第19話 侯爵は次期伯爵を手に入れる
私の言葉にエイスはぐっと気合いを込めた表情をつくる。
「セレンス伯爵家はレーンゲイク鉱山を産業の柱としております。その鉱山を譲渡した今、一見大幅に価値を失ったと思われます」
「私はそう思わぬがな」
「そうですか?」
私の返答にエイスはまたも虚をつかれたようであった。確かに短期的な視野しか持たぬ者はセレンス伯爵家に魅力を感じないだろう。
だが、セレンス伯爵家は長く現在の領地を統治してきた実績がある。仕える者達も領地経営に欠かせない者達だ。特に鉱山経営、それに関連する産業に携わる者達は変わりの人材を探すのに一苦労するし、育成には数年単位で時間がかかるのだ。
「セレンス伯爵家の持っている財産は人だ。それも鉱山の関連産業の人材は非常に有為な人材と思っている」
「その通りです」
「エイス殿、鉱山などそれを活かす技術者がいなければただの山にしか過ぎない。我がザーフィング領には鉱山はない。素人が玄人と同程度の技術を身につけるには長い年月がかかる。私としてはセレンス家に仕えている者達が現時点で最も価値ある財産だ」
エイスは私の言葉にゴクリと喉を鳴らしたのが見えた。おそらくエイスが用意していたセレンス伯爵家の利点であり、それを先に言われた事で言葉が出てこないのだろう。
「私とすれば、鉱山から産出される鉱物など売ってしまえばそこまでだが、それを生み出す人材の方がよほど有益なのだよ」
「……」
「エイス殿、卿が私の元に訪れた本当の目的を当ててやろうか?」
私の言葉にエイス殿はぎくりとした顔を浮かべた。それは一瞬であったが私はそれを見逃さない。
「本当の目的……ですと?」
「ああ、卿の本当の目的はセレンス伯爵家に仕える者達の今後の保護のことだろう?」
「……」
「沈黙は肯定ととるよ」
私の言葉にエイスは口を開く。
「ザーフィング侯の言われるとおり、私の目的はセレンス伯爵家に仕えている者達の安全です」
「そんな……」
エイスの答えに後ろに控えている執事が愕然とした表情を浮かべ、私の視線を受けると恐縮したように一礼した。
「エイス殿、卿の目的では卿と家族は入っていないようだが?」
「もちろん、入っていますが優先順位の問題です」
「なるほどな……まずは家臣というわけか」
「はい」
エイスの即答に私は目を閉じる。正直な話、現段階でセレンス伯爵家を潰すつもりはない。フィオナとレオンを結婚させるのは、セレンス家を潰すためというよりも私が甘い対応をする人間だと侮られないようにするための処置だ。
私とすればそれだけの事であり、侮られなければ別に問題はないのだ。そもそもフィオナに対して恋慕の情を持っているわけではない以上、レオンと恋仲になろうが大した問題ではないのだ。
「そうか。私としてもセレンス伯爵家に仕える者達に不幸になって欲しいわけではない」
「それでは」
私の言葉にエイスは明らかに安堵の表情を浮かべた。エイスの安堵の表情とは対照的にルガードの表情は暗い。
その様子を見て、エイスを切り捨てる事は得策でないことを私は確信した。もし、ここでエイスを切り捨てるような決定をすればセレンス伯爵家の家臣達の掌握は限りなく困難になるな。
私は少々高くなってもエイスを手に入れることにした。むしろ、私がこれから提示する条件ならば私が損することは決してない。
「エイス殿、私とすればセレンス伯爵家の家臣に不幸になって欲しいわけではないことは先ほど告げたとおりだ。そのためには卿がザーフィング……いや、私の傘下に入る必要がある」
「……」
「そう困惑しないで欲しいものだ。私としては卿を取り込むだけでセレンス伯爵家の家臣達を掌握することができる。それは切り捨てるよりも遙かにこちらの労力が少ない」
「それには条件があるのでしょう?」
「さすがにその辺りは見通しているか。エイス殿、卿の提示した条件は当主の意向ではなく独自の考えに動いているだろう?」
「……はい」
「レーンゲイク鉱山の譲渡など現伯爵が思いつくはずはない。失礼だが伯爵は溺れているのに宝を捨てられずに一緒に沈む男だ。ならばエイス殿の独断であることなど容易に想像できるというものだ」
「……」
「残念だがセレンス伯爵は自身の置かれている立場が理解出来ていないようだ。そのような方とは志を同じくすることはできないな」
私の言葉にエイスは小さく頷いた。私の言葉の意図するところはセレンス伯爵を排除せよということであり、エイスはその意図をきちんと察しているようだ。
「どちらの職人を必要と思いますか?」
エイスの言葉に緊張が含まれている。エイスの問いに私は即座に答える。
「私は
「ご厚情感謝いたします」
エイスは立ち上がり一礼する。ここでいう籠は“監禁”を意味する。柩ならば“死”であったわけだ。エイスとすれば死を条件に出される事の可能性が高いと思っていたので、それだけもほっとしたのだ。
さすがに父を殺すのは心理的ハードルが高いのだろう。私は出来るが、そうでない人がほとんどであり、出来ないからと言って見下すつもりは一切ない。
「ザーフィング侯、妹は……?」
「除籍せよ」
「除籍……寛大な処置をいただきありがとうございます」
除籍とはセレンス伯爵家の戸籍から完全に抹消することだ。極端な話、セレンス伯爵家に
逆に言えばこれ以上私からフィオナを使ってセレンス伯爵家に干渉することはないという意思表示でもあり、それはフィオナへ危害を加えるつもりもないという意味も含んでいる。
「だが、当然だが卿はこの処置を寛大ととったが、そうは取らぬ者もいるかもしれない。もし、そのような態度を取る者がいれば、私は断固たる態度をとるつもりだ。この意味はわかってくれると信じてるよ」
「もちろんです。しかし、その場合は私が柩を用意します」
エイスは力強く答える。それはエイスが手を汚すことの覚悟を示している。
「そうか……すまなかった。エイス殿の覚悟を見誤っていたな」
「いえ……」
「エイス殿、そこまでの覚悟あるのならばレーンゲイク鉱山の譲渡の件は白紙に戻そう」
「……願ってもないこと。改めてご厚情に感謝いたします」
「卿の忠誠を買ったと思えば安いものだ」
「ありがとうございます」
「さて、卿の手腕を確かめてさせてもらおう。期間は一月だ」
「一月も必要ありません。一週間で結構です」
エイスの声には確固たる決意がある。あの凡庸な伯爵夫妻、妹を無力化するのに一月もかければ、自分の価値を下げることになるという考えからであろう。
「そうか、それでは卿がセレンス伯爵となった時にこの契約は効力を発揮することを約束しよう。それでこの件は終わりだ」
「寛大な処置をいただき感謝の言葉もございません」
エイスは最後に再び私に一礼すると退出していった。
エイス達を見送り側に控えていたアイシャが何か言いたそうな顔を浮かべている。
「どうした? 私の決定に何か疑問があるか?」
「は、はい」
アイシャはやや戸惑いながらも肯定した。
「構わない、言ってみろ」
「は、はい。どうしてレーンゲイク鉱山をセレンス家に返還したのですか? あれだけの鉱山です。ジオルグ様にとって大きな利益となると思うのですが……」
「簡単なことだ。レーンゲイク鉱山を返還することでエイス殿を縛ることができる」
「はぁ……縛るですか?」
「ああ、レーンゲイク鉱山を返還したがエルデ村はそのままザーフィング家のもののままだ。エイス殿はその意味をきちんと認識しているはずだ」
「もし、逆らえば容赦はしないという意思表示ですか?」
「まぁ、そういうことだ。彼は私の意図をきちんと把握しているから、決して私と事を構えるようなことはしない。セレンス伯爵家の家中の者が路頭に迷うような事はしないと私は見た。そういうことだ」
「なるほど……」
アイシャは納得したように頷いた。実のところエイスがザーフィング侯爵家に逆らうことは絶対にないと断言できる。その位置的な理由からザーフィング領を経由しないかぎり、セレンス伯爵領は流通が成り立たないからだ。
むしろ現伯爵夫妻、フィオナが例外的な愚かさだといえるだろう。
「今回の婚約解消は結果的にセレンス伯爵家……エイス殿を傘下におさめることができたのが一番の収穫だな」
私はそう言って小さく笑う。元々、エイスの評価は高かったが、今回の交渉でそれが間違っていないことを確信できた。
「さて、そうなると……一つお節介をしておくか」
「は?」
「クレトマイス伯爵家に手紙を書く」
「クレトマイス家ですか?」
「エイス殿と令嬢のミュゼス嬢は婚約していたな」
「はい、確かにそうでした」
「ザーフィング家との確執は解消された。何の心配もいらないとな」
「エイス様は婚約解消を?」
「おそらくはそうだろう。今日の交渉まではセレンス伯爵家を終わらせるつもりだったのだから、エイス殿とすれば婚約者を巻き込むような事はしたくなかっただろう」
アイシャは私の言葉を受けて一礼すると手紙の準備を始めた。
私はそれを見て小さく
彼が敵対する可能性は限りなく低いが将来はわからない。そのための一手はきちんと打っておくべきだろう。
(俺はやはり人でなしだな……それとも甘いのかな)
私は自嘲気味に心の中で呟いた。
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