19 塩崎から見た若葉

 というわけで、と塩崎が勢いよく手を打った。各自が塩崎の淹れたコーヒーを有難く飲み干したくらいのタイミングでのことだった。

「調査の基本はフィールドワークからだ。各自、真相解明に繋がりそうな手がかりを集めてきてくれ。土田っていう真夜中組の枝葉が絡んでいる可能性が高いから、まずはそいつを探そう」

 返事をするやいなや、『究極サークル』の面々がザッと席を立つ。勢いの割に、各自が自分の飲み干したコーヒーカップを持って自ら下げようとしているのがちぐはぐでおかしい。

「塩崎さんはどうするんですか?」

 陽はカウンター越しにそう尋ねてみた。部員たちが「ごちそうさまでした」と渡してくるカップを受け取っては流しに置いていく塩崎は、不敵な笑みを浮かべて答える。

「俺にもいくつか心当たりはあるからな。そこを当たってみることにするよ」

「であるなら、陽のことも連れて行ってやってください」

 不意に横から相澤が口を差し挟む。突然、自らの処遇を勝手に決められた陽は面喰らった。相澤はどうするのだろう。

「調査に協力するのはやぶさかじゃない。ですが、俺たちにも俺たちの仕事があります。俺のほうで、まずはそちらをある程度片付けてきます」

「そうか。早く戻ってこいよ」

「あんたに命令される筋はないですが、考えておきます」

 相澤は陽からプラカードを受け取ると、くるりと踵を返して『エル珈琲』の店内に背を向けた。

「というわけだから、塩崎さんの行動をよくよく見張っておけよ、陽」

「えっ」

「聞こえてるぞ」

 塩崎がさもおかしそうに笑う。

「ちなみに俺の下に付くってことは、まず初めにこのコーヒーカップの山を洗わなきゃいけないって意味だからな。頼むぜ陽クン」

「相澤さん、大事な後輩が他サークルに扱き使われそうになってます」

「頼むぜ陽クン」

 陽が片手を上げて訴えるが、相澤はにべもない。そのまま彼は『究極サークル』部員たちと一緒に、旧校舎の出口へと駆けて行ってしまった。ずるい。

「陽クンもまだ、この校舎の道は覚えられないか」

 もはや唯一の頼れる人となってしまった塩崎が、流しに水を張りながら尋ねてくる。初めて来たときも思ったが、どういう原理で教室に流し付きのキッチンなど作れているのだろう。

「……そうです」

「遅いな。弓削なんかは初めて来たときに覚えたぞ」

「若葉さんと比べられてもなあ」

「あいつも変わった奴だからな。初めて来たときは麻雀大会で会場を沸かしてきた後だったから、時の人が来たと思ったな」

 流しの水を止め、塩崎が陽をカウンターの内側に呼ぶ。本当にカップ洗いをさせられる流れになってきたことに、陽は少なからずげんなりする。

「一年生のときからそんな感じだったんですね」

 陽が食器洗い用のスポンジを受け取ると、塩崎は後ろの台から水気を拭うための布巾を手に取った。水色で清潔感のある色合いだ。部のものか、自分の家から持ってきたのか。

「特段去年から変わってない女だぞ、あれは。変わってるのはそのとき付き合ってる男だけ」

「ははあ……」

 流しの底からコーヒーカップをすくい上げ、スポンジのガサガサした面で内側をこする。ちらりと思い出した話を切り出すべきか、陽は少し迷った。

「塩崎さんが若葉さんを振ったのはどうしてなんですか?」

「単純に好きなタイプじゃなかった」

 迷いつつも口に出すと、塩崎はなんでもないことのようにノータイムで応えた。彼の中でこの話はどういう位置づけになっているのだろう。ちょっと不安になるくらいどうとも思っていなさそうな声だった。

「タイプって」

「俺はもっと普通の女が好みなんだよな。それに」

「それに?」

「弓削も別に、どうしても俺がよかったわけじゃない」

 悲しげでも懐かしげでもなく、塩崎が当然の事実を伝えるように口にする。

「どういうことですか?」

 陽はすすぎ終えたカップを渡しながら尋ねる。尋ねながら、特段「どういうことですか?」でもないことに気が付く。若葉は言っていた。塩崎が一番「ちょうどよかった」。

「あれはとにかく顔がいい女だからな。やっかみとか妬みの的になることはままある人間なんだろう。そういうのを回避するために、とりあえず選ばれたのが手近にいた俺ってことだな。俺だけじゃない。今までのカレシはだいたいそうなんじゃないか?」

 カレシ、という言葉が薄っぺらくその場を滑っていく。

「好き合って付き合うわけじゃないから、当然長続きはしない。弓削のことは賭け事狂いの面白い女だとは思うが、そこに巻き込まれるのは御免被る」

「ははあ……」

 本日二回目のははあとともに、次に洗い終えたカップを塩崎に手渡す。若葉がいろんな男を渡り歩いているのはこの数か月間でよくよく目の当たりにしてきたが、塩崎のように考えたことは皆無だった。

「なんとなく彼氏がいるほうが楽しいから、付き合っているのかと思っていました」

「確かにな。恋人がいると楽しいし気持ちいいと感じることもある。でも弓削に限って『なんとなく』で男を作ることはないと思わないか? あれはカレシと映画でも見に行くよりトウモロコシの苗を植える土壌の研究しているほうがずっと楽しい女だぜ」

「……」

「なにか陽クンにとって残酷なことでも言ったか?」

 拭き終えたカップを隣のかごに伏せながら、塩崎が妙に意地悪そうに舌を出す。

「いえ別に」

「気になる弓削センパイのことはともかくとして」

「勘弁してください」

「俺たちのこれからの動きについてだ」

 次のカップを手渡すと、塩崎は急に真面目な顔つきに戻った。

「俺がさっき言った心当たりだが、それはあれを借りてきたところにある」

 塩崎があごでしゃくった先は、教室の後方、喫茶店の奥の座席だった。見ると、まるで人間のような風格でライフル銃が椅子を陣取っている。

「あれ、ですか」

「あれはミリ研からパクっ――違うな、借りてきたものなんだが」

「今パクったって言いました?」

「ミリ研にも表に出したくない内部事情がそれなりにあってな。そこを突いて裏を辿っていけば、土田にも到達するかもしれない」

 そんなざっくりとした計画で果たして真相に近付けるのだろうか……と陽は訝しく思う。そんな陽の不安を感じ取ったのか、塩崎は布巾をひらりとはためかせて笑った。

「心配しなくていい。ミリ研は幹部が真夜中組に通じている奴も多い。サークル全体として一枚岩じゃないから、付け入る隙はあるはずだぜ」

「って言われてもなあ」

「ごちゃごちゃうるせーな、今は相澤クンじゃなくて俺の下なんだから言うこと聞いとけよな」

「横暴……」

 まだまだなくなりそうにないコーヒーカップの山を見下ろしながら、陽は弱々しく声を上げる。相澤がいつ戻ってくるのかは、まるで想像がつかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る