18 レスラーとギャンブラーの邂逅
一号館前に設置された特設リングの周りは、今日も熱気に満ち満ちている。午後開催だった昨日の準々決勝と比べたら人は少ないが、それでも集まっている観客たちの熱い声援は昨日とほぼ変わりない。
優勝大本命の大橋は、今日も淡々と敵に向かい合う。たてがみのような奇抜な髪型とは裏腹に無表情な、ともすれば仏頂面とも言える顔つき。そういうところがクールで素敵、という女性ファンの声もリングサイドではよく聞こえる。
「大橋決まった、バックドロップホールド――!」
大橋が相手の選手の胴を抱え込み、がばりと持ち上げてからマットに叩きつける。実況が興奮した声で技名を告げ、観客たちがひときわ大きな歓声をあげた。若葉も両の拳を振り上げ、周りの人間と同様にうぉーっと叫んでみせる。
大橋のフィニッシュホールドが決まると、審判が昨日と同じようにテンカウントを数え上げた。そして勝者の片腕をつかんで高く掲げると、観客席からの盛大な拍手やら指笛やらが祝福として大橋に注がれていく。
勝者として喝采を浴びても、大橋は決して笑わない。そういうキャラクターを守っているのか、はたまた別の理由があるのかはわからない。
一号館のとある講義室が、学祭プロレスに出場する選手たちの控え室となっている。
普段は講義をする場所として使用されているその部屋は、黒板に向かって右側に廊下側の窓が並んでいるが、今は選手が着替える場合等を考慮してカーテンがぴっちりと閉められている。
大橋はその下に置かれたベンチに腰かけると、ふうと息を吐き出した。他の選手から声をかけられないよう、頭に被せたタオルで顔を隠しながら手元のスマホに目を落とす。
「彼女?」
突如、背後から声がして大橋はスマホを取り落としそうになった。振り返ると、いつの間にか窓際のカーテンが一部開いており、ひとりの女子学生がこちらの顔を覗き込んでいた。
「あ、ごめん。たまたま目に入っちゃったから、つい」
「誰だ、お前は」
思わずまともな疑問が大橋の口から飛び出す。自分と同じようにここを控え室として使っている他の選手たちが、なんだなんだとこちらを見てくる。自分の知り合いじゃないぞ、と大橋は眉間を寄せてそちらを見ると、彼らは互いになんとなく視線を交わし合うと、すぐに無関心へと戻っていった。
「大橋さん今日も勝ってたね。強いんだねーほんとに」
女子学生は窓枠に肘をつきながら勝手に話し続ける。話しぶりからして昨日も来ていたらしい。そういえば試合後になれなれしく話しかけてきた女がいたような気がする。
『みんな大橋さんが勝つと思ってたって。すごいね』
「いろんな人に賭けてもらえるってヤバいね。ってかあたし全然プロレス知らないのに感動した。大橋さんかっこよかったよ、決勝でも賭けるね」
なるほど。大橋はそのギャンブラーな言にフン、と鼻を鳴らした。
「賭け事はAUWBに捕まるぞ」
頭のタオルを取り払い、呆れ顔で振り返る。真正面から見ると、それなりに美女な部類に入ることがわかる。
初めて会話らしく言葉を返されたことに喜びを覚えたのか、女子学生はニカっと口角をあげて微笑んだ。上唇の影で八重歯がきらりと濡れている。
「その前に違法なんだよね」
さもおかしそうにけらけらと笑う彼女に、大橋は再度ふう、とため息をついた。口元には不思議と、苦笑とも微笑ともつかない笑みが浮かんでいた。
「明日も勝てるといいね」
「明日は無理だ。お前も相手に賭けろ」
ワカバ、と名乗った女は不思議そうに首を傾けると、「どうして?」と純粋な疑問をぶつけてきた。
「真夜中組にいたことと関係があるの?」
「そんなことまで知ってるのか」
「賭場っていろんな話が聞こえてくるんだよね」
大橋は手に持ったままだったスマホの画面を点けてみせた。通知が母のメッセージを受信したことを告げていた。
「関係はある。相手の選手が、真夜中組の息がかかっている」
「八百長……ってこと?」
大橋が口を閉ざすと、ワカバは急に辺りをきょろきょろと見渡し始めた。
「え、これって周りに聞かれちゃいけない話?」
「賭け事云々の時点で気にしろ」
出場している選手たちも馬鹿ではない。自分たちがこの学祭でどういう立ち位置でいるかはある程度知っている。
「これまでの試合も……?」
「いや、俺はここまで本気でやってきた……ただ、真夜中組の選手とやってきた選手は、皆ことごとく負けている。実力で負けたのか、なにかしらの弱みを握られているのかはわからないし、興味もない」
聞こえるように意識したわけではないが、大橋がそう口にすると、控え室にいた何人かの選手が気まずそうにこちらに背を向けた。
「俺にも八百長の話は持ち掛けられた。もともと真夜中組だったこともあって、懐柔しやすいと思ったんだろうな。だから俺が断ったときはびっくりされたよ」
「え? 断ったのに、どうして明日は負けるって決まってるの?」
ワカバが窓枠から身を乗り出してくる。大橋はスマホの震えを感じて、また画面に目を落とす。妹は無事に回復したようだった。
「脅迫されたんだ」
「脅迫?」
「昨日、学祭に来た妹が中庭の真ん中で倒れた。断るなら次はこんなもんじゃ済まさない、実家の住所も知ってるんだぞ、という連絡がすぐ後に来た」
ワカバは目を大きく見開いた。大橋は自嘲するように鼻を鳴らすと、スマホの画面を下向きに伏せた。
「一年の頃から真夜中組で良くないことやってたツケが回ってきたってことだ。家族を人質に取られた不憫なレスラーは明日の決勝の舞台までわざわざ負けに行く。だからお前は、相手の選手に賭けておいたほうがいい」
諦めの滲んだ台詞を吐いた大橋だったが、ワカバは驚いた表情のままだった。普通こんなことを言われたら、恐怖だったり落胆だったり、そういった感情が浮かぶものだと思う。それなのにワカバは、ただ驚いている。ただただ、驚いている。
「なんだよ」
訝しく思った大橋が尋ねると、ワカバは「いやぁ……」と下手くそにすっとぼけてみせた。いったいなんだと言うのだろう。
「お前……」
「そういうことなら、あたしは大橋さんに賭けるよ」
ワカバはわずかに目を伏せながら、はっきりとそう宣言した。話を聞いている人間の言とは思えず、大橋は「は?」と聞き返す。
「がんばるお兄ちゃんのために、あたし賭けるよ」
そう呟いたワカバの目線は本気だった。勝つと信じて疑わないギャンブラーの目ってこんな感じなのか、と大橋は知見を得る。
「で、馬鹿儲けしてやるから」
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