第1章 冒険の始まり

アストレア神殿に訪れた大魔導士

 魔王軍との決戦から長い時が流れた。荘厳なパイプオルガンの音色が流れるアストレア大神殿、開け放たれた大扉から入ってきたのは『黎明の大魔導士』の二つ名を持つ歴戦の勇士シリウスだ。しかし、その手には数多の魔法を操った杖は持っておらず、服装も魔力が込められた糸で紡がれた法衣ではなく、簡素な普段着であった。その足取りは何の迷いもなく、まっすぐと大天秤の前に座す大神官へ向かっていた。


「ここは転職を司るアストレア大神殿。迷える子羊よ、汝新たな人生を・・・」

 大神官は目の前に現れたシリウスに対して、驚きで次の言葉が出なくなっていた。

「どうかされましたか、大神官殿?決まり文句の続きを。」

「あ、あなたは黎明の大魔導士シリウス様ではございませんか!一体このような場所に何の御用ですか⁉」


 かすかに青みがかった銀髪の長髪で、目じりに小じわの一つもないシリウスに対し、禿げ上がった頭に真っ白い髭をこさえた大神官がかしこまった態度を取っている姿は、その年齢差から考えると違和感があるものだろう。このやり取りだけでもシリウスがいかに高位の役職についているかがわかる。


「ここに来るのに転職以外の用がございますかな。残念ながら平日の昼間に貴殿とお茶を飲もうというほど私は奇特な人間でありませんよ。賢者となるために遠路はるばる来たというわけです。」

「転職ですと⁉プラチナクラスでいらっしゃるシリウス様がなぜ?」


 大神官は驚きのあまり、高い声を上げた。だが、彼がこうなってしまうのも無理はない。その理由については、この世界には冒険者たちを縛り付ける法律について知ることが必要だ。


 人間界は天界と魔界の狭間にあり、常に異世界からの脅威にさらされていた。特に魔界からの干渉は激しく、人間界へ通じる次元の穴からモンスターが現れては人々を苦しめた。それに対抗するため人間は剣をとり、魔法を学んだ。天界は魔界ほど人間界に積極的に接触を持たなかったが、神々の武器である神具を送るなど陰になり日向になり人々を助けた。もちろんそれは人間界のパワーバランスが崩れることによる天界への悪影響を避けるためのものであり、純粋に人間を助けようという意思からではなかった。


 人間界が危険な状態ではありながらも異世界から支配されていない理由の一つに、高位の悪魔や邪神、天使や神々の肉体は次元の穴を通ることが出来ず、人間界で実体化できないことによる。代わりに高位の存在はその霊体を人間界に送り、人間に契約を持ちかけて、その肉体に憑依した。悪魔、邪心と契約したものを魔人と呼ばれ、天使や神々と契約した者は聖人と呼ばれた。特に魔界からの訪問者は多く、言葉巧みに迫る悪魔に誘惑され、魔人となる者は後を絶たなかった。魔人は人間と敵対する存在となり、町や村を滅ぼし、その地を支配した者は魔王と呼ばれた。だが、人間も指をくわえて黙っているわけではなかった。聖人を旗頭として魔王に戦いを挑んだのである。いくつもの戦争が起き、いくつもの命が失われた。


 数々の手痛い教訓をもとに、人々の力を結集して魔人災害を防止するために人間はある法律を施行した。


 その法の名は「冒険会社法」である。冒険会社法により、個人として活動していた冒険者たちは会社により一元管理されるようになった。これによって魔人討伐・都市奪還が組織的に行われることとなる。個々では弱い人間でも、力を結集することで魔人に対抗することが出来た。さらに冒険者たちは様々な方向から管理統制され、力を持ち過ぎないよう武器やアイテムを制限された。過度な力を求め続ける先には魔人化が待っているからだ。


 また、金と言う欲望に飲み込まれた者の行き着くところも決まっていることから、流通する貨幣は政府の造幣所で作られたものに限られ、冒険者として収入を得るのは会社からの与えられるクエスト報酬のみとなり、モンスターが落とすゴールドは使用を禁止された。施行当初こそ反発を受けたものの、自由の引き換えにだが、安定した生活と平和を実感できるようになり、次第に受け入れられていった。初めは大陸の一部でのみ採用された法律だが、次第に世界中に同様の法律が生まれていったのである。


 やがてほとんどの冒険者たちは会社に所属し、そうでない者は魔人候補に認定され監視の対象となり、場合によっては粛清されていった。力なき民衆から支持を得た会社の規模は急速に拡大し、社屋は城となり、その城壁の中に町が生まれ、都市そのものとなった。物語の舞台となるエウロペ大陸にも十年余りで多くの企業都市が生まれた。


 この日、職業を司るアストレア大神殿に訪れた大魔導士シリウス、冒険会社法が施行されるずっと前から戦いに身を投じ続けた古強者、エウロペ大陸でも有数の大会社であるオーティアに所属する冒険者。なぜ彼は転職を選んだのか。自由を失った冒険した日々に何を見るのか。その不敵な笑みの下に隠れた真意を知る者はまだ誰もいない。

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