23 エレクトリカル・アリーナ

 背後から感じる威圧感に急かされながら、手探りで暗闇を進み続ける。無意識に手をついた壁は冷たいコンクリート造りで、ざらりと少し粉っぽい。素っ気ない造りだが、逆に大学の校舎っぽさもあって、少しほっとした。少なくとも、さっきまでの異質で豪奢な空間とは違う。

 カチャカチャとした音は何重にも重なって、次第に大きくなってきていた。空気に何か匂いが混ざっているのを感じる。これはーーゴムの匂い?

「自転車か」前を歩く塩崎が気が付いたように呟いた。「タイヤの匂いがする」

「ご名答だ、塩崎氏」

 ミリ研代表が立ち止まり、振り返らずに言った。彼は暗闇に突き当たった場所に唐突に現れた扉の前に立っていた。鉄製で無骨な、何の飾り気もない扉。クリーム色の塗装が所々剥がれ落ちて、内側から錆が覗いている。

 音はその向こうから来ているようだった。代表がゆっくりと丸いノブに手をかける。

「ここが敗者たちの救済場所だ」

 キィ……と音を立てて扉が開く。最初に見えたのは、胸くらいの高さがある白い柵だった。その向こうにはなにもない空間が広がっていてーー否、なにもないわけではなかった。

「なんすか、ここ……」

 柵から五メートルほど下を見下ろすと、そこにはバスケットコートが広がっていた。端と端に設置されたゴールは普段の体育の講義で見かけるものより随分古びており、小学校にあった老朽化したゴールを思い出す。

「アリーナだよ。昔はここで体育をやっていたそうだ。今は使われていない」

「そうじゃなくて……!」

 しかし、陽が聞きたかったのはそこではなかった。

 忘れ去られたアリーナにいる、無数の人、人、人。彼らは何らかの機械が繋がれた自転車に跨り、スタンドを立てたそれを一心不乱に漕いでいる。

 ガチャガチャとした音。タイヤのゴム臭。ついでに立ち込める汗の匂い。漕ぎ続ける人々はぜぇぜぇと息を切らしながら、どうにか課せられた仕事に耐えている。逃げ出さないようにだろうか、アリーナの四隅には見張りのような人員が配置されていた。

「……なんの目的が?」

 塩崎もさすがに困惑した様子で頭を掻く。

「まさかこんなところでトレーニングジムを開いてるってことはないよな」

「彼らはさっきのカジノ負け越した連中さ」

 代表が後ろ手に手を組み、至極落ち着いた声で説明する。

「負債は負債として当然払ってもらうーーが、学祭の間だけは、こうして負債を減らす手段を与えているそうだ」

「いる『そうだ』ってお前な」

 塩崎が胡乱気な表情を見せる。

「てっきりそちらさんがカジノの親玉かと思ったんだがな」

「出資はしているがね、主催は別団体だ」

「出資? ミリ研として?」

「話を続けていいかな」

 代表が一歩前に踏み出して、柵に手をついた。必死に自転車を漕ぐ人々を見下ろすその様は、軍服も相まって将軍に近い。 

「自転車に繋がれている機械が見えるだろう。あれは電力を貯めておける装置だ。外してここから持ち出すこともできるし、その電気を日常生活に生かすこともできる」

「つまり、自転車で電気を量産して、それを何かしてることですか?」

 陽が代表の後ろから尋ねる。

「例えば、売るとか」

「売る先は多そうだな。なにしろ今は学祭期間だ」

 塩崎も口元に手を当てて同調する。確かに、それならさっき代表が言っていた「学祭の期間だけ出せる儲け」というのも理解できる。

「屋台が大学に使わせてもらえる電気量にも限りがある。裏で売買している電気を、一部の連中は喜んで買うものだ」

 そう言いながらアリーナを見下ろす代表は、とてもここの覇者でないようには見えなかった。出資って、どのくらいしているんだろう。そもそも大学生で出資って?

「なるほどな。うちが知らないわけだ。カレー屋はガスしか使わないからな」

 負けを支払うために重労働を課せられる人々を見下ろしながら、ふーっと、塩崎が息を吐き出す。この光景に、彼はなにを思うのだろう。

「それで、俺たちになにをしろと?」

 そうだ、と陽は思いだす。代表は自分と塩崎に、なにかをしてほしいからここに呼んだのだ。もはやこんなカイジのような世界観にはまったく関わりたくはないのだが、こんな光景を見させられたからには、逃げることなど許されなさそうではある。

「人探しを頼みたい」

 代表が軍服のポケットから一枚の写真を取り出し、塩崎に差し出した。彼は躊躇なく受け取ってみせる。

「つい昨日、カジノで負け越した負け犬だ。ここで自転車を漕いでいたはずなのだが、どういう手を使ったのか逃げだしたようだ」

 横から写真を覗き込む。斑に脱色したぱさぱさ髪に、底意地の悪そうな口元が特徴的な男のバストアップが写っている。カジノで負けたあとに撮影されたのか、囚人のように自らの名前が書かれた紙を掲げさせられている。

「日下部亘……」

「うちの不出来な部員でな。ひどい負け方と、ここでの重労働。両方相まってかなり参っているようだからね。校内暴力でも起こされた日には、ウチの責任にもなりかねない。手段は任せるから捕獲してきてくれたまえ」

「ったく、てめぇで作った負債を大人しく返すことすらできねぇのかよ」

 写真をひらひらさせながら、塩崎が心底呆れたように言った。

「役に立つかわからない情報をひとつ」

 代表がこちらを見て小さく微笑む。

「日下部が最後に大負けした相手は農学部の女子学生でね……ここのカジノでは、かなり有名な雀士だ」

 嫌な予感がして、塩崎の横顔を盗み見る。彼は「おっと」と無声音で呟くと、続きを促した。

「彼女には散々な負け方をさせられたようで、少しトラブルになったらしい。イカサマじゃないかと疑って、手を出しかけたとか……聞くところによると、逃げだす前は怨霊のように『クソアマのせいで』と言いながら自転車を漕いでいたそうだ」

「つまり、そのクソアマが狙われてる可能性有り……ってことか」

 塩崎は軽く頭を振ると、再びふーっと息を吐きだした。

「引き受けた。探してくる」

 いいだろ? と言いたげに塩崎が視線を合わせてくる。いいだろも何も、陽は自分に選択権があるとも思っていない。

 それに、今の話はどう考えてもーー

「……若葉さんに連絡取っておきますね」

 陽はやっと口を開くと、同時にスマホを取り出した。

 もし今の話が本当で、その雀士が若葉なら。

 もし日下部が負けの腹いせに、彼女に何らかの危害を加えようとしているなら。

 冷静に考えれば、若葉に何かしたところで自分の負債はなくならない。

 でも、相手が冷静に考えられないなら?

 飄々としている若葉の顔が思い浮かぶ。それが、他者からの何かしらの意図で歪められたらーー


 電話をかけても、若葉は出なかった。人混みの中だと、スマホの音にも振動にも気づけないのかもしれない。

 本当にそれだけ?

「塩崎さん」

「わかった。行くぞ」

 何か言うより先に、塩崎が応える。普段は軽薄で自分勝手に見える笑みが、いつも通りに見えて心強かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る