24 S•O•S

 目隠しを引き剥がすと、そこは中央校舎前の見慣れた風景だった。

「いちいち目隠ししなきゃいけないのもまどろっこしいな。客はみんな着けていくのか?」

 塩崎が不可解そうに尋ねるが、もうそこには質問に答えるべき黒子たちはいなかった。陽たちをここまで連れてくるだけ連れてきて、ミリ研に帰ったのだろう。

「は、速い……」

「それよりだ、陽クン」

 塩崎が人差し指を顔の横辺りまで振り上げる。無駄にキリッと表情も相まって、なんだか先生のようだ。

「日下部亘とかいう男だが、ひとつ思い出したことがある」

「なんですか?」

「去年うちの屋台にクソつまらねぇケチをつけてきた輩どもに、|慎重な交渉の末に(・・・・・・・・)お帰りいただいたことがあるんだが」

 一部嘘が混ざってそうな言い方ではあったが、陽は特に突っ込まず続きを促す。

「その中にいたような気がするんだよな……」

「日下部がですか?」

「何人かいたから正確には覚えてないんだけどな」

「『究極サークル』の屋台にケチつけるってことは、ライバル店の人間ってことですか?」

「可能性は高いが、特定はできないな。何せライバル視してくる奴が多くて」

 こちらはまるでそう思っていないけど、という語尾が聞こえてきそうなほど涼しげな目元がちょっとかっこいい。

 ケチをつけてきた人間の代表で思いつくのは、もちろん土田だ。しかし、ライバルが多い以上、安易に繋げるのがいい選択肢とは言えないだろう。それでも陽は口に出してみる。可能性があることは、考えてみたい。

「土田は……」

「土田土田……土田、な」

 ここに来てようやく苦々しそうな顔を見せた塩崎に、陽は不安を覚える。懸念する理由は、だいたいわかる。

「土田の下、という可能性はある」

「そうですよね」

「土田は真夜中組の人間だって話があるのは知ってるよな?」

「……はい」

「その下だとすると、日下部も真夜中組の可能性が高いわけだ。そして弓削は、そんなヤクザな男から目をつけられているということになる」

「そうでーー」

 相槌を打とうとした瞬間、近くのスピーカーが鉄筋の音階を奏でた。放送が入ったのだ。


「お客様様のお呼び出しを申し上げます。

 弓削若葉様。弓削若葉様。

 お連れ様がお待ちです。

 校舎西側のインフォメーションセンターまでお越しください。」


 首がもげそうな勢いでスピーカーを振り仰ぐ。今、まさしく探そうとしていた人の名前が、そこから流れてきていた。

「そっか、校内放送があれば若葉さんと……!」

「アホだな陽クンは」

 塩崎が思い切り顔をしかめながらずんずんと歩み出す。目指す方向はもちろん、インフォメーションセンターだ。

「弓削の居場所がわかっちまうのは、日下部も一緒だろ」

「あ!」

「つまりこの放送を流したのは、単純に弓削に用があるやつか、弓削を探し出して助けたいけど余程アホなやつか」

 振り返った顔は珍しく真剣だった。背中に背負ったライフルがカチャリと鳴る。

「日下部本人か、だろ」



 放送室に珍しい客人が来たのは、じきに昼に差しかかろうかという頃だった。そのときことりは放送室にひとりで、相澤も既に部屋を後にしていた。

「人を、」

 無遠慮に扉を開け放ってきた男は、挨拶もなくことりにそう告げた。ことりは振り返った姿勢のまま静かに面喰らう。

「呼び出してほしい」

「……」

 あ、これ面倒くさいやつだな。ことりはにこりと微笑んでみせる。どう見ても訳あり、鬼気迫った空気感、なぜか息切れ。絶対に面倒くさい。大体いまどき、人なんてスマホで呼び出せば済むだろう。(スマホも持っていない子どもを呼び出しそうには見えなかった。)

「迷子のお知らせですか?」

「迷子じゃない、が、人を呼び出して欲しい。弓削若葉という女だ。早くしろ」

 命令形と来たものだ。そして本当に子どもの呼び出しじゃない。

 弓削若葉。確か、相澤とよく一緒にいるーー。

「わざわざこちらまでお越しいただいて……先方との連絡手段はないのですか? もしよろしければお電話くらいならお貸ししますが」

「そういうことじゃねぇ、いいから早くしろ!」

 自らの笑みが、はっきりと引き攣るのがわかる。とりあえずここは言うことを聞いておかないと、どうなるかわからない。ことりは男の一挙手一投足から目を離さないようにしながら、手をぎゅっと組み合わせた。

 知らないうちに冷えてきた手のひらを膝の上で揉み合わせる。

「わかりました。後ほど放送を掛けますので、ひとまずこちらはお引き取り……」

「今、かけろ。今」

 がん、と近くのテーブルを蹴っ飛ばす男。いよいよ本当にまずい気がしてきた。どこか他人事のように冷静な頭とは裏腹に、喉がひくりと震える。脅迫、の二文字がさっと脳裏をよぎった。

 誰か。無意識のうちに男の後ろの扉を見やる。

 さっき出ていった相澤は既に遠い。後輩の交代の時刻まではまだかなりある。無情にも誰も開けることのない、扉。

「……わかりました」

 声がみっともなく揺れる。こんな声で、こんな人の依頼を放送するなんて、学生最後の学祭で随分な恥を晒すことになったものだ。

 マイクに向き合うと、後ろから男の視線が背中に突き刺さるのを感じる。相澤が尊敬するように見てくれるのとは明らかに違う、じっと監視されるような、不快感。

 指が普段通りの動きで機材をなぞる一方で、耳の奥でわんわんと動悸が鳴り響く。即興で思いついた原稿を薄っぺらい声でどうにか辿りながら、ことりは机の下でこっそり、スマホのメッセージ機能に向かった。


 相澤くん。

 若葉ちゃんが危ないよ。


 詳細を書かないのは、相澤であれば自分の放送に間違いなく耳を傾けてくれるという自覚があるからで。

 嫌な女で申し訳ないなと思いながら、ことりは心の中で強く祈る。

「お客様のお呼び出しを申し上げます」

 どうかどうか、インフォメーションセンターにーー

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