21 見舞いと交渉

 ここに来るとき、自分はいつもこの馬鹿でかいプラカードを持っている気がする。放送室の入口をくぐりながら、相澤はふとそんなことを思った。先輩に連れてこられた去年ならばいざ知らず、主に陽がプラカードを持っているはずの今年さえ。

「おはよ、相澤くん」

 声をかけるより先に、ことりが相澤に振り返る。昨日と同じく忙しそうに原稿をめくっているが、声の張り方が昨日より弱い。理由はなんとなくわかっていて、それがまた小さな苛立ちを生む。

「どうしたの?」

「いや、自分はなにも……佐藤さんはどうされたんです」

「やだな、私はいつも通りだよ。大丈夫」

 大丈夫は人は「大丈夫」とは答えない。とは誰の言葉だっただろうか。相澤は下唇を軽く湿らせると、極めて冷静に言葉を発した。

「『究極サークル』が営業停止処分になりましたね」

 ことりはなにも答えない。ただ、膝の上に原稿をぱたりと置くと、小さくため息をついた。

「塩崎さんが復活させようと今朝から躍起になっています」

「そう」

 知っていたのか、知らなかったのか。ことりは呟くように口にすると、膝の上に目線を落とす。

「塩崎さんから、なにか連絡はあったんですか?」

「ううん、なにも。塩崎くん、基本的にピンチなときは知らせてくれないから。今回も外野から見てろってことなんだと思う」

「かっこつけてますね」

「そうかも」

 相澤の軽いディスにころころと笑いながら、ことりは細めた目を脇の机の上に向けた。昨日と同じ場所に置いてある、あの下品な店名を前面に押し出した、宣言原稿。

「私は彼のサークルに詳しいわけじゃないから、今回のことがほんとは誰のせいなのかっていうのはわからない。……でも、彼が躍起になって無茶すると、大概ロクなことにならない気がするから、そこが心配ね」

 それは相澤にとっても頷ける意見だった。振り回されているであろう陽が、今どうしているのかは気になる。

 ふと、ことりが『究極サークル』の宣伝原稿を手に取る。そうして淋しげに視線を伏せた彼女に、相澤は上手くかけてやれる言葉を持たない。

「なくなっちゃうくらいなら、一度くらい読んであげたらよかったかもね」



「邪魔するぜ」

 同時刻、西側校舎三階。とある講義室の扉を乱暴に開け放った塩崎の後ろに、陽もおどおどと続いた。つくづく思うのだが、人はどういう人生を送ったらこんなに堂々と、あるいは無遠慮になれるのだろうか。

 小講義室はミリ研の荷物置き場となっており、数人の学生がたむろしている。皆雰囲気がどことなくさっきの副代表に似ている。何らかのマニアっぽいところが特に。

「代表がここにいると聞いたんだが」

 塩崎の不躾な物言いに、奥の席に腰かけていた男がおもむろに手を挙げる。

「代表は俺だ」

 代表は副代表と同じく、ミリタリーの上下で揃えた、がたいのいい男だった。浅黒い肌に存外ぱちっとした目が、アンバランスなようで調和が取れている。

「速やかな申告助かる」

「誰に俺の居場所を?」

 代表のぱちっとした瞳が真っすぐに塩崎(と後ろの陽)を捉える。なんというか、眼球の見えている面積が多い分、薄目で睨まれるよりも圧を感じて尻込みしてしまう。

「それは言えない。言わないと約束してきたからなぁ」

 対する塩崎は飄々とした態度で視線を受け止めると、代表の近くの席までズカズカと歩み寄り、当たり前のように腰を下ろした。

「率直に訊くが、土田という男に覚えはあるか?」

「あまり大きな声で口にしてほしくない話題だな」

 言葉とは裏腹に、代表は余裕たっぷりに微笑む。微笑んでも目は笑っていないように見えるのが怖い。

「一言で言えば小物だな。短絡的で、詰めの甘い、ただの小悪党」

「知ってるような口振りだな」

「ミリ研は表にも裏にも顔が利く」

「どこに行けば会える?」

「まあ待て」

 代表はようやく目を細めると、酷く嬉しそうに塩崎の顔を見据えた。後ろに立つ自分からは、彼がどういう表情をしているかがわからない。

「会いに行ったらそのまま半殺しにでもしそうな勢いだ。落ち着くがいいさ」

「……そうか?」

 意図しない言だったのか、塩崎が戸惑い混じりに陽を振り返る。判断のつかない陽は「いや……」と首を傾げるしかない。

「それに、こちらから情報を渡すだけというのもフェアじゃない。現に俺の居場所の情報提供者が誰なのかも伏せられたままだ。それは別にいいんだが、まあ公平に行こう。そう思わないか塩崎?」

「そう思うか?」

 再度こちらを振り返る塩崎が半分とぼけていることは、陽にもよくわかった。今度は陽が戸惑いながら、恐る恐る頷く。

「土田の居場所や目的には見当がついている。それを教えるかどうかは、そちら次第だ」

 塩崎は講義用の机に肘をつきながら、長い脚を持て余すように机の下で組んだ。ふむ、と考え込むような息が漏れる。思えば、彼がまともに他者の交渉テーブルにつかされているのは初めて見るような気がした。いつも相手をテーブルにつかせるばかりで。

「聞こう」

 そうして塩崎が代表に次の発言を促すと、代表が満足気に微笑むのがわかった。

 あれ、と陽はようやく気がつく。

 この人、どこかで見たことがあるような気がする。

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