第31話 レオンとフィオナの不幸せな新婚生活

「レオン……お前も処分しておくか」


 ジオルグの言葉にレオンは完全に思考が止まってしまう。いや、正確に言えば恐怖の感情が心の中を埋め尽くすことで他のことを考えることができないのだ。


「なぁ? どんな気分だ? 見下していた私に父と母を殺された気分は?そして生殺与奪を私に握られている気分は?」

「ヒィ!! お許しください!! お許しください!!」


 レオンはジオルグに哀願する。地面に頭を擦り付けひたすらジオルグの慈悲を乞う姿は惨めなどという言葉では足りないだろう。しかし、レオンにとって惨めという感情など湧いてこない。ただひたすらジオルグが恐ろしくたまらないのだ。この恐怖から逃れられるのならば地面に頭を擦り付けることなどなんでもない。


「ふ、哀れだな。父と母を殺した憎い男に命乞いをする……お前程惨めな生物を見たことがないな」


 あからさまな侮蔑であるがレオンとすれば体の震えを止めることができない。天災にあった時、人が取ることができる手段などただただ自分の無事を祈ることくらいしかない。


「ガーゼル、アルマダ、お前たちの息子はどこまでも腰抜けだな。お前達を殺した憎い憎い仇を前にしてただ震えるだけだ。さすがはクズ共の息子だな」


 ジオルグが言い終わると同時にジオルグの気配とは別の二つの気配を感じた。


(え? なんだ? 誰だ?)


 恐怖の感情の隙間から突然の疑問がレオンの心に発した。恐る恐る顔を上げるとジオルグの両隣に二つの人物の両足が見えた。


「レオン、顔を上げろ」


 ジオルグの言葉にレオンは即座に顔を上げる。もはや、ジオルグの言葉に反抗するだけの気力はない。というよりも逆らうなどという選択肢は完全に頭から消えているのだ。


「ヒィ!!」


 顔を上げたレオンの目に飛び込んできたのは、死んだはず・・・・・の父ガーゼルと母アルマダであった。

 二人の目は虚で口元には乾いた血がこびりつき、腹部からは大量の血の跡があった。


「父上!! 母上!! ヒィィィィ!!」


 レオンは二人の姿をみると頭を抱えた。


「レオン、どうして助けてくれなかったのだ」

「レオン、あなたはどうして私たちを助けてくれなかったの?」


 ガーゼルとアルマダの声はレオンへの憎悪に満ちている。底冷えするほどの冷たい声にレオンはまたしても恐怖に身を震わせた。頭を抱え込んでひたすら慈悲を乞うしかできないでいる


「レオン、顔を上げろ」


 そこにジオルグの無慈悲な声が発せられた。レオンにとってジオルグの命令に逆らうことなどできない。

 レオンが顔を上げるとガーゼルとアルマダと目が合う。


「質問に答えてやれよ」


 ジオルグが無慈悲な命令を下した。


「ヒィ!! ゆ、許してください!! 父上、母上!! 俺はジオルグ様に逆らえない!!ジオルグ様に逆らえば父上、母上のように殺される!! あんな死に方はごめんだ!!」

「お前はぁぁぁぁ!!」

「なんて子なのォォォォぉ!!」


 レオンの返答を聞いた瞬間にガーゼルとアルマダはレオンに飛びかかった。


「ヒィぃぃ!! た、助けてぇぇ!!」


 ガーゼルとアルマダはレオンを掴むとものすごい力で組み伏せた。レオンは力の限り抵抗しようとするがなぜか力が入らずにガーゼルとアルマダのなすがままになっていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 振り解けないレオンは力の限り叫んだ。しかし、まったくガーゼルもアルマダも止める気配は一切なかった。むしろ虚ろな眼でレオンをみるためにその恐怖は増すばかりであった。


 その瞬間に大きく揺さぶられたのを感じた。ガーゼルとアルマダに組み伏せられた力とは全く別の力であることをレオンは理屈抜きに感じたのだ。


「うわぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁあ!!」


 レオンは叫び声を上げる。


 するとそこは自分の寝室であった。


「はぁ……はぁ……」


 周囲を見渡すとフィオナのうんざりしたような表情が見えた。


「夢か……」


 レオンは自分の状況を把握すると安堵の息を吐き出した。


「もう!!毎晩!!毎晩!!いいかげんにしてよ!!」


 そこにであるフィオナの責める甲高い声がレオンの耳を突き刺した。その声はうなされるレオンの心配をしたのではなく、単にレオンのうなされる声がうるさくて眠れないという感じであった。  その事に気づいているレオンにとってフィオナのうんざりする顔は不愉快極まるモノであった。


 ジオルグの命令通り、レオンとフィオナはガーゼルとアルマダの処刑後に結婚させられた・・・・・。ジオルグが侯爵として舐められないようにするための処置であることは二人にも解っているのだが、ジオルグに逆らうことなどできない二人は渋々と結婚したが、その新婚生活は甘いものとはほど遠いものであった。


 元伯爵令嬢であるフィオナは現在セレンス家から除籍され、身分は平民、レオンもザーフィング家から放逐されているので平民である。いわば平民同士の結婚ではあるが、二人ともつい最近まで貴族として暮らしてきたため、貴族としての意識が完全に抜けきっていない。そのために意識と現実の落差に常にストレスに苛まされている。


 そのような状況であれば当然ながら夫婦として上手くやっていけるわけがない。自然と諍いの絶えない夫婦関係となるのは当然であった。しかし、離婚は絶対に許さないというジオルグの命令に二人は逆らうことは出来ないため、ストレスだけがお互いに抱えているという状況であった。


「あんたの両親のせいで私の人生がおかしくなったのよ!!」

「何だと!! お前もジオルグを裏切って俺に靡いたじゃないか!!」

「うるさいわね!! 何もかもあんたのせいよ!!」

「何だとお前のような淫売をもらってやったんだ有り難く思え!!」


 フィオナの言葉にレオンも即座に言い返すと深夜にも関わらず一気に夫婦喧嘩は激しいものへとなっていく。互いに醜く顔を歪め罵る様は他者の目に晒されるものではないことがせめてもの情けというものだろう。


「もう嫌!! なんでこんな目に私があわなければならないのよ!!」

「それはこっちのセリフだ!!」


 一通り互いに罵りあった後に互いにそっぽを向いた。


 初めて喧嘩したときにレオンは家を飛び出したのだが、十歩も進む間もなく三人の男に組み伏せられると家に連れ戻された。三人の男達はレオンとフィオナに静かに「次は殺す」と告げた。

 このことで自分達は未だにジオルグに監視されているという事を思い知らされたのである。それ以降、レオンもフィオナもどんなに喧嘩しても家を飛び出すということは出来なくなったのだ。あれほど残虐に実の父とその妻を処刑したのだ。その息子であるレオンに対して容赦をするなど考えられなかったのだ。


 ただ、これはレオンもフィオナも自分達の価値を高く見積もりすぎであり、ジオルグのあずかり知らぬことであり、部下達の独断であったのだ。しかも、ジオルグへの恐怖に支配されていることを察した部下達も現在はすでに監視を解いているのである。


 レオンもフィオナもその事は当然ながら知らない。知らないがジオルグへの恐れが二人の精神を縛っている。


 そして、そのために二人にとって決して家庭は安らげる場所でないし、決して逃れられないという思いは彼らにとってストレスの場でしかない。


 毎晩の悪夢、最悪の夫婦仲、そして自分達が常に見張られているという不快感、そしていつジオルグの気が変わり自分達を処分するかも知れないという圧倒的な恐怖ともはや二人には将来に何ら希望を見いだせなくなっているのである。


 レオンとフィオナには温いが終わりのない地獄が続いているのであった。

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