードランス達の元に駆け込んできた。


「何事だ!!」


 幕僚の一人が冷静さを欠いた声を士官に叩きつける。その剣幕に士官は少し顔を青くしたが、そのまま跪いた。


「はっ!! ルクルト殿下が何者かによって殺されたとのことにございます!!」

「なんだと!?」

「近習の者達が実行犯を切り伏せたとのことですがルクルト殿下の傷は深く……そのまま亡くなられたと」


 士官の報告にコードランスを始め幕僚達は声を出すことができなかった。ルクルトはフラスタル帝国の大義名分である。その大義名分が失われた以上、ザーベイル信仰は侵略行為となってしまったのである。


「く……ルクルトめ。最後まで役に立たぬガキめが!!」


 コードランスの口からルクルトへの呪詛の言葉が発せられた。しかし、その激昂もほんの一瞬であった。


 コードランスはグラリと体を揺らすとそのまま座り込んだ。


(ま、まずい……この眠気に抗えん)


 コードランスは一気に襲ってきた眠気に敗北・・を悟った。


「閣下!!」

「お、おいレゴード!!」

「フィラン!!」


 コードランスが座り込んだところに何人かの幕僚達が意識を失って倒れ込んだ。倒れ込んだ幕僚達から寝息やイビキが発せられ始めた。


 その時である……


 ザーベイル軍から咆哮が発せられ、濁流のように押し寄せるのがコードランスの目に入る。


「迎撃せよ……」


 コードランスの命令を受けた幕僚達が各指揮官へ伝達を始める。だが、現在のフラスタル軍にはザーベイル軍の突撃を受け止めることはできなかった。


 睡眠薬を盛られていない者達は十分に防ぐ能力があったが、盛られた者達はそうではない。薬を盛られた者達から突き崩されザーベイル軍が総崩れになるのにそう時間は掛からなかった。


 第三次フランギスク会戦はわずか三時間で決着がつき、容赦ない残敵掃討が行われ、生きてフラスタル帝国に戻ることができたのは遠征軍の半分にも満たなかった。


 未帰還者、戦死者の中には総司令コードランス将軍以下幕僚や士官達の多くが名を連ねることになった。

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