22 敗者と救済の潜む場所
「ここだよ。もう取ってもいい」
その言葉を合図に、塩崎と陽ははめられたアイマスクを取り払った。場所を完全に忘れ伏せられていたため、自分たちが校内のどの位置にいるかはわからなかったが、そこがどういった空間であるかはすぐに察せられた。
「なんだ、弓削の遊び場じゃねぇか」
アイマスクを額に押し上げた塩崎がフンと鼻を鳴らす。
交換条件を出してきたミリ研代表が数人の学生たちを付けて陽たちを連れてきたのは、いわゆるカジノという場所だった。廻るルーレット、牌が混ざる音、セクシーな衣装のバニーガール。現実では見たことのない風景だ。薄暗い照明の下で、バニーたちの唇が艶やかに潤んで輝く。
「なんだ、ビビってんのか陽クン」
飲み物を運んでいたバニーガールと目が合ってまごついていると、塩崎が笑いを含んだ声でからかった。ビビらないほうが変じゃなかろうか。自分らの大学にこんな一面があったなんて聞いてない。それも若葉が出入りしているなんて。
「当たり前じゃないですか。おかしいでしょ、どう考えても」
ガラガラと廻るルーレットの音に負けないように声を張り上げると、塩崎はなんてことはなさそうに肩を竦めた。
「誰にも迷惑かけてないしなぁ、別に」
「法治国家とは……」
「噂には聞いていたが、かなり本格的だな。三日間しか開かれないなんてもったいない」
呆然とする陽を放置し、塩崎はミリ研代表に向き直った。アンダーグラウンドに煙った空間において、彼の身に纏うミリタリーはあまりにも異様だった。
代表は貼り付けたようににこやかな表情を、カジノのフロア全体に向けた。まるでこの場の王のような貫禄に、陽は塩崎の影で震え上がる。
「ここは学祭の期間だけ蜃気楼のように現れるカジノだ。それはそういう団体が、学祭の期間だけ出せる儲けを出そうとしているからだ」
「期間限定の儲けか」
「そうだ。こっちに来たまえ」
代表が陽たちを手招きしながら、場所を移すべく歩き出す。その後ろ姿に塩崎が目を眇め、陽がどうするべきか迷って立ちすくんでいると、不意に後ろから代表の手下たちに肩を小突かれた。
「代表に、続け」
「ミリ研は軍隊か何かかよ」
塩崎がさもおかしそうに息を漏らした。
そして次の瞬間、肩を小突く手を掴んでひねりあげた。
「塩崎さんっ!?」
「なにを勘違いしてるか知らんが、俺に指図するな」
あまりにも喧嘩っ早すぎる行動および言動に、陽は慌てふためき、代表の手下たちは一歩引いてざわめき、腕を掴まれた本人は関節の痛みに「痛い痛い、いたたた!」と喚き散らした。
運命を賭けた勝負の最中にいる客人たちが何事かとこちらを向く。ディーラーとバニーガールたちだけがポーカーフェイスを崩さず、さすがのプロ根性である。
「俺たちは、そちらさんに下ったわけじゃない。ついて行くも行かないも俺たちの意志だ。そこんとこ理解してもらわないも今後に響く」
「貴様!」
正論ではあるが暴言には違いなく、統率の取れた軍隊のように冷徹だった手下たちが、一瞬でこちらに牙を剥く。
「カジノで暴力はやめてもらおう」
あわや大乱闘、というところで一際通る声がその場を制した。
あわあわとするしかなかった陽が声の方向を見ると、代表がどこかへと続く扉の前で、涼しげにこちらを振り返っていた。
「部下が無礼を」
細めた目で塩崎に謝罪する代表であったが、そこに塩崎への諫言が含まれていることは、陽にもよくわかった。
塩崎は睨むような目つきで代表を見据えていたが、やがて小さく息を吐くと、手下を掴んでいた手をぱっと離した。
「わかった。悪かったよ」
「結構。ではこちらに」
今度は言われたままに、陽たちはそのカジノの隅にポツンと存在する扉の前に歩を進めてみせた。後ろから刺さる手下たちの視線が痛かったが、気が付かないふりをする。というか、陽自身はなにもしていないというのに、これはいったい。
「人生とカジノにおいて勝者と敗者が存在するということは、当然御存知かと思う」
「そうだな」
先ほどの騒ぎなどまるで無かったかのように、塩崎が頭の後ろを掻きながら答える。
「勝者であれば、望むものは何であれ手に入る。が、敗者には何も与えられることはない。たったひとつを除いて」
回りくどい言い方をする代表を横目に見ながら、陽は「ミリ研の代表って代々こんな感じなのだろうか」と関係のないことを考えていた。
「野々宮くんはどう思う」
「えっ」
ずっと塩崎のターンだったために油断していたことを見透かされたのか、代表が急に陽に話を振る。敗者に与えられるもの? 急に訊かれてもわからない。なにか気の利いたことを言わないといけないような気がするが、残念ながら先ほどからビビり散らかしている陽にはなにも思い浮かばない。
「えーっと……」
「それは『救済』だと、俺は思う」
「答えちゃうんすか……」
なぜ訊いた……とげんなりする陽には目もくれず、代表がその扉を開く。
そこには闇がぽっかりと広がっており、なにがあるのかまったく視認できなかった。
ただ、微かに音がする。混ざり合う牌の音に負けてたいへん聞こえにくいが、陽はじっと耳を澄ました。
遠くて聞こえるカチャカチャとした音。それも幾重にも重なり合っている。
いったい向こうでなにが行われているのか、と底知れぬ闇に恐怖を覚えるのは簡単だった。が、一方で冷静にその音を聞き分けたときに、なぜか慣れ親しんだ感覚を覚えたのを陽ははっきりと感じた。
なんの音だ、どこで聞いたんだ?
「確かに、勝者には与えられないものだな。『救済』が必要だから敗者なんだろ」
塩崎が闇に目を凝らしながら言う。
「この奥に『救済』が?」
「話が早くて助かる」
代表が闇に足を踏み入れる。次に塩崎も、躊躇なく代表に続いた。
どうしよう。陽はそっと後ろを振り返った。途端に、手下たちの睨みつけるような視線と目が合った。小突くようなことこそしないが、入らないことは許してくれない空気だ。
助けて相澤さん。情けないことを思いながら、陽は慌てて塩崎を追いかけた。
今ここで頼れるのは、彼だけなのだ。
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