25 インフォメーションセンター前集合

 相澤が中庭で放送を認識したのと、スマホが通知で震えたのはほぼ同時だった。メッセージの送り主を確認し、眉をひそめる。送ってきたのは、たった今校内放送用のスピーカーから声を発している、ことりだった。

反射的にスピーカーを見上げ、一言一句も聞き漏らさないよう耳を澄ませる。真面目なアナ研部員であることりは、普通であれば決してスマホを触りながら放送を流したりしない。いつもと違わず涼しげな声を発してはいるが、いったい向こうで、ことりは何と対峙させられているのだろう。


  弓削若葉様。弓削若葉様。

  お連れ様がお待ちです。

 校舎西側のインフォメーションセンターまでお越しください。


 放送で呼び出されているのは、まさかの若葉だった。若葉をわざわざ放送で呼び出すとすれば、彼女の連絡先を知らない人間ということになるだろう。スマホを持っている人間がわざわざ放送を使うはずがない。同じことを若葉だって考えるはずだ。

 じゃあ彼女がきちんと怪しんで指定の場所まで行かないかと言われたら、それは相澤にもわからなかった。なにしろ彼女は好奇心の塊なので。

 手元のメッセージに目を落とす。「相澤くん。若葉ちゃんが危ないよ。」という短いメッセージ。若葉が? と急激な焦燥を覚えつつ、相澤の思考は惑う。放送を流しながらメッセージを打たねばならないことりこそ、危ないのではないだろうか。

 中庭は広く、向こうにインフォメーションセンターがかすかに見える。一方でことりをひとり置いてきた放送室がある中央校舎は、相澤の立っている地点から割かし近いと言えた。

 迷っている時間はそんなになかった。相澤はスピーカーから顔を下ろし、ぎっと中央校舎を睨む。鬼が出てくるか蛇が出てくるかまったくわからないが、そんなところにことりがひとりでいる図のほうがずっと恐ろしい。

 先ほどくぐり抜けた中央校舎の入り口を再度くぐり、放送室がある五階までの階段を駆け上っていく。幸いにも校舎内は人でごった返しているわけではなかったため、遮る者のいない階段で足を上へ上へと運んでいく。

 と、その途中でスマホが震えた。一回きりでなく、継続的な振動。これは電話だ。相澤は階段ダッシュのスピードを緩める。

「相澤くん?」

 先ほどスピーカーから流れてきたのと同じ声――ことりだ。無事だったらしい。

「佐藤先輩、大丈夫ですか!?」

 息を切らしながら、思わず声量強めに言葉を返す。ことりはやや気圧されながら「大丈夫だよ」と応えた。

「相澤くん、インフォメーションセンターは?」

「すみません、先輩の置かれた状況が読めなくて、中央校舎に戻ってきてしまって――」

「えー!」

 お手本のような吃驚が電話口から飛び出してきたが、やや間を置いて冷静な声が指示を出す。

「……私は大丈夫だから、できるだけ早くインフォメーションセンターに向かってほしいの。なんか怪しい人が、若葉ちゃんを呼び出したんだ」

「怪しい人?」

「さっき出ていったばかりだから、まだその辺りにいるかも。学生っぽかったけど、なんかちょっとげっそりした男の人で――」

 不審者の特徴を聞き逃さないよう立ち止まった相澤の横を、大きな影が通り過ぎる。ばたばたと足音を鳴らしながら階段を駆け下りていくのは、見知らぬ学生風情の男だった。

「サイズが合ってない白いジャケットを着てて、髪はちょっとブリーチに失敗した感じの斑で……相澤くん聞いてる?」

「ぱっさぱさの髪に白いデニムのジャケットでしたか?」

「そうそう、デニムだった……あれ?」

 返事は寄越さず、同じく階段を駆け下りていく。

「そこ!」

 二段飛ばしで階段を駆け下りながら吠えると、男がちらりとこちらを振り返った。ややぎょっとした顔で相澤を見やると、構わず階段を駆け下り続けた。

 何もやましいところがないならば、立ち止まるはずだろうが。相澤は唸り声を上げる。

「てめぇ……!」

 ばたばたと運動神経の悪そうな走り方の割に、男は思いの外すばしっこかった。途中で相澤が階段の真ん中の手すりを乗り越えてショートカットをしたが男にはぎりぎり手が届かず、代わりに見知らぬ来場者をびっくりさせてしまった。

「申し訳ない……!」

 足を止めないまま手を合わせて謝罪し(親子連れの迷惑そうな顔が心に来た)、引き続き男の姿を追う。白い後ろ姿は人波に紛れても目立ち、中庭でも見失うことがない。

 先ほど見過ごしたインフォメーションセンターに男が向かっていくのが見え、そのさらに向こうに見慣れた姿を捉える。

 若葉だ。やはりノコノコと来ていた。好奇心の塊人間め。

 男は迷いなく若葉に駆け寄っていた。「うあああああぁ」という猛々しい咆哮が後ろの相澤にも聞こえてくる。周囲の来場者がその声にドン引きしながら反射的に道を空ける。そりゃ、空けざるを得ないだろう。怖いのだから。でも、とお門違いの望みを相澤は願ってしまう。

 誰かひとりでも、若葉の前に――


 ばき、という音がインフォメーションセンター前に響いたのはその瞬間だった。急ブレーキを踏んだように立ち止まり、相澤は目の前の光景に息を呑んだ。

 腕を組みながら、相澤と同じような顔で驚いている若葉。地面で伸びている、白ジャケットの男。そのあいだに、盾のように立ちはだかっていたのは、

「……」

 ものすごくがたいのいい、まったく知らない男だった。否、まったく知らないは嘘だ。大柄なその姿は学祭期間でなくてもよく目立つので覚えている。確か、プロレス大会にエントリーしていた奴ではないだろうか。

 なぜ、そんな奴が若葉を助けたのだろう。

「相澤さん!」

 横から知った声が自分を呼び、相澤ははっとしながら振り向く。放送を聞きつけてきたのか、陽と塩崎が息を切らしながら駆け寄ってくる。

「なんだ、ドンパチする必要もなかったわけか」

 塩崎が場を見下ろして拍子抜けしたように呟く。陽は相澤と同じく、混乱しているようだった。

「相澤さん、この状況は……?」

「……」

 とりあえず、答えを求めてプロレス男に視線を向けてみる。

 ライオンのたてがみのような髪型をしたその男は、自分が今しがた殴り倒した男をじっと見つめていた。

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スリーデイズ・フリーキー・フェスタ 工藤 みやび @kudoh-miyabi

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